ウクライナ政治の悲劇:民主化への道はどう「戦争に」開かれたか

あまり知られていないが、ヘッダーの左の本の著者は私の指導教員である。専門が明治維新史なので、実は私も博士論文は「実証的」な明治史だった(笑)。かつ琉球処分という「領土の併合」を国際関係史の立場で研究したので、ウクライナでいま起きている問題にも関心を持ってきた。

開戦から2か月強の時点で、「はっきり勝ち負けをつける」形で戦争を終えようとする姿勢に懸念を呈したのは、(いちいち書かなかったけど)当時の研究成果を踏まえてのことである。だが絶版になった私のデビュー作なんて、どうせ誰も読んでないから、今回はその話は別にいい。

プーチンの戦争が終わらせる戦後日本の「曖昧な平和主義」
<勝敗を「曖昧にすること」でウクライナ戦争を終えることは、もはや困難に見える。それは戦後の日本人が冷戦以来ずっとなじんできた、「曖昧さゆえの平和」を大きく揺るがす> 2月にロシアが始めたウクライナ戦争...

日本のSNSには、2022年に突如プーチンが発狂し「ロシアの領土を拡大して歴史に名を残そう」としてウクライナに攻め込んだ、と思っている人が多く、そうした無知をよしよし・なでなでして応援団に仕立ててきたのが無責任なセンモンカだが、その話も別にいい。

もっと大事な話をしよう。

あたり前だがロシア・ウクライナの軋轢の原点を探ると、1991年末のソ連邦解体に行きつく(この頃プーチンは、駆け出しの地方政治家にすぎない)。少ない流血で巨大な専制体制が崩壊したことは、西側の世界を驚かせるとともに、喜ばせた。

それを可能にしたプロセスは、日本史でいうと「死者の少ない明治維新」にけっこう似ている。指導教員の本を書評して、本人にそう伝えたら好評だった件は、2021年の春に紹介した。

「NHK出版新書を探せ!」第16回 歴史研究から普遍を問う――與那覇潤さん(歴史学者)の場合〔前編〕|本がひらく
 突然ですが、新書と言えばどのレーベルが真っ先に思い浮かびますか? 老舗の新書レーベルにはまだ敵わなくても、もっとうちの新書を知ってほしい! というわけで、この連載では今を時めく気鋭の研究者の研究室に伺って、その本棚にある(かもしれない)当社新書の感想とともに、先生たちの研究テーマや現在考えていることなどをじっくりと伺...

もともとはソビエト共産党の書記長に全権力があり、ロシア共和国の首脳が誰かなんてどうでもいいはずだった。ところがゴルバチョフ書記長がクーデターで一時軟禁されたりした結果、「いつの間にか、ゴルビーよりエリツィンのほうが権力持ってない?」という雰囲気になってしまった。ロシア共和国大統領のエリツィンに実権があるのなら、ソ連なるものが別途存在する意味がわからない。こうして、あっという間に連邦は解体されました。

維新史再考』が描く幕末の政治過程も、マクロに見ると似ているんです。長州藩が公然と逆らっても鎮圧できないくらい、江戸幕府の統治能力はどんどん落ちていく。結果として将軍の徳川慶喜はじめ、国内の有力者たちがしばしば京都に出てきて、混乱の収拾法を話し合って決めるようになります。でも、そうなったら「もう京都の朝廷だけでいいじゃん。江戸に幕府がある意味って、なに?」ということになる。

強調は今回付与

訳書で『帝国の興亡』が出ている歴史家ドミニク・リーベンのウクライナ戦争観に、注目してきたのもそのためである。彼に従えば、「無血解体」のハッピーエンドに見えた帝国崩壊のプロセスは、実はいまも続いており、30年近く経ってついに火を噴いたのが、2022年の2月だったわけだ。

いったいどこで、誰にとっても望ましい「平和裏な連邦解体から民主化へ」のストーリーは、暗転してしまったのか?

私たちの内に潜む「小さなプーチン」──古典『闇の奥』が予言する、2023年の未来とは
<社会から強制されることを歓迎すらしてしまう、私たちの危うさ。それに呑み込まれた体験を忘却し、あたかも美しいストーリーとして語り直す、歴史修正主義の闇が始まる> 2022年ほど、「時間の流れ方」が不透...

