発売中の『文藝春秋』2025年1月号の読書欄は、年末恒例の「今年の3冊」特集。私も隔月コラムの担当者として、寄稿しています。
上記からも飛べるとおり、私が挙げたのは――
① 会田正継『それでもなぜ、トランプは支持されるのか』
② 池田嘉郎『ロシアとは何ものか』
③ 大場一央『戦う江戸思想』
でした! 米露日を扱う1冊ずつですが、どの本にも共通するのは、「近代以前」にその地域が持っているルーツを捉えなければ、いま目の前で起きている変動を理解できないとする視点です。
『近代以前』はその昔、江藤淳が彼なりの徳川思想史をアメリカで綴った本の書名ですが、近代にあたかも「世界共通のフォーマット」のように広まった自由民主主義をインストールしさえすれば、それ以前にあった歴史が上書きされて消えるみたいなことはなかったんですよ。やっぱり。
逆にいうと歴史の専門家は、本来なら日々のニュースに接するごとに、そうした(丸山眞男風にいうと)現在も蠢く「古層」のあり方を、読者に伝えてゆく使命を負っている。なので、コロナでそれを果たす気がないとバレちゃった日本のレキシガクシャは、バカにされてもしかたない(笑)。
それにつけてもレベル低すぎなのが、わが国の自国史、すなわち「日本史」のセンモンカと称する面々です。①の会田著が描くアメリカの「自国史家」の姿と比べても、想像を絶する低次元だったなと、改めて痛感しました。
11月のトランプ再選の背景に、民主党系リベラルが推し進めてきたwokeismへの反発があることはよく知られますが、実は主戦場のひとつが、まさに「歴史」だったんですね。
その象徴が、ニューヨーク・タイムズ(NYT)が2019年から始めた「1619プロジェクト」で、米国民にとっての自国史のはじまりを、メイフラワー号到達(1620年)や独立宣言(1776年)ではなく、最初の黒人奴隷が連行されてきた1619年に置きなおす試みでした。
そこまでなら野心的な挑戦だったのですが、その先がまずかった。要は「政治的な正しさ」のために、話を盛っちゃったんですね。
なんと、アメリカが英国からの独立に踏み切った理由は「奴隷制を維持するためだった」とまで曲筆したばかりか、さすがにそれはどうかと異を唱えた社内の批判者に圧力をかけ、辞職に追い込んだり。社外からのSNSでの攻撃も絡んで生じた、いわゆるキャンセルカルチャーです。
しかし、NYTの暴走に対して米国の歴史学者が示した態度は、彼らの矜持を伝えるものでした。同書にも再録された、会田さんの記事にいわく――
論争はまず左派からの批判で始まったことは特記しておきたい。特集発表直後の昨年〔2019年〕9〜10月に、まず『世界社会主義ウェブサイト』がブラウン大名誉教授で建国期研究の権威、ゴードン・ウッドら著名な歴史家8人とのインタビューを次々と掲載し、1776年の米国独立が奴隷制維持を主たる動機としたという歴史叙述と背景説明などについて事実誤認や曲解を指摘した。
(中 略)
ウッドとウィレンツを含む著名な歴史家5人は昨年12月、NYTに事実誤認などを指摘する詳細な書簡を送ったが、NYTは事実上はねつけている。そのため、有力誌『アトランティック』がウィレンツによる事実誤認の詳細で学術的な指摘と、NYTとのやりとりの経過説明を掲載。
さらに3月に入って、今度はNYTが特集の掲載前にファクトチェックを依頼したうちの1人、ノースウェスタン大学の女性黒人教授も、NYTがファクトチェックを無視して掲載に踏み切ったと告発する手記をオンライン政治ニュースサイト『ポリティコ』に寄せた。
NRBも『アトランティック』も『ポリティコ』も進歩派系であり、いわば仲間からの忠告意見だ。学者たちも含め、黒人の視点に立って歴史を見直す試み自体を否定しているわけでなく、NYTの姿勢は評価している。そのうえでの厳しい批判だ。
現代ビジネス(2020.10.23)4頁より
強調は引用者
思想としては同じ立場でも「事実と違うことを書いちゃダメ」と、釘を刺したわけです。NYTはこの後、居直ったかと思いきや「やっぱり盛りすぎた」と判明した内容をこっそり削除するなど、迷走を極めてゆきます。
当時は第1次トランプ政権の後半でしたが、旧来型の愛国史観を強調するトランプがこの問題を採り上げ、NYTをこき下ろすのは2020年9月。敵よりも先に「ちょっとこれはまずいですよ」とたしなめる有能な味方の役割を、アメリカの歴史学者たちはきちんと果たしたわけですね。
対して「ニッポンのレキシガクシャとか(笑)」な話は、末尾に参考記事を挙げますが、大事なのは、2020年の時点では再選を阻まれたトランプが、24年には圧勝で復活したことの意味です。
ある政治的な立場からすると、「こうであってほしい」「こうであるべき」として見えてくる、過去のイメージがある。しかしそれが歴史の現実と異なっていた場合、歴史の側が「なめんなよ」と殴り返してくる。勝ち残るのは現実の方である。
②の池田著が扱うロシアとなると、よりそれは深刻です。西側としては、ロシアも自由民主主義に「なってほしい」、戦争もやめてほしい、と思うわけですが、そんなことは起きない。なのでウクライナ戦争の展開も、センモンカが「こうあるべき」だと、脳内で思ったようにはまったくならない。
それでは③の大場著が描く日本は、これからどうなるのか?
そう考えながら、上書きし得ない歴史に復讐された1年を反芻し、新しい年を迎える一助になればと思います。真理を含むからこそビターな今年のベスト3冊が、多くの方の目に留まりますように。
参考記事: 2つめは「有能な味方」について
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年12月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください