立憲民主党代表選で23日、野田佳彦元首相が新代表に選出された。小沢一郎が保守層取り込みを狙って、野田政権で消費税問題で対立した過去を水に流して野田を擁立して、最後の勝負に出たと言うことだ。
小沢の思惑としては、小泉が自民総裁になれば、経験が浅く、演説は上手だが、議論はできない小泉を圧倒できると踏んだ。
しかし、それを懸念したこともあって、小泉は人気が失速し石破茂が総裁になった。石破と野田はよく似た情緒的人情派だからどっちもどっちで攻めにくいので自民有利かとみえたのだが、髙市氏を支持していた保守派のかなりが、総選挙で自民が不振なら石破首相を早々に退陣させて髙市総理にできると勘違いし、さらに、野田佳彦は保守派であると思い込んで立憲民主党を勝たせたがっているという馬鹿げた状況だ。
しかし、野田は保守派でもないし、人情に厚いわけでもないし、能力は悲惨だし向上心もない。そこで、三回に分けて、野田佳彦の実像をあぶり出してみようと思う。
野田氏が保守派から好感を持たれている理由のひとつが、安倍元首相の追悼演説を国会でしたことだ。
たしかに、安倍氏の人柄を上手に褒めてはいたが、追悼演説とはそういうものだ。その一方、野田氏はちゃっかりと自分の再登板へ向けての布石をちりばめた。
平成24年12月26日、解散総選挙に敗れ敗軍の将となった野田が、皇居で、安倍新首相の親任式に、前総理として立ち会ったときに次のような言葉をかけられたというのだ。
「野田さんは安定感がありましたよ」
「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」
「自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ」温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。
その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。
本当にそういうやりとりがあったかどうか誰にも分からないが、追悼演説を自分がマウンティングする機会に使うのは不見識にもほどがある。
野田の街頭演説は上手だ。なにしろ、野田佳彦は財務大臣になるまで、月曜日は津田沼、火曜日は船橋など、毎朝、街頭演説を欠かさなかった。
これを美談として誉める人もいる。それ自体は結構なことなのだが、その代わりに野田が犠牲にしてきたものがあることにも目を向けるべきだ。
日課のように街頭演説をしていれば、夜遅くまで政策の勉強をしたり、朝の勉強会に出たりすることはできなかったはずだ。政治家の中で政策通といわれる人たちは、夜の席をほどほどに切り上げ、早起きしてかなりの時間を政策研究に充てている。その時間が野田にはなかったはずだ。
松下政経塾は「現場主義」を大切にする。そこでは、経済政策でどんな問題を解決すべきかを知ることはできても、どうすれば解決できるのかを知ることはできない。解決方法を知るには、まじめなデスクワークが不可欠なのであるが、その辺は政経塾のカリキュラムでも弱い。かといって、卒塾後に塾生たちがデスクワークに熱心に取り組んでいるかといえば、そうとも言い難い。
民主党は、1999年から2009年まで政策決定機関として「次の内閣」(NC:ネクストキャビネット)を設置していた。野田佳彦は2004年5月から2005年9月まで、影の財務大臣だった。
また、菅内閣では、はじめ財務副大臣、さらに藤井裕久の辞任を受けて大臣になったが、彼は財務官僚のレクチャーを受け、彼らの鮮やかな説明に魅せられてしまったのだろう。宗教でも何でもそうだ。頭のいい人がそれまでまったく知らなかった世界に触れると、すっかり洗脳されてしまう。
本来、経済政策というのは、自分で基礎から勉強した上で考え、さまざまな人の意見を聞き、自分の確固たる意見を持つべき分野だ。首相になろうというのであれば、それくらい当然であろう。
ところが、そういう機会を持たないまま、千葉県の駅前で毎朝、街頭演説しているうちに、政権についてしまった。実に茶番である。
筆者は何も、財務官僚の意見を我がものとして採用する、野田首相が非良心的だといっているのではない。野田首相は、財務官僚たちの理路整然とした説明を聞いて、「庶民を守るためには財政再建を最優先にしなくてはならない」と確信しただけだ。それ自体が悪いというつもりはない。
ただ、もし彼がもっと自分の考えを持っていたら、どうだっただろう? そこまででなくとも、さまざまの人の意見を聞いて判断する識見をもっていたら、同じ意見になっていただろうか? それはわからない、ということだ。
もうひとつ、野田が人情の人とはほど遠いという話は、髙市早苗にまつわる逸話だ。彼が千葉県議会議員選挙に出たときに、松下政経塾では総力戦で支えたが、とくに高市早苗は半年ほど船橋市に住んで地域の責任者までやった。
ところが、のちに野田佳彦は奈良県で高市早苗の反対陣営の応援に入った。もちろん、党の代表とか立場上、やむを得ない場合もある。しかし、そうでなければ遠慮するものだ。当然、高市は本人に抗議したようだが、この話を聞いて政経塾出身の民主党(当時)委員も「そりゃないだろう」といって呆れた。