現在、主たる戦場となっているドネツク州は、石炭資源と工業設備に恵まれた豊かな地域だった。なので同地の支配層(オリガルヒや経営者)は、キーウの中央政界に進出することで、独立したウクライナの実権を握ることをめざした。彼らの自意識では、「稼げない」他の地域を養ってやる以上、それが当然、ということになっていた。

東部の経営者やその利益代表(地域党)は、「東部は中央政府に税金を払いすぎているから貧しいのだ」、「東部はウクライナを養っているのに、中央政府から然るべき待遇を得ていない」と論じて争点逸らしをしたのである。
この論法は東部住民に支持され、共産党から票を奪い取る上では効果があったが、ウクライナ国家の一体性という点では危険を孕んでいた。
(中 略)
地域党のドンバス支配が堅牢であるうちは、「自分たちはウクライナを養っている」という自尊心とウクライナの連邦化要求は親和した。しかし、地域党の東部支配が崩壊すると、この自尊心は分離派に利用されることになったのである。

松里公孝『ウクライナ動乱』ちくま新書
2023年7月刊、98-99頁

「平和裏な民主化」を達成した明治維新でいうと、これは徳川斉昭や松平慶永らの有力な地方支配者(大名)が、幕政への参加を要求し始めた段階に近い。この時点では、いわゆる幕藩体制自体を抜本的に覆す改革は、想定されていなかった。

政治的な弾圧や、それに反発するテロが起きても、まさか国内を二分して「内戦」を始めようとは誰も思わなかった。ところが、各地域で下級藩士が実権を握り出すと、これがいけない。一気に現体制の全否定へと、ドライブがかかる。

2014年のユーロマイダン革命、
キーウでの武力衝突
(写真はWikipediaより)

ウクライナ東部の有力者が担ぐヤヌコヴィッチ政権が、2014年のユーロマイダン革命で打倒されると、ドンバスの側でも「既存の国家体制の枠内ではもう無理だ」として、急進的な分離派の過激路線が主流となる。ご存じのとおり、ロシアによるクリミア併合が起きたのも、このときである。

しかしプーチンは、2014年にはドンバスへの本格介入に消極的で、現地勢力が企図した「独立」への住民投票にも延期を勧告した。なぜか。

その最大の動機は選挙である。
(中 略)
クリミアに加えて、300万票から500万票のドンバスの親露票(人民共和国の実効支配領域の広さによって増減)がウクライナから消えたとすれば、ウクライナ大統領選挙では〔、〕ウクライナのNATO早期加盟を掲げるような候補しか勝てなくなる。
したがって、「クリミアはとったがドンバスはウクライナに押し戻す」というのが、ロシア指導部にとって最も旨味のある政策だったのである。

同書、322頁(算用数字に改変)

相当数の「親露派」が票田としてウクライナ国内に残り、同国の大統領選で「親露的」な候補を勝たせる状況こそが、プーチンには最も好ましかった。逆にいうと、2022年2月の侵略は「その可能性は消えた」と、彼が見切ったことで始まった。

幕末以降の日本でも、有力者どうしが現体制の内側で実権を分けあおう、とする試みが破れた後は、周知のとおり戊辰戦争という内戦が起きている。その死者数が低くて済んだ――1万4000人弱だが、ほぼ同時代のアメリカ南北戦争は62万人――のは、以下の理由によるであろう。

① 地理的にどこまでが日本か、という国土の領域に関しては、ほぼ争いがなかった(この条件は、ウクライナにはない)。
② 国民国家が形成される以前であり、兵士としての動員が主に武士階級のみに限られた(ウクライナにはない)。
③ 片方の勢力を支援して、軍事力を送り込み介入する隣国がなかった(ウクライナにはあった)。
④ 19世紀の後進国では、殺傷能力の高い兵器が限られていた(ウクライナでは限られない)。

三谷博『民主化への道は…』を参照しつつ
筆者作成

「シングル・スタンダード」のように全世界に押しつけてよいかは別として、政治の民主化を求める欲求には、普遍的なものがある。だがそれが軍事的な犠牲なくして実るかは、歴史のタイミングと地政学的な環境によって、変わってしまう。

まさに偶然としか呼べない要素によって、成否が左右される。日本の「民主化への道」が、ウクライナのようなルートを辿らなかった理由は、つき詰めて言えばただの運である。

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歴史における偶然の役割を知ることは、現状が「こうでなかった可能性」に目を向けるとともに、異なる地域への共感を養う土台になる。「たまたま」自分が恵まれていて、他人が不幸であると認識するのは、支援に踏み出す第一歩だからだ。

対して、あらゆる地域が欧米型の民主主義へと進み、その結束はけっして揺らがず、無限に支援が続くことで「正しい」側が勝利するといった必然の語りによる現状の説明は、ただの嘘である。そんな「ファンタジー史観」に、いくらオタッキーな専門知を乗せようと、なにも実現しない。

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まともな歴史感覚抜きに、軍事力という1つのパラメータだけを上げ続けて、課題を解決しようとする発想にこそ躓きの石がある。そうした安易な支援者しか得られなかったことが、ウクライナ政治の最後の悲劇であった。

「民主化への道」を歩むはずだった
2014年のキーウ
(写真はWikipediaより)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年11月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。