シリア情勢を見極めるための10のポイント

シリアのアサド政権が崩壊してから、情報が混乱している。シリアの知識が浅い方々が奇妙なことを言っているから、ではない。長年シリアに関わってきた方々が、「アサド派の〇〇を糾弾せよ」の日本国内の特定人物の誹謗中傷ばかりに熱を入れているからだ。

もちろん事態は依然として流動的である。確定的な未来を予測するのは難しい。だがそれだけに、注意しておくべき点に注意を払う姿勢は、失うべきではない。

1.政権の内実

当然の話だが、新政権の内実には、必ずしも明らかではないところがある。巷では、HTS(タハリール・アル=シャーム)中心の勢力が、どれくらい旧政権関係者に復讐をするのか、少数民族集団などをどう扱っていくのかが、大きな焦点になっている。HTSがアルカイダか否か、といった物語をめぐって人格攻撃にも至る口論が起こっているが、すでに以前の記事で述べたとおり、そのことを字面通り受け止めて論争することには、あまり実質的な意味はない。HTSがイスラム主義のイデオロギーを持っていることに疑いはないが、アサド政権崩壊の過程で、各外国勢力と通じていた実利的な面も見せている。旧アサド政権の関係者で、新政権と協力している者もいる。行政機構の職員は、温存される方針だ。それが何を意味するのかは、まだ見えてきていない。

HTSの指導者 アブー・ムハンマド・アル=ジャウラーニー氏

2.HTSとSNAの関係

ダマスカスをめぐる動きで一番大きな焦点となるのは、アサド政権崩壊まで連携したHTSとSNA(シリア国民軍)が共闘し続けられるのか、だろう。アサド政権に対抗し続けた諸集団の中で、際立った勢力を誇る。二つともトルコの支援を受けているが、より緊密にトルコとつながっているのは、SNAのほうだ。クルド系住民居住地区の取り扱いやイスラエルとの関係などの争点をめぐって、両者の違いが鮮明になる可能性はある。

3.少数派集団の動向

イスラム主義の傾向を強く持つ新政権が、少数者集団をどう扱うかが、注目されている。宗派的には、アサド前大統領の出身母体であるアラウィー派の人々は、新政権の治安関係の部署からは排除されることが布告された。他の政府機関からも排斥される可能性も高いだろう。キリスト教徒に対する差別的行動の現象も目撃されている。今後の情勢を見極めるために特に重要なのは、ドゥルーズ派の人々の動向だ。今回のアサド政権崩壊をけん引した諸勢力の中で、南部で蜂起したのは、「南部作戦室(Southern Operations Room: SOR)という共同戦線だが、SORを攻勢している諸勢力の中には、南部に住民が多数住むドゥルーズ派の人々などが含まれている。この系統の人々は、アサド政権崩壊までは共闘したとして、今後もHTSやSNAと協力していくのかどうかは、わからない。シリア領ゴラン高原をイスラエル軍が占領したのに反応して、対象地のドゥルーズ派の住民が、ダマスカスの新政権の支配よりも、イスラエルの統治を望む、と主張している村落の集会の動画なども出回っている。

4.国家体制をめぐる対立

新政権の政策の内容が不透明であることは、言うまでもない。新政権は、憲法の停止を宣言したうえで、新たな憲法を作るとしているが、具体的な内容の取りまとめには難航も予想される。中東の世俗国家としてのアイデンティティを持っていたシリアがイスラム主義へと舵を切っていくと思われるが、どの程度、どのように、そうなるのかは、未知数だ。憲法の内容によって、内政面だけでなく、周辺国との関係にも、影響が出てくるだろう。

5.クルドの動向

シリアの領土の3割といった面積を支配しているのは、北東部を拠点にするクルド系のSDF(シリア防衛軍)だ。このまま独立でなくても、大幅な自治権を確立したいはずである。すでにアサド政権崩壊時から、トルコに支援されたSNAが、そのクルドの動きを封じこめる動きに出ている。北部におけるSDFとSNAの武力衝突は、とりあえずの停戦状態に至った。アメリカが調停したと言われる。東部に自国の基地と、その周辺の特別区域を維持するアメリカは、SDFと緊密な関係にある。現在はそれだけに、SDFにダマスカスの新政権と良好な関係を構築してほしいと、アメリカは願っているようである。だがそれは簡単なことではない。

6.ロシア基地の帰趨

ロシアは地中海沿岸部に、ラタキアのフメイミム空軍基地とタルトゥースの海軍基地を持っている。すでにこれらの基地から、航空機・船舶と人員を移動させている動きを見せていることは報告されている。だがこれはまだ、とりあえずは一時的な避難の域を出ていない。ロシアとシリア国家の間には、基地使用に関する協定があるため、新政権が協定破棄の明示的な動きを取らない限り、むしろ維持されるのが基本だ。ロシアは、HTSがアレッポを11月末に陥落させた後、空爆を行った。しかしその後のダマスカスまでの12月の南進に際しては、手を出さなかった。アサド政権を見限って「損切り」をした動きであったと言える。HTS側も、地中海沿岸に軍事的侵攻をする目立った動きを見せていない。ロシアの核心的利益は、アサド政権擁護ではなく、基地の維持である。そのための「損切り」であったことは、新政権側にも伝わっているだろう。「損切り」の着地点はまだ見定まっていないが、必ずしも単純ではないものになるだろう。

