安倍元首相が野田佳彦に怒りを募らせていたのは、皇室問題においてである。野田氏は、首相在任中の2012年に、皇族の減少により公務に支障が出るのを避けるためと称して、眞子さま、佳子さま、愛子さまが結婚後、女性宮家を創設することを具体化しようとした。
ただ、夫や子を皇族とするか、皇位継承権を与えるかは曖昧にされ、野田首相としてはいずれも肯定したい意向であることが垣間見えたが公式には両論併記だった。
(前回:野田佳彦は保守ではない①:安倍追悼演説でも自己宣伝)
その後、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案」を立法化する過程で、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等」を検討するよう政府に求める国会決議がされたが、これは皇位継承と女性宮家を並列したことで二つの問題を切り離し、「等」を加えることによって旧宮家の活用も検討対象にできるように工夫したものだった。
しかし、女性皇族の家族を皇族とする案には小室圭さんの騒動で否定的な意見が広がった。不適切な相手との結婚など杞憂だとかいわれていたのが、現実に起きることが現実化したのが逆風となったのである。
それもあって、2020年に秋篠宮殿下が皇嗣殿下となられたのち、菅義偉内閣では 「皇位継承有識者会議」(「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議。清家篤座長)を設置し、2021年に報告書がまとまった。
これで、悠仁さまへの継承への道筋がつくまでは、悠仁さまの後が続かない場合にどうするかという議論を先送りすること、しかし、女性皇族本人だけは結婚後も皇族として残ることが可能にすること、また、宮家の養子という形で旧宮家の人を皇族にできるようにするなど、将来の選択がひろがるように仕込んだのである。
この線に沿って国会で意見集約しようとしたのだが、これを邪魔したのが野田佳彦で、ほとんど一人で横になって寝てしまった。
野田は女性皇族の配偶者や子供にも皇族の身分を付与せよというのだが、野田の思惑通り進んでいたら、いまごろ小室圭さんを「殿下」と呼んでいなければならないところだったのだから、野田も諦めるべきだったが厚顔無恥にも固執している。
一方、旧宮家からの養子案については、旧宮家だけが皇族になれるのは憲法14条(法の下の平等)に違反するとの指摘がある―などと主張している(詳細は、新著『系図でたどる日本の皇族』TJMOOKで解説)。
野田内閣の時の女性宮家案では、上皇陛下の四人の孫とその子孫に皇位継承権を限定する前提が取られたことで、三笠宮、高円宮系の女性皇族の子孫も、明治天皇や昭和天皇の女系子孫も排除しようとしたので、将来においてこの四人の子孫が断絶したらどうするのかという展望を欠いていた。女系を認めるならもっと広い範囲も対象にしないと皇室の永続性を保証することができないはずなのだ。
さらにその後、眞子さまが結婚して皇室の外に出られたので、野田の構想だと、悠仁さま、佳子さま、愛子さまの女系を含めた子孫で皇室にある人がいなくなった場合、天皇制度は廃止に追い込まれることになる。
まず、三人の従兄弟従姉妹の子孫が何世代かの内に誰もいなくなる可能性も小さくない。数学的にもそんなに小さくないし、さらに三人は同じような遺伝子の持ち主なのだから、何割かの可能性で数世代のうちに断絶するだろう。さらに子孫が結婚後に在留を希望せず、皇族から離れることもあるから、可能性はさらに大きくなる。
どこの国の君主家でも、ときどき継承者がいなくなるのは不可避で、その際は、遠縁から求めるのである。海外では日本ほど厳密に皇族と一般国民を区別していないうえに、外国人でも平気だから王統断絶の可能性はないのである。
そうなると、この野田が難癖つけているように、養子とかその他の方法で皇族に遠縁の男女が復帰するのが違憲だとすると、これを回避するためには改憲が必要だが、もともと予想された事態に対処するために改憲など普通はない。
だとすれば、野田は日本国憲法は、皇族の数は最低限に留めたうえ、運悪く女性を含めた皇族がいなくなったら天皇は空位になり、廃止ということになることを予定していたと考えているということになる。つまり、執行猶予付きで天皇制を廃止するのが日本国憲法の趣旨だったということだ。
しかし、このような野田の天皇制時限存続論などという憲法解釈は荒唐無稽であって、お話にならないのである。
さらに、野田は女性天皇とか女系天皇があり得るということが、皇嗣殿下や悠仁さまを排除して愛子天皇もあり得るということなのかどうかについて明言を避けている。
しかし、これはおかしなことだ。そもそも、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案」では、皇嗣殿下という地位を明確化し、立皇嗣礼まで定めて、それに基づいて立皇嗣礼が行われている。
一般に帝王に継承権がある子がいない場合に、兄弟が継承順位第一位になるが、子どもが生まれる可能性がある限りは継承を確定せず、可能性がほぼないということになった時期に、立太子令に当たる行事をするのが普通だ。
日本の場合は、それを立皇嗣礼をすると法律で決めたということは、それを変更することはないのだと宣言したことであるし、それは野田の立憲民主党も認めたということだ。それを反故にするのは論外だし、そもそもヨーロッパで女子の継承順位を上げる改正をした場合も、まだ生まれていない子が対象で、すでに生まれている皇族には適用しないのが鉄則だ。
それにもかかわらず、野田が受取り方によっては、皇嗣殿下を廃嫡して愛子天皇を実現するような可能性をほのめかすことは皇室に大混乱を及ぼしかねない。昔からそういうことをすると戦争とかテロとかを引き起こしかねないほど危険なことであることを歴史は証明している。
さらに、野田はあたかも自分が上皇陛下から格別に信頼されていたというようなことを匂わすのが好きである。少なくともそれを周辺が匂わしたりする。
そもそも現代国家では、帝王と政治家、とくに首相との会話は表に出すべきものでない。なぜなら、それが流出すると、立憲君主制と齟齬を来すからである。
英国の国王と首相は週に一回会談をして、英国の場合は国王は実質的な意見を言って良いのだが、それを首相は胸に国政に反映することもあるが、あくまでも首相の気持ち次第であり、かつ国王の希望であることは厳密に秘するべきことだ。
また、日本の象徴天皇制では、天皇陛下が政治に口出しすることはあってはならないと理解されている。
だから、上皇さまがご退位の希望を国民に直接語られたことは、なかなか際どい話だったし、安倍内閣はそれには影響を受けない建前を崩さず、特例法をまとめ上げた。その過程で、陛下と安倍さんはだいぶ話し合ったようだが、それが明らかにされることはなかった。
それに対して、野田が本当かどうかも分からないやりとりを匂わすようなことをしているとすれば、立憲民主党などという名の党の代表としてはまったく相応しくない
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