被災者の罵声は国王夫妻へ向けられたものではない
スペイン・バレンシア県を襲った洪水で11月5日までで死者は217人。行方不明がまだ90人いることされている。
11月4日、今回の洪水で最も被害を受けたバレンシア市郊外の都市パイポルタ市を訪問したスペイン国王夫妻に多くの被災者は「人殺し、帰れ」と罵声を浴びせた、という出来事が日本の紙面そしてテレビで報じられた。しかし、この報道は間違った報道だ。被災者が罵声を浴びせたのは国王夫妻に同行していたサンチェス首相とマソンバレンシア州知事に向けられたものであった。
この首相と州知事の政治的な確執から迅速な対応をしなかったことに被災者は不満を爆発させたものだ。洪水が発生してから、被害を受けた75の自治体への警報の遅れ、さらに軍隊、警察、治安警察などの派遣の遅れが、これだけ多くの犠牲者と被害を出したということへの不満なのである。
8時間余りのスペイン政府の怠慢が悲劇を招いた
例えば、スペイン政府はフッカル川水園連盟(CHJ)から洪水が発生した29日の午前10時の時点で、フッカル川の水流の勢いと水位からバレンシアで洪水になる可能性が高いという情報を掴んでいた。
ところが、それをバレンシア州政府に伝えたのは午後6時49分であった。しかも、バレンシアで洪水になる可能性があるということで、その対策を練る同連盟の会合にバレンシア州政府からの代表は招待されていなかった。
一方のバレンシア州政府がそれまで頼りにしていたのは気象庁からの情報であった。ところが、気象庁のレーダーは1年前からうまく機能していなかったというのが今回の出来事で判明した。
更に問題は、バレンシアが洪水になる可能性があるという段階で、スペイン政府は『市民保護の為の緊急プラン』を発動させるべきであった。バレンシア州政府ではなくスペイン政府が舵取りをすべきであった。
ところが、スペイン政府はそれを発動しない上に、軍隊も現地に派遣しなかった。しかも、スペイン政府はバレンシア州政府から軍隊の派遣の要請を受けた段階で対応するという受け身の姿勢でいた。
バレンシア州政府が唯一頼りにしていたのは気象庁からの情報で、それによると午後から雨は少し緩やかになるという情報を出していた。ところが気象庁は、午後になって雨量が鎮まるどころか、逆に増加するのを見て予測を変更した。
午後3時すぎになると、一部の地域で川の水が氾濫し始めたのを観察。この時点で、州政府は迅速に軍隊と警察・治安警察の動員を要請し、その活動を許可すべきであった。が、それを行っていない。最終的にスペイン政府からの午後6時49分に洪水警報を受けた時点で、州政府は本格的に始動したというわけである。
例えば、筆者が在住している町から6キロ離れたアルへメシー市は甚大な被害を受けた。ところが、州政府からの洪水警報は一切なかったと同市のサンチス市長が語っている。
政権は政府は社会労働党、州政府は国民党。歯車が合わない
即ち、当日の午前10時の段階で、スペイン政府がバレンシア州政府に洪水の危険性ありと伝え、『市民保護の為の緊急プラン』を発動させておれば、迅速に軍隊などをバレンシアとその近郊都市に派遣できていた。ところが、実際に川が氾濫し始めた段階になってもそれを発動していないものだから被害が更に甚大となった。
この対応の遅さから、洪水に襲われて最初の4日間の被災者はバレンシア市内から駆け付けたボランティアの協力で対応しなければならなかった。実際に軍隊や警察は動員された。しかし、その数は2000人にも満たない数であった。75の自治体が被災しているのだ。この少人数の軍隊や警察ではできることにも限界があった。
国王夫妻らの視察は遅すぎた
そんな中での国王夫妻とサンチェス首相並びにマソン州知事のパイポルタ市への視察となったのである。被災者はスペイン政府と州政府の対応の遅さを痛烈に感じていた。しかも、5日間が過ぎても両政府からの対応が見えない状態にあった。そのような中での視察であった。だから彼らに向けて罵声を浴びせる被災者が出て来たのであった。
更に、恥ずかしい出来事が起きた。サンチェス首相がこん棒のようなもので背中を殴られた、という理由で待機していた公用車のところまで護衛に囲まれながら歩き、そこを去ったのである。一方の国王夫妻と州知事はその後も1時間余り被災者と対話を交わした。王妃の顔には泥を掛けられた跡も観察されたが、被災者との対話を続け涙を浮かべる場面もテレビカメラが捉えた。
この時、国王と対話した市民の一人は「国王への信頼を取り戻した」と語った(11月4日付「ABC」から引用)。その一方で、サンチェス首相は国王と州知事が彼に同行してその場を去らなかったことに不満を表明したのである。
これが、スペインの首相の人間的にみすぼらしい本当の姿である。首相になる器量も資質もない政治家が、国の指導者になった悲劇が今回の多くの犠牲者を出したことに見られる。しかも、サンチェス首相が暴行を受けたというのは偽りであり、暴行を受けたのは彼を背後から守っていた護衛官であったということもカメラが捉えている。
11月5日、政府は5000人の軍隊と5000人の警察と治安警察を派遣したと発表した。しかし、翌日の被災者からは彼らの姿は見えないと語っている。