「自由民主主義的な全体主義」の予見者・西尾幹二氏を偲んで

独文学者(ニーチェ研究)で保守の論客としても知られた、西尾幹二氏が亡くなった。1935年生で、享年89歳。ご冥福をお祈りする。

平成が青春だったぼく(79年生)の世代にとって、西尾さんはなんと言っても「新しい歴史教科書をつくる会」(97年結成)の初代会長である。実は、つくる会的なネオ・ナショナリズムには批判的なリベラル派にも、ちゃんと人文的な教養を持っている人には、隠れ西尾ファンが結構多い。

まぁまさにぼくがそうで、他にもいっぱい知ってるんだけど、名前を出すとぼくはともかくその人たちに迷惑が生じる恐れがあるから(苦笑)、そういう品のないことはやめておく。

評論家 西尾幹二氏死去 新しい歴史教科書をつくる会 初代会長 | NHK
【NHK】保守派の論客として知られ、「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長を務めた評論家の西尾幹二さんが11月1日、都内の病院で…

膨大な西尾さんの著書のなかで、まさにいま読まれるべき本は、冷戦終焉の直後に東欧旅行記として書かれた『全体主義の呪い』(93年)だと思う。2002年の小泉訪朝後に高まった北朝鮮バッシングに便乗して、『壁の向うの狂気』(03年)として出し直したあたりは感心しないんだけど(*)、日本の知識人による不朽の歴史の証言だと、ぼくはマジに信じている。

(*)ネトウヨのみなさんはいま怒ったかもしれないけど、帯でヒトラー・スターリン・金正日とフセインを並べて、イラク戦争を肯定したあたりはご本人も後で反省したと思いますよ。西尾さん、一本気だし。

壁の向うの狂気 : 東ヨーロッパから北朝鮮へ 西尾 幹二(著/文) - 恒文社21 : 恒文社
「ベルリンの壁」崩壊後の現地に取材した著者が全体主義について根本から問いかけ、北朝鮮問題で問われる日本の決意に説き及ぶ。全体主義の恐怖をルポルタージュ。 - 引用:版元ドットコム

2018年に、『知性は死なない』でうつから復帰したときの取材で、ぼくは同書をこう紹介したことがあった。

歴史を忘れ去り、言葉を「凶器」として使う時代をどう生きるか(與那覇 潤) @gendai_biz
與那覇さんは2015年の春から病気(双極性障害にともなううつ状態)の治療に専念され、約3年間の療養を経て、今年4月に新著『知性は死なない 平成の鬱をこえて』を出版しました。しかし大学のお仕事に復帰されるのかと思いきや、「学者廃業」を宣言されたので、とても驚きました。「歴史学者廃業記」では、歴史学者・與那覇潤の「最後の言...

うつが激しいときにパンを買いにスーパーに入ったら、猛烈な恐怖感に襲われて買えなくなりかけた。複数の可能性のなかから「選ぶ」のが怖いからです。あらゆる商品について、「他と比べて高いかも、まずいかも、足りないかも、食べきれないかも…」という無限の可能性が頭のなかで爆発する感じがして、「最初からひとつに絞ってくれよ!」と叫びそうになる。

うつの時に食欲がなくなる、寝たきりになるというのも、選択肢を無理やりひとつにしようとする、身体的な欲求の表れではないかという気がします。

(中 略)

同書によると、〔冷戦終焉後に〕東ドイツの人がついに自由を手にして西側のスーパーマーケットに行って、圧倒的な商品の質と量に最初は眩惑されるんだけど、途中から体調を崩して嘔吐してしまうといった挿話が、当時は結構あったそうですね。そして現にいま「自由なEU」に愛想を尽かして、「専制的なロシア」に再接近する国も出てきています。

冷戦構造の崩壊とともに始まった平成という時代、当初はみんなが「これで、もっと自由になれる」と感じたはずだった。質的には、マルクス主義のような「インテリだと思われたいなら、絶対に従わねばならない」公理のくびきから解放され、また量的にも、インターネットの普及によって自分の意見を発信する「プチ言論人」が爆発的に増加した。

それがどうして、冷戦時代以上に硬直した構図になってしまったのか――これは西尾さんの三島由紀夫論のタイトルですが、むしろ人間の身体には言語と相反する「不自由への情熱」が埋め込まれているのではないか。そんなふうに考えないと、有効な処方箋は描けないように思っています。

現代ビジネス、2018年6月16日
(強調は今回付与)

当時はもちろん、今日のようなウクライナ戦争は起きてない。しかし、なぜ(ぼくたち的には)ずっと快適なはずのEUではなく、ロシアを選ぶ国や人びとが、現にいるのだろうか? そうした問いを一瞬も考えずに「うおおおお応援一択! 負けても正義が残る!」みたいにお気楽~な論調を、1945年の敗戦を抱え続けた西尾さんはどう見ていたのかな、と少し気になる。

「『負け組』応援団」でいいじゃない|東野篤子
日本は今、選挙結果の話で持ちきりですから、私のnoteを読んでいる方など誰もいないでしょう。 でもだからこそ、この時間にひっそり書いておきたいと思います。 先日SNS上で、大変高名な国際政治学者の方が 「(この時期に)ウクライナ国内に残っている人は、ほとんど負け組」 とお書きになり、それへの賛否両論が巻き起こっている...

