選挙直後から囁かれたとおり、米国は大統領・上院・下院をすべて共和党が押さえるトリプルレッドが決まった。2016年と異なり、トランプがハリスを総得票数で上回るのもほぼ確実で、実質4冠。非の打ちどころのない一方的な全面勝利である。
過疎地に住む人種偏見の強い白人といった、従来イメージされた「トランプ支持者」だけで、こうした結果が出せないことは明白だ。むしろ今回、共和党候補への白人の支持は微減しており、そこに希望を見出す議論もある。
圧勝の鍵を握ったのは、マイノリティの動向だ。たとえば、投票の前から話題になっていた「激戦州のアラブ系票」(ミシガン州ディアボーン)は、ハリスを嫌ってむしろトランプに流れたと、現地の指導者は語っている。
トランプ次期大統領は選挙戦で何度もミシガン入りし、トランプ氏に懐疑的だったイスラム教指導者らに「私ならガザでの戦争を止めることができる」と呼びかけ、支持を取り付けた。ディアボーンは民主党支持が圧倒的に多かった地域だが、今回の選挙でトランプ氏がハリス氏を6ポイント上回った。
(中 略)
カーンさんは「トランプ氏は今回の選挙でアラブ系の重要性を認識したはずだ。かつてのトランプ政権時代のような反イスラム政策はしないはずだ」と語った。
強調は引用者
親イスラエル最強硬派のトランプに期待するなんて、騙されてる、と感じる人は多いだろう。しかし、他のマイノリティ(特にヒスパニック)に関しても、今回はトランプが得票を伸ばしたとする分析が多い。
これが意味するところは、米国に限らず世界にとって、とても大きい。ざっくり言うと、偽善で言い寄られるよりは、明白な悪の方がマシだと考える人が増え、「ダブスタな政治の終わり」が始まっているのだと思う。
「多様な人種や文化を尊重します☆」とか言ってる人に、自分のアイデンティティだけを切り捨てられるのは、耐えがたい。だったらむしろ、「オレ様の考えがすべてだ!」な暴君に踏みにじられるほうが、まだ楽だ。――という気持ちがわからない人は、端的に社会経験が足りない。
ダブスタ自体は、ダブル・スタンダード(二重基準)を略した日本のネットスラングだけど、米国でもハリスの敗戦責任を追及して「弱者に優しくと言いつつ、助けるのは『お仲間の少数派』だけで、いちばん貧しい人を見棄てたじゃないか!」といった声は、かなり強い。
これはもう、ごもっともと言うほかはない。なので例のごとく、来月の月刊誌あたりから、同じ論調をコピペして「正しい発言」をした気になるセンモンカが、この国でもわんさか出るだろう。
はっきり言っておこう。そんなことに今さら気づくのは遅いし、なによりその見方は浅い。
人間は、そもそも「ダブスタを生きる動物」なのだ。その自覚抜きに「ダブスタが悪かった」なんて言っても、それ自体が口先だけの、新たなダブスタになる。
なぜヒトはダブスタを生きるかというと、「身体と言語」の双方に跨って、矛盾を抱えながら暮らしているからである。そのことを、最初のトランプ当選についての分析も含む、『知性は死なない』(2018年)で前に書いた。
たとえばホームレスがあなたの家をノックして、「あんたら一家は贅沢しすぎだ。食事を一品ずつ抜けば、そのぶん俺が一食たべられる。そうしないのは偽善だ!」と言ったとする。理屈としては通っている。では、言語で説得されたあなたはふむふむと納得して、彼に奢ってあげるだろうか。
もちろん99.9%の人はそうせずに、警察を呼ぶ。いくら社会的な平等が大事でも、身体的な近接感が作り出す共同性(この場合は家庭)の内外で、ケアの多寡を使い分けるのは、誰もがやっていることだからだ。
この意味では言語と身体のダブスタを、私たちは日々に生きている。逆にいうと言語か身体か、片方の「シングル・スタンダード」に統一しようとしたくなったら、それは日常が壊れてヤバい世界に陥ることの徴候だ。
”The personal is the political” (個人的なことは政治的なこと)とは、ふだんは身体でのみ体験する自明な日常について、いちど言語を経由して考えなおそう、とする標語だった。その初心を忘れ、言語の論理で身体を圧殺するのが「政治的に正しい」と思い込むと、グロテスクなことになる。
TikTok(ティックトック)には大統領選後、4B運動に賛同し男性との接触拒否を誓う動画が次々と投稿された。「米国人女性としての役割を果たすため、共和党支持の恋人と別れた」と主張する女性の動画が約900万回閲覧され、「男性はいつも女性の邪魔をする」と泣きながら訴える女性の動画も人気を集めている。
「4B」の語源はリンク先を参照
狂っている(爆)。てか、恋人とも「意見の違い」を話しあえない人が、どうやって社会の分断を埋めるんだろう。米国人は民主主義ではないの?
トランプがポリコレを粉砕したぞ! と舞い上がる人をちょくちょく目にするが、ポリコレとは要は「言語で身体を制圧する」試みだった。そうしたシングル・スタンダードへの志向が、「オレ様の身体感覚だけが絶対だ!(言語とかイラネ)」とする180度逆のシングル・スタンダードに、今回カウンターパンチを食らって吹き飛んだ。
世界の各地で見られる原理主義の高まりも、「近代と伝統」「輸入と土着」のダブスタを、シングル化する運動として捉えればよくわかる。欧米に留学したりして、彼らに合わせましょうと唱えるインテリ人士が迫害に遭い、その地域に固有の論理を体現する、専制的な支配者が台頭してゆく。
だから就任後にトランプがプーチンと握手したとしても、それはトランプがアメリカにとっての「遅れてきたプーチン」だからであって、逆ではない。米国の潮流が世界に影響を広げるのではなくて、むしろ彼らこそが世界を追いかけている。アメリカは後進国だったのだ。
これから始まるというか、すでに始まっているのは、地域や集団により異なる「複数のシングル・スタンダード」の衝突であり、戦争だろう。
そうした深みに立つ議論だけが、未来の世界地図を照らしてゆく。国外の報道がネットでも即時に日本語で流通し、海外事情を「知る」だけなら専門家など必要としない現在、ものを書く人の仕事は「考える」ことの他にない。
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年11月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。