明けましておめでとうございます。今年も皆様とご一緒に我々を取り巻く環境について様々な角度から考え尽くしていきたいと思います。
新しい年となり、一つ歳をとりますが、人生の年輪も一つ増えます。これは私だけではなく、皆さんも同様。共に賢く、強く生きていきたいですね。
最近とみに思うのは人生は思ったより短いぞ、という点です。自分がそういう年齢の域に入ってきていることもあり、あれもやりたい、これもやり残しているという気持ちが先走る中で人生の簡素化、コミットメントの断捨離も同時に進めてきました。また若手に任せる「バトンタッチ」も引き続きしていきたいと思っています。
社会は会計と同様、継続性の原則を前提としています。何百年と続く継続社会において自分のアブラが乗った時期に強いリーダーシップを発揮するのは大事ですが、そのポジションにしがみつく理由は弊害、老害でしかありません。
私はその意味でコミットメントをいくつか落としてきました。寂しくないのか、と言われたらこう答えます。「また新しい世界に挑戦する」と。人生、足を踏み出し続ける、挑戦し続ける、殻を破り続ける、これが大事だと思います。
さて、典型的なバブル時代を日本で過ごし、バブル崩壊直後にカナダに移ってきて今では日本と年4回程度行き来する中で様々な世界を見てきました。またこのブログのコメントを拝見しながら多くの日本在住の方のご意見もありがたく拝見しながら日本はこの後、どうなっていくのだろう、と考えずにはいられません。
私が外から見る日本を一言で述べよと言われれば「世界で最高に平和で幸せな国」だと確信をもって言えると思います。日々のニュースを拝見していると批判、非難、文句、苦情…が絶えません。が、私から見ればその大半はごく小さな事象に関してよりよく修正されるように望んでいるだけに見えるのです。つまり国民の声は他国に比べて政治や政権運営、組織運営に反映されやすく、国家がより中道になっていくように見えるのです。様々な問題に対する自助解決能力もまだ持っています。
かつて1億総中流という言葉がありました。1970年代初頭の人口1億人と中流意識をひっかけたものです(人口が1億人に到達したのは1967年です)。これは主に経済的見地における他人との比較文化の一環だったと考えています。三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)の普及と所得増加、雇用の安定がもたらした物質的満足を通じた国民意識の共有化だったと思います。
社宅ではお隣さんといかに同等の生活レベルにするかが奥様方の課題であり、駐車している車はそれぞれにちょっぴり個性を出すけれど基本は皆同じでした。これが1980年代になると経済的にちょっと上に行く人たちの別の世界に焦点が当たります。これを上手に表現したのが「金曜日の妻たち」略称、金妻であります。その中で焦点の当たった東急田園都市線たまプラーザはアッパーな方々の新しい意識変化を捉えたものでした。
そのような昔話の主人公は団塊の世代の方々でした。時代は次の世代に継がれていきますが、そこでトラップされたのが失われた30年だったという見方ができると思います。つまり戦後の苦しい中でもがきながらも国民が皆で努力してなしえた60年代、70年代から子の世代に引き継がれた90年代、2000年代はもがくのです。私からすれば「子はみな踊りすぎた」とも言えます。
今、我々は団塊の世代の方を基準にみると子から孫の世代に移るところです。ここで私は価値観の変化を期待したいと思うのです。経済的に一定の閉塞感、ゆとり世代もあり差がつきにくい社会を演出してきた中で「俺(わたし)、飛び出してみたい」という意識が必ず生まれてくると思うのです。
日本は裕福です。外になんか出る必要ない、おまけに外国人が今では勝手にどんどんやってきてお金を落としていってくれます。ホクホクです。だけど世界を見れば日本とは全く違う景色があり、激しい闘争や論争、開発競争などを通じて次の世界を模索しています。ならば新しい世代を生きていく日本の方には「自分たちにももっとできる」という野心に火をつけてもらいたいのです。
日本の社会もバトンタッチが必要です。そして新しい考え方を取り入れ、社会にもっと刺激を与え続けなくてはいけません。私が自民党に厳しい意見を持つのも違う時代が来たのだ、という意味なのです。
1945年に戦争が終わり、今年は80年になります。「もはや戦後ではない」という言葉は1956年に生まれました。戦後わずか11年後です。私は「もはや失われた30年ではない」と宣言し、新しいテーゼを持つべきだと考えます。それは日本の近未来を国民の共通の意識として持つものであってほしいのです。
政府はデフレ脱却すら発表していませんが、これもテーゼの一種であり、数字を確認して批判をかわしながら恐る恐る発表するのではなく、国家の向かう先を見せる指針であるべきなのです。そういう意味では政府は少なくとも6カ月間はリスクを恐れ、批判を逃れるためにさぼっていると思っています。
日本が目指す方向ですが、上手なキャッチコピーは思い浮かびませんが、私は「1億2千万の瞳が輝く躍る世界」を意識したいですね。技術が進歩し、20年代後半は大きな革新が起こりえるでしょう。その時、個々の人間が本当に幸せを感じることは何かといえば最新技術とは裏腹にそんなに目新しいことではなく人々の絆であり、笑顔であり、コミュニケーションだと考えています。
人間はAIに支配されないし、ロボットでもないのです。ロボットには笑いもしないし、涙も流しません。人間が人間らしく生きられる社会、それが日本が目指す世界であり、私は必ず今よりもっと素晴らしい社会ができると確信しています。
皆さんと今年も手を取り合って頑張りましょう。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年1月1日の記事より転載させていただきました。