この記事を読んだとき、「遂に出てきたか」という感慨を受けた。ローマ教皇選出会(コンクラーベ)の廃止を訴えた記事だ。
この発言者はバチカン批判者ではない。むしろローマ教皇庁も認知している高名な神学者、オーストリアのパウル・ツーレーナ氏だ。その同氏が同国のカトリック系週刊紙「ディ・フルへ」(最新号)とのインタビューの中で語っているのだ。ジャーナリズム的に表現すれば、‘爆弾発言’だ。
同氏は非常に論理的に語り、フランシスコ教皇の発言を引用しながら、「コンクラーベは中世の遺物」と言い切っている。そのうえで、各国の司教会議を中心としたシノドス的な教会改革を提案しているのだ。
ツーレーナ氏の「コンクラーベ廃止論」に関連する発言を紹介する。「現在カトリック教会で規定されているコンクラーべはもはや時代遅れだと考える。教会のより大きなシノドス性(協議性)は、教皇選挙の改革を意味する」、「なぜ教皇選挙が、教皇自身が自由に任命する枢機卿たちの手に委ねられるべきなのか。私は、コンクラーべは中世の遺物だと考えている」というのだ。
フランシスコ教皇が任命した枢機卿の数は現在、80歳未満のコンクラーべ参加有資格者の3分の2以上を占めている。フランシスコ教皇は次期教皇選出会を視野に入れ、2013年3月以来、これまで10回、枢機卿任命式を実施してきた。今月7日に新たに21人の枢機卿を任命したばかりだ。
フランシスコ教皇選出の枢機卿数は132人で枢機卿内でも既に多数派だ。選出された枢機卿はフランシスコ教皇の改革路線を支持する聖職者、少なくとも改革派であることはいうまでもない。
フランシスコ教皇が任命した132人の枢機卿のうち、99人が現在、80歳未満でありコンクラーベの投票権を持っている。だから、フランシスコ教皇が亡くなったとしても、次期教皇はフランシスコ教皇によって任命された枢機卿たちの手にある。ポスト・フランシスコはフランシスコ教皇の路線が継承されることがほぼ間違いないわけだ(「次期コンクラーベで主導権を握る教皇」2024年12月14日参考)。
ツーレーナ氏は「各大陸の司教会議が新しい教皇を選ぶためにローマへ代表を派遣するべきだ。それがシノドス的な方法だ。枢機卿を任命した教皇や枢機卿には敬意を払うが、それはもはやシノドス的な教会には適合しない古い仕組みだ。教会のシノドス化が真剣に受け止められるなら、これまで通りを続けることはできない」と強調する。具体的には、コンクラーベで枢機卿が次期教皇を選出するのではなく、各国の司教会議の代表たちが話し合って決めるというのだ。
ツーレーナ氏によれば、フランシスコ教皇自身が「教皇職も将来的にはシノドス的に行使されるべきだ」と述べている。それは第1バチカン公会議(1869~1870)で描かれた絶対主義的で君主制的な教皇像と決別を意味するわけだ。換言すれば、教皇の中央集権制から非中央集権化だ。ローマ教皇がバチカンで枢機卿たちだけが集まり、世界に約14億人の信者たちの牧会の諸問題を協議する代わりに、教会で牧会を担当する現場の司教たちが集まって解決策を模索していくというわけだ。
問題は出てくる。グロバリゼーションの時代、ソーシャルネットワークが発展してきている現代社会、聖職者もそれらの影響を受ける。世論調査が行われ、フェイクニュースが溢れている情報社会で生きている聖職者もやはり人間だ。意見は多様化し、牧会一つ上げても多様なやり方が考えられる。国、地域でその文化、慣習は異なる。そのよう時代環境圏で果たして各国の司教会議が統一された 教会を維持できるだろうか。ボトルアップで統一した教会体制がキープできるだろうか。
例を挙げる。ドイツのカトリック教会で聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発し、その対応で教会指導部が混乱している現状に対し、信者からだけではなく、教会指導部内からも刷新を求める声が高まってきた。
そこでドイツ司教会議は2022年6月、教会の権力分立、指導部と平信徒の関係改善を核とした内容の改革案をバチカンに提出した。具体的な改革としては、①司教の任命について信者に発言権を与える、②同性カップルのための祝福を正当化する、③女性聖職者の任命、等が含まれる。
それに対し、バチカン教皇庁は「普遍的な教会のシステムを一方的に変更することを意味し、脅威となる」として「ドイツ教会の行き過ぎ」に警告を発した。フランシスコ教皇自身も「ドイツには立派な福音教会(プロテスタント派教会=新教)が存在する。第2の福音教会はドイツでは要らないだろう」と述べ、ドイツ教会司教会議の改革案に異議を唱えている(「教皇『教会改革も行き過ぎはダメ』」2022年7月23日参考)。
問題の核心は、教会体制でトップダウン方式かボトルアップ体制かの選択ではないだろう。独裁的な教皇が誕生するか、ポピュリストの教皇が選出されるかの問題ではないはずだ。神を信じ、人類の救済を訴える教会に神の聖霊の働きがあるか否かではないか。コンクラーベ廃止論には、一歩踏み込んでいくと、ペテロの後継者が主導するカトリック教会の終焉をもたらす深刻な問いかけが含まれている。
コンクラーベ(Conclave)は、カトリック教会において新しい教皇を選出するために開催される会議だ。その歴史は初期キリスト教時代にまで遡る。現在のような形式に至るまでには多くの変遷を経てきた。
初期キリスト教では、教皇はローマの聖職者や信徒、時にはローマ帝国の承認によって選ばれた。 初期には信徒も選挙に参加しており、教会全体で教皇を選ぶことが一般的だった。しかし、政治の影響:時代が進むにつれ、世俗権力(特に東ローマ皇帝や神聖ローマ皇帝)が教皇選出に大きな影響を与えるようになり、政治的干渉が増した。
それが11世紀に入ると、教皇ニコラウス2世が発布した勅令In Nomine Dominiにより、教皇選出の権限がローマの枢機卿団に限定された。これがコンクラーベ制度の起源だ。選挙権は司教や枢機卿の聖職者に与えられた。
ルネサンス時代(15~16世紀)に入ると、教皇職の権威増大:ルネサンス期には教皇職が政治的にも経済的にも強大化し、教皇選挙がますます政治化した。買収と汚職:選挙活動において贈収賄が横行し、一部の教皇は強い世俗的な支持を得て選ばれた。トリエント公会議(1545~63年)で改革の要求が出てきた。教皇選挙をより霊的で公正なものにする改革が求められた。
しかし、19世紀初頭、ナポレオンが教皇選挙に干渉したことで、政治からの独立が再び課題となった。20世紀に入り、現代のコンクラーベが確立していく。1970年には選挙権を80歳未満の枢機卿に限定された。教皇死去または退位後、全枢機卿団が召集され、15~20日以内にシスティーナ礼拝堂で選挙(無記名投票)が行われ、当選には投票者の3分の2以上の賛成が必要となった。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年12月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。