7.トルコの野心

オスマン帝国の復活を夢見ていると描写されることが多いトルコのエルドアン大統領は、アサド政権の崩壊で、最もその存在感の大きさを見せつけた人物だ。新政権の勢力に一番大きな影響力を行使できるのは、疑いなくトルコである。そのトルコのカルン情報局長官は、12月12日にいち早くダマスカスを訪問し、その影響力を強くアピールした。注目すべきは、トルコのフィダン外相が、アサド政権崩壊前の12月8日のドーハフォーラムの際に、ロシアとイランの外相と、三者会議を行って見せていたことだ。当時ロシアはトルコに怒っているのではないか、という見方があったにもかかわらず、フィダン外相は三者の中央に座り、むしろ会合を主導していることを示した。ロシアとイランが、新政権との対立を避けるのであれば、トルコを仲介者にするしかない。トルコも、そのように外交力を発揮することに関心があるだろう。しかしトルコの影響力は、シリア国内の複雑な諸勢力のせめぎあいの中では、両義的な意味がある。トルコがどれくらい突出し、それにシリア人がどのように反応するかは、地域諸国との関係を見た際の最大の焦点になる。

トルコ共和国・エルドアン大統領 トルコ大統領府公式サイトより

8.イラン「抵抗の枢軸」の反応

アサド政権は、イランがレバノンのヒズボラに支援を提供する際の重要な中継点を提供していたとされる。イランにとっては、アサド政権の崩壊は、「抵抗の枢軸」の結束に大きなひびを入れる重大事件である。恐らくアサド政権の崩壊で、最も明快に政治的損失を受けたのは、イランであろう。2003年のアメリカの侵攻でサダム・フセイン体制が倒れた後のイラクが、少数派のスンニ派支配が終焉して多数派のシーア派が政権を担当する国に変化していったのとちょうど反対に、シリアでは少数派のアラウィー派の支配が終焉し、スンニ派の支配が始まる。イランにとっては付け入る余地がない。今は、両国の間にあるイラクの防衛に専心する姿勢を垣間見せている。これによってさらに大きな損益を被るのが、地中海沿岸に位置しながらイランの支援を受けてきたヒズボラやハマスだ。イランは、このまま「抵抗の枢軸」の縮小を図り、パレスチナ問題との連携を弱める路線に舵を切るのか。鍵となるのは、イランのトルコとの関係だろう。

イスラム革命最高指導者ハメネイ師 IRNA通信より

9.イスラエルの目論見

イスラエルは、アサド政権崩壊とほぼ同時に、非武装地帯として設定されている緩衝地帯に、軍事侵攻を始めた。イスラエルとシリアの引き離しを狙って、シリア領であるにもかかわらず、非武装の緩衝地帯として設定されていた地域だ。明白な合意違反だが、イスラエルはゴラン高原全域を占領し続けるだろう。ゴラン高原の完全制圧で、シリアとレバノンの両国の勢力に対して、イスラエル軍は、顕著な優位を確立できるからだ。さらにイスラエルは、旧アサド政権軍の軍事能力を消滅させるための空爆を数日にわたって継続し続けている。今や旧政権の航空兵力などは、完全に無力化された状態だと推察される。こうしたイスラエルの行動を、HTSは問題視する素振りすら見せていない。アサド政権崩壊まで、政権軍に執拗な空爆を繰り返して、HTSなどの勢力の進軍を側面支援していたのは、イスラエルだ。側面支援に対する対価に等しいという共通理解があることがうかがわれる。イスラエルの夢は、国境付近のドゥルーズ系住民などと結び、砂漠を越えてアメリカ軍が基地を持つタンフ(at Tanf)を通って、親米勢力クルド住居地区とを結ぶ「回廊」を作り上げることだ。これによってイランの「抵抗の枢軸」勢力の動きを、物理的に封じ込めることが容易になる。ただし、このイスラエルの目論見の前に、トルコが立ちはだかる。クルド系勢力の拡大を阻止したいからだ。

イスラエルのネタニヤフ首相 同首相インスタグラムより

10.アメリカの自重

シリア情勢の急速な展開において、アメリカは存在感を見せていない。もちろん目に見えないところで暗躍しているとは思われるが、タンフに軍事基地を置いているにしては、目立っていない。この背景には、バイデン大統領が任期を一カ月残すだけのレイムダック状態にあることが、大きいだろう。トランプ次期大統領は、「シリアに介入してはいけない」とバイデン政権をけん制するようなポストをSNSに投稿した。すでに新政権の人事案も決まり始めているだけに、このトランプ氏の姿勢は、大きな効果を持っているだろう。アメリカの不介入主義の姿勢は、イスラエルやアラブ諸国の意向や動向に左右される要素もあると思われるが、基調路線に変更はないだろう。ただトランプ氏は、中東和平に意欲を持っている。トルコやロシアは、トランプ氏がやはり重大な関心を持つウクライナ情勢と深く関わる勢力だ。もともとアサド政権の弱体化の主要要因は、アメリカが主導する国際的な制裁体制で、経済が悪化したことにある。トランプ氏は、いずれにせよ、シリアに対する制裁を解除するかどうかの判断を迫られる。仮にトランプ氏が不介入主義を貫くとしても、制裁をめぐる政策などについて、アメリカの姿勢は、全く無関係ではない。

トランプ氏インスタグラムより

篠田英朗国際情勢分析チャンネル」(ニコニコチャンネルプラス)で、月2回の頻度で、国際情勢の分析を行っています。