血圧が「高止まり」している。年末に続いた外食で塩分を摂り過ぎたせいだろうか。
「しょっぱい食べ物がダメなら、しょっぱい食器で食べればいいじゃない」
そんな声が聴こえてきそうな「しょっぱいスプーン」が実際に販売されている。製品名は「エレキソルト」。電気で味を付けるスプーンである。
しょっぱい食器「エレキソルト」とは
エレキソルトは、電流で味が変わる「電気味覚(※)」を応用したもの。電流で塩味のもとになるナトリウムイオンを集め、舌の上に押しつける仕組みだ。スイッチで、塩加減を最大1.5倍まで調節できる。
※アルミホイルを舐めたときに感じる妙な味も電気味覚の一種である
価格は19,800円(税込)。24年5月より予約・抽選販売を開始している。発売当初200台だった1回あたり販売台数は、現在1,250台。話題性が高いこともあり、売れ行きはまずまずのようだ。
12月には期間限定でラーメン店「一風堂」と共同企画を実施している。同店の人気ラーメン「白丸元味」の塩分を30%減らしエレキソルトで食べてみる、というものだ。レンゲではなくスプーンを使うことにとまどう利用客がいたものの、「塩味が感じられて旨い」「塩分量を気にせず食べられる」と好評を博している。
エレキソルト開発のきっかけは、担当者が病院でかわした会話だ。高血圧の患者からは「減塩食がつらい」、医師からは「減塩食を続けてもらえない」とこぼされたという。塩分を抑えつつ塩味を強める方法はないか。そう考え、明治大学の宮下芳明研究室と協力し作り上げたのが、電気味覚を利用したデバイス「エレキソルト」だった。
キリンとはどのような企業なのか
このエレキソルト。作ったのは、タニタでもオムロンでもない。ビールメーカーの「キリン」である。
「キリンが健康のために『スプーン』を作る?」
そんな違和感を抱く方も多いだろう。だが、もはやキリンは酒造メーカーではないのだ。
1980年に売上の「92.3%」を占めていたビールの比率は、現在「49%」と半分以下にまで低下(酒類。2023年度実績)。残りの半分超は、飲料事業、医療事業、ヘルスサイエンス事業などが占めている。
今のキリンは、ビール酵母の発酵で得たバイオテクノロジーを中核に、事業を多角化するコングロマリット(※)なのだ。
※分野の異なる業種や事業展開を行う複合企業のこと
コンフリクトなきコングロマリット
通常、コングロマリットは、事業毎に異なる組織文化が醸成されるため、相乗効果(シナジー)が得られないことが多い。だが、キリンは例外のようだ。2001年に発売した缶チューハイ「氷結」が好例である。
氷結を開発したのはキリンビール本体ではない。「キリン・シーグラム株式会社(現キリンディスティラリー株式会社)」である。1972年に、キリンビールとシーグラムグループ(米)、シーバス・ブラザーズ(英)の3社合弁で設立されたキリンの子会社だ。当然、組織文化は異なる。
チューハイブームだった90年代後半。爆発的に売れていたサントリー「スーパーチューハイ」を打倒すべく、キリン・シーグラムが考えた新チューハイのコンセプトは以下のようなものだった。
- 焼酎を飲みなれた中高年ではなく、飲みなれていない若者や女性を取り込む
- そのために「微妙」な甘さを実現する
だが、当時のキリンには、焼酎の製造免許を持つ工場もノウハウも無かった。
「だったら、焼酎ではなくウォッカをベースにチューハイを作ってはどうだろう」
ウォッカなら、キリン・シーグラムが持つ御殿場蒸溜所が活用できる。未知の焼酎製造に取り組むより、時間も節約できるしリスクも低い。しかも、ウォッカは無味無臭。クセが無く飲みやすい。「微妙」な甘さの邪魔をしないはずだ。
このように柔軟な発想ができたのは、資金力に乏しい子会社だからこそだ。そして、その発想を親会社であるキリンは評価した。キリン・シーグラムではなくキリン本体の流通網で販売することとなったのだ。
結果、「氷結」は、2021年7月の発売後半年で611万箱、翌年22年には2,230万箱を売る大ヒットとなる。サントリーの1,780万箱を抜き、キリンは缶チューハイ市場のシェアトップとなった。
「異質」を排除するのではなく「異能」と認める。文化の違いを認める「組織文化」が、キリンには根付いているのではないだろうか。
Blackmoresとファンケルに期待するもの
キリンが、今後伸ばそうとしているのはヘルスサイエンス事業である。そのため、23年には、主に東南アジア・中国で健康食品事業を展開する「Blackmores」を完全子会社化、24年9月には、健康食品・化粧品事業を展開する「ファンケル」を連結子会社化している(※)。「異能」の取り込みが新事業でも進んでいるのだ。
※ 年内には完全子会社化を見込む
「Blackmores」とのシナジー効果は、既に表れている。キリンは25年にプラズマ乳酸菌の台湾での上市(※)を予定している。これがスピーディーに進んだのは、Blackmoresが持つ規制当局への対応力によるものであり、キリン単体では難しかったという。
※はじめて市場に投入すること
一方、「ファンケル」とのシナジー効果が表れるのはこれからだ。キリンが期待するのは、ニーズ分析と販路拡大である。ファンケルは売上の7割を自社チャネルが占めているため、顧客ニーズの分析力が非常に高い。また、国内スキンケア市場で強いブランドを構築している。
キリンの免疫ケア商品による「体の内側」へのアプローチと、ファンケルのスキンケア商品による「体の外側」へのアプローチの相乗効果も期待できる。この相乗効果を国内で高め、海外展開も見据えているという。
キリンシナジーが最大化された日常
キリンは、ヘルスサイエンス事業を25年に黒字化させ、30年には300億円以上の利益を目指す、としている。
二日酔いを防ぐためファンケルの「ウコン革命」を飲み忘年会に臨む。最初の乾杯は、キリン「晴れ風」だ。飲み過ぎた翌日の朝は、塩分控えめの雑炊を「エレキソルト」で食べ、胃腸を休める……キリンの目標が達成された暁にはこのような生活が普通になっているのかもしれない。
【参考】
キリンホールディングス株式会社 各説明会資料
『キリンを作った男』 永井隆/著 新潮社 他