今年の3月、「デジタル帝国が変えた世界」という特集への寄稿を頼まれて登壇した際にも、6年ぶりに、西尾さんの同書の名前を出した。

検索用語という「読む合法ドラッグ」が知性を蝕む|Yonaha Jun
昨日発売の『Voice』4月号の特集は「デジタル帝国が変えた世界」。そちらに論考「総検索社会がつくる『新しい全体主義』」を寄稿しています。 『平成史』の随所で使って以来、わりと好きな手法なんですけど、今回もこれはもともとなんの文章でしょうクイズで書き始めていますので、こちらでもちょっと訊いてみましょう。 もうわた...

同氏は、冷戦下の西側先進国だけでなく、じつは東側世界にも「情報化社会」はあったのだとする、興味深い問題提起をしています。

今日では映画『善き人のためのソナタ』(ドイツ。2006年)などで知られますが、さすがに政治犯の即時処刑は控えられるようになった冷戦の後半、東側諸国では秘密警察が盗聴などで個人のプライバシーを掌握することで、「いつでも処罰できるぞ」という恐怖感を通じた国民の統治を行ないました。結果として蓄積された、人びとの日常生活を記録する膨大なデータを、西尾氏は「これも社会や権力が、『情報化』した事例とは呼べないか」と問うたわけです。

奇妙な話ですが、2000年代の「ブログ」ブーム以来、私たちのネット空間は「東欧化」が進んでいます。誰かに脅されるまでもなく、みずから進んで私生活の仔細を文章に綴り、公の場で報告する。2010年代にSNSが定着するとその傾向は加速し、従来なら内面に秘めていたはずの政治信条、宗教的な信仰、セクシュアリティなどもプロフィールに記して「可視化」するようになりました(詳しくは、拙著『過剰可視化社会』PHP新書)。

そこに「検索」が加わることで、私たちはある意味で全員が秘密警察であり、そして同時に監視対象でもあるというややこしい状態に置かれています。いまや誰もが、狙いをつけたターゲットの私生活や内面を監視し、旧東欧の思想警察のように取り締まることができる。しかしそれは、自分自身も発言履歴を他人に検索され、いつ糾弾されるかわからない不安と表裏一体である。

『Voice』2024年4月号、74頁
(数値を算用数字に改定)

2020年以降のコロナ~ウクライナの流れの中で、せっせと検索しては「コイツは人民の敵!」「社会的に抹殺しよう!」と、率先して監視権力の片棒を担いだ大学教員のみなさーん、自分のやったことを理解したかな? わからないなら、わかるまで冷戦下の東側のように「再教育」するけど(笑)。

資料室:「共産党話法」はいかに生まれ、世界に広まったか|Yonaha Jun
前回の記事の続き。このところも松竹信幸氏や紙屋高雪(神谷貴行)氏の除名騒動があって、『日本共産党の研究』(1978年刊)の頃に似た空気が生まれているが、著者の立花隆氏はなぜそうなるのかの理由をあっけらかんと、ズバリ書いている。 反対派追い出しが象徴する党内言論の自由の圧殺に関して、共産党中央がその説明に必ず用いる詭...

ロシアや中国に代表される、ユーラシア的な専制権力の下でそうなってしまうのは、しかたないのかもしれない。だって、逆らったら殺されるんだから。ぼく自身も、さすがにそこは自信がない。

しかしタテマエとしては「自由民主主義」とか言いながら、相互監視に基づく下からの圧力で、ボトムアップに思考や言論を抑制してしまうのは、さすがにみっともなくはないか。それこそニーチェの哲学で言えば、もはや人間というより「畜群」に等しくはないか。

歴史修正主義と批判されたように、西尾さんの日本史叙述には問題が多く、後年になるほど陰謀論の色彩も強まった。ただまぁ、太ったブタよりは痩せたソクラテスであるべきなように、実証を自称する歴史学者よりも自由な思考を鼓舞する哲学者の方が、人文学のあり方として遥かに正しい。

「歴史学者」からのストーキング被害について|Yonaha Jun
何年かにわたり、オンライン・ストーカーのような「歴史学者」から誹謗中傷を受け続けており、困っている。 それは熊本学園大学の嶋理人氏という方で、私より年長なのだが本名での単著がなく、むしろTwitter(X)で用いる「墨東公安委員会」の筆名で知られている。思想誌の『情況』に登場した際も、自ら著者名を「嶋 理人(HN:墨...

とはいえ元・歴史学者としては、手放しでその軌跡を礼賛とも行かないのが苦しいとこなんだけど、とにかく長いあいだお疲れさまでした。戦後昭和に福田恆存や三島由紀夫から直接バトンを渡された保守思想家が、令和のいまというタイミングで亡くなったことは、叙述する識者が右か左かを問わず、必ず日本の歴史に残ると思います。

(ヘッダー写真は、辻田真佐憲さんによる晩年の優れたインタビュー記事より。2019年1月掲載)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年11月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。