「悠仁さまより愛子さまが天皇にふさわしい」という勘違い

国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)の報告は、皇位継承における男子優先について他の国の事例も参考にしろといっている。それなら、ヨーロッパ諸国でもすべてすでに生まれている子については、新原則は適用していないのだから、愛子天皇はありえず、秋篠宮皇嗣殿下と悠仁さまの地位には影響しないということはすでに書いたが、あらためてYahoo!ニュースに転載された。

国連委の勧告は「愛子天皇」の追い風にならないと皇室評論家が主張するワケ

国連委の勧告は「愛子天皇」の追い風にならないと皇室評論家が主張するワケ(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース
● 国連の女性差別撤廃委員会の 最終見解に日本政府が抗議  女性差別撤廃条約の実施状況を審査する国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)が、スイス・ジュネーブで8年ぶりに開かれ、10月29日に日本政

ひとこと言いたい方はヤフコメでどうぞなのだが、ヨーロッパ諸国の例を参照しても愛子天皇にはならないという点より、国連がけしからんとか、そんなことはないという入り口の議論のコメントが多いのは残念だ。

愛子内親王と悠仁親王 宮内庁HPより

この問題について、私は君主の継承原則は、できるだけ変更しない方がいいという立場だ。つまり、世襲君主制の正統性というものは、前例を踏襲していることにあるのだから、それは絶対ではないが、変更したら権威はひどく落ちるし、対立も生まれる。

だから、変更するとしても、できるだけ従来原則を貫徹しようという努力をしたうえでなければ内戦や制度の危機をもたらすというのが歴史の教えるところだ。

一方、継承者がいなくなるのは何より困るから、女性や女系の継承も道を閉ざすべきではないとは思うから、私は頑迷な男系はない。悠仁さまに男子がなかったときのことも考えて、旧宮家の復帰と女系継承とどちらも用意して、そのときの世代にまかすべきだと思う。

ただ、悠仁さまか愛子さまかという議論は、当事者にも悪い影響を与えるので、いい加減に止めてほしい。

それは、すでに秋篠宮皇嗣殿下を皇太子と同様の扱いにすることが2017年の法律で決めたばかりであり、秋篠宮皇嗣殿下の継承者は悠仁さま以外にありえないのだからというのも理由だ。

それから、もうひとつ、根強く悠仁さまは、ひ弱だとか成績が悪いとか、それに比べて愛子さまは天皇に是非なっていただきたい素晴らしい方だというデマが広く国民に信じられている。

しかし、悠仁さまは筑波大学附属で普通の成績のようだ。

これについては、筑波大学附属からの公式見解はないのは当然だが、朝日新聞社などによる関係者からの取材でもそうだし、推薦入学の可能性が取り沙汰されることは、そこそこの成績と共通試験での良い成績が見込まれることを意味する。

また、お茶の水大学附属からは公式に、良い成績であったことや、学業の様子、他の生徒との関係が詳細に発表されインタビューもされている。

一般入試で東京大学に行けるほどではないようだが、早稲田慶応あたりの実力ということになるし、そうであれば、レベル低下が顕著な学習院などに行ったら、周囲から孤立する成績になってしまので不適切だ。

体力も12歳のときに槍ヶ岳にのぼっているし、スポーツも好んでおられ、なんの問題もないし、社交的というわけではないにしても、学園祭などの様子でも同級生たちから孤立されている様子もない。帝王教育も、両親だけでなく上皇御夫妻からも指示が色々されていると報道でも伝えられている。

本当は両陛下からも指導があるべきだし、成年後はとくにそうあるべきだが、皇后陛下の状況から難しいかもしれない。

一方、愛子さまについては、高校までしばしば不登校を繰り返されたのは事実だが、大学も三回生までは、ほぼまったく通学されなかった(外出もほぼゼロだった)。四回生もゼミなどだけで、大勢の学生と学ぶとか、学生生活を楽しまれることはないままだった。学園祭もお忍びでお出かけになっただけだ。

また、成績が抜群で東京大学にも進めるくらいと週刊誌で噂があると報道されたこともあるが、文科系科目はよくおできになるようだが、理科系は苦手と報道されているし、そもそも、学習院から東京大学への進学できる生徒は最近、ほとんどいないから少し違うと思う。

また、成年行事の際には、通過儀礼ともいえる記者会見を四ヶ月先延ばしになったし、武蔵御陵・伊勢神宮・神武陵への参拝はされないままで終わってしまった。

さらに、単独公務も眞子さま16歳、佳子さまや清子さま19歳で始められたのが、22歳の終わり頃だったし、たとえばスピーチを伴うものはまだだ。

朝のスタートが苦手でおられることは、お子さまの時から現在までそうだ。これらは、憶測とか言うものでない。

こうした状況をどう解釈するかはともかくとして、決められた時に決められたことをし、知らない人とも分け隔てなく接するという帝王というものだ。

こうした状況をどう解釈するかはともかくとして、決められた時に決められたことをし、知らない人とも分け隔てなく接するというのが帝王というものだ。もし両陛下が愛子さまを天皇にというお気持ちが少しでもあるなら自由に伸び伸びという育てかたにはされなかったはずである。

このようなお二人の状況とまったく違ったイメージで議論がされるのはいかがなものか。愛子さまにはご結婚後もご本人だけ皇室に残ってもらうという有識者会議の案は、愛子さまの個性がいかせる妙案なのだ。


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