「努力はムダ」という風潮の今こそ努力するべき理由

黒坂岳央です。

書店にいくと「頑張らなくていい」「努力なんてしない方が得」みたいなタイトルの本をよく見る。記事や動画でもこの手のタイトルはアクセスが良いようだ。

そして内容を見ると、レビューやコメント欄は「そうだそうだ。もう頑張っても報われないんだ」と賛同の声が並ぶ。

筆者は「努力すれば必ず報われる」「頑張っていればいいことがある」などと昭和の気合根性論を好んでいるわけではないが、昨今の「頑張ってもムダ」という風潮には違和感と論理的矛盾を感じる。

mapo/iStock

布教者ほど誰よりも努力している

「努力はコスパ悪い」「頑張るだけムダ」といった意見を出す人は多いが、経歴や実績を見る限り、どう考えても努力した結果として今の成功を築いていることが少なくない。

「自分は一切の努力をせず、行動もせず、リスクテイクもしてこなかった。毎日遊んで寝て起きることを繰り返していたら、勝手に成功していました」という人の中で、こうした主張をしている人を自分は見たことがない。

そして何より「発信活動」という大変努力を求められる行動を何年も継続している。やってみればわかるが、記事や書籍、動画なりで意見を主張するのは並大抵の努力ではない。ネタ切れにならぬよう必死に勉強をし、人の心を動かすトークを磨き、時には炎上でメンタルを削られる大変な仕事だ。

これまで努力に努力を重ね、一般人ができない行動力、リスクテイクをし、さらに現在進行系で努力し続けて掴んだ地位にいる人が「努力なんてムダ」というのは大きな矛盾に感じてしまうのである。

たとえば親から莫大な資産を引き継いで、生まれた時から一生困らない資産を得たという人がいうなら説得力がある。実際、そういう人と仕事を通じて会ったこともあるので実在することを知っている。

だが、そうした事例は全く再現性がないので、人の興味を引かない。「生まれつき東京の一等地で商業ビルから賃料収入で育ちました」と言われても、「なんだただの自慢かよ」と興味を持たれず仕舞いとなり、それではプレゼンスを維持できない。

結論的に「頑張るだけムダ」という意見主張は多くの場合、こうした事情から成り立たないのである。

正しい努力なら報われる

世の中にはムダな努力というのが存在する。筆者もかつて、これに手を染めていた時期があった。

聞き流し英語教材を使って何百時間もリスニングをする。まったく適正のない分野の仕事で能力を発揮しないまま頑張る。

こうした経験を持つ自分としては、「努力は必ず報われる」とは言えない。ただ、それでも「正しい努力はした方が得」という主張をしたい理由は2つある。

1つ目は適正や効果の多くは、実際に努力してみないと分からないことも非常に多いことだ。筆者は会計の分野で米国留学先で学び、週末に資格スクールで勉強し、複数の会社で業務経験を積んでいた。

先端のテクノロジーの粋を集めたシステムを使い、東大卒、海外MBAホルダーともハイレベルな仕事もしたが、10年間に及ぶ努力の結果「この分野は自分には全く向いていない」ということが分かった。

確かに10年間も空振りをし続けたのは手痛い損失だった。自分が器用ならもっと見極めの期間を短縮が出来ただろう。だが、やる前から「この分野は自分に向いているかどうか」を見極めるのは100%不可能だといい切れる。最低でも、1年はフルコミットしないと才能や適性は判断つかない。それには努力が必要だ。

2つ目は失敗からも多くの教訓やデータを集めることができる点である。たとえば英語の勉強について言えば、聞き流しリスニングを始め、英会話スクールや英語日記など本当にあれこれ手を出し、すぐに挫折することを繰り返してきた。

だが自分は諦めが悪く、英語へのあこがれが非常に強かったので最後に多読の勉強法に手を出したことでようやく自分で満足の行くところまで身につけることができた。

でも最初から多読にたどり着くのは不可能であり、いくつも失敗したからこそ「これは本質的な学習メソッドだ」と合点がいくことで、多読を始めた時から迷いなく本気で取り組むことが出来たのだ。それには過去にたくさんの失敗をした経験から学びを得たことが非常に大きい。

正しい努力は報われる。だが、その方向性を正しいものにするためにも無駄打ちは避けられないということだ。

何かあるとすぐ「自分には才能が云々」と言い出す人は多いが、その才能の有無を見極めるにも努力の投下が必須であり、仮に才能がなくても努力すれば手順は洗練する。自動車の運転で飛び抜けた才能でF1レーサーになるような才能がなくても、日々の運転という努力で手順が洗練することで安全運転は可能になるのだ。

さらに昨今は「頑張ってもムダ」と考えていかに手抜きをするか?という思考の人が多いので、上手に努力することでライバルを簡単に出し抜ける好機と捉えることができる。誰もが努力する中で多少努力しても差をつけづらいが、誰もが努力する気を失っている時に努力すれば大きな差をつけることができる。大衆に流れている限り、人生は豊かにならないだろう。

「努力しよう」と呼びかけるよりも「努力はムダ」という方がウケが良いことは分かっている。単にアクセス数を増やすことは自分の利になる仕事をするなら、お金が欲しくてそうしたくなる気持ちはわからなくもない。

だが、自分は努力の力で人生が良くなった感覚が強く、英語を教える人の中にも努力して夢を掴んだ人をたくさん見てきているので「努力なんてムダ」と主張をしたいとは思わないのだ。

 

■最新刊絶賛発売中!

[黒坂 岳央]のスキマ時間・1万円で始められる リスクをとらない起業術 (大和出版)

アバター画像
ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。