キラキラしなくちゃいけないの?

精神科医の斎藤環さんと『心を病んだらいけないの?』を出してから、早くも5年が過ぎつつある。内容はいまも通用すると自負するけど、その5年間で、世の中ずいぶん変わったな、とも思う。

2020年5月の刊行だから、今日とのあいだに新型コロナウィルス禍がまるっと入るのは大きい。でもそれだけじゃなく、色んな要因で社会の空気が動いた気がする、より悪い方へ

コロナが来る直前まで、日本の文化産業では「キラキラした明るい未来」が売り物になっていた。それはちょうど昭和の最末期、もうすぐ弾ける直前だったバブルの世相にも、似ていたと思う。

平成の終わりは、昭和末期の「劣化コピー」である〜ループする衰亡史(與那覇 潤)
講談社「現代新書」は、1964年に創刊された教養新書のシリーズです。政治・社会・ビジネスから哲学・思想・芸術まで、幅広いジャンルを取り扱っています。わかりやすく、楽しく、かつ深く学べるような1冊をお届けいたします。

戯画的に言えば、自己啓発本とオンラインサロンで自分磨きをすれば、だれでもリッチな新しい生き方を見つけられて、仮想通貨と5G通信が無限のフロンティアを開いてくれて、そこでAIなんかを使っちゃったりしたら1日3時間労働でも楽々暮らせてウッヒョーッ! みたいな感じだった。

バブル期と同じく、そうした議論のほとんどは詐欺だったので(笑)、斎藤さんとの本では警鐘を鳴らすことに紙幅を割いている。ところがコロナ禍がやってくると、それらの潮流は社会パニックとの「悪魔合体」を経て、正反対のブラックな未来主義に転じてしまう。

ロシアは西洋化せず、西洋がロシア化する(のか)|Yonaha Jun
6月初頭に行われた欧州議会選挙の結果が、近年かまびすしかった「エコロジーの時代」の終焉だとして話題を呼んでいる。日経ビジネスによると、2019年の前回選挙で「52→71」へと躍進した環境左派(GEFA)は、今回逆に53議席へと転落した。 2019年といえば、グレタ・トゥーンベリの国連気候行動サミットでのスピーチが世界...

多幸感溢れるユートピアがウケていたはずが、たかだか新型の「風邪」の流行ひとつで、売れ線はディストピアへ。でも、そんな手のひら返しが起きる理由を、コロナ前の対談にもしっかり書き込んでおいた。そこが『心を病んだら』の意義だったかなと、ふり返って思う。

與那覇 ……「成熟の困難」を言い換えると、「これが人間的な価値であり、それを身につけるのは素晴らしいことだ」といった信仰が、社会的に成り立たなくなっていると思うのです。
たとえばアベノミクスの実績はほぼ、人口動態上の変化で「新卒が正社員になりやすくなった」だけのことですが(一章)、しかしいま正社員になったところで充実感がないわけでしょう。昔のような経済大国ではないですから。
一方で非正規雇用だと、日本の正社員優先の給与体系の下では「結婚して、子どもを自分以上の学歴に育てて、最後は家を買って……」的な、かつて人間らしい成熟だとされてきたライフコースを送れない。
結果として「人間らしい幸せとは」的な言い方がうさんくさく感じられるようになり、正反対の「人間なんてAIに抜かれる」「いまの仕事に満足してるヤツはバカ。シンギュラリティが来て失業」といった論調がウケたのではないでしょうか。

斎藤 たしかに「成熟拒否」の傾向はあると思います。いまの若い人たちに接して強く感じるのは、彼らが経済社会的なレベルでも、人間性のよりよい向上というレベルにおいても、成長や成熟というものをまったく信じていないことなんです。

『心を病んだらいけないの?』169頁
(強調を附し、段落を改変)

テック(技術)とニューエコノミー推しの裏側に貼りついていたのは、単なる人間不信であり、自分と社会の可能性を「諦めきることで楽になろう」とする否定の衝動だった。コロナ禍やウクライナ戦争は、それらを表に出す「きっかけ」を作っただけで、そもそもの原因ではない。

キラキラしたビジョンを売り込まれた後だからこそ、「なんだよ。大して輝けないじゃん」と躓いただけで、じゃあもう嘘でも不正義でもなんでもいいや、と逆の極端まで落ちてしまう。社会がまるごと陥ったそんな力学についても、斎藤さんは臨床に基づき予言していた。

斎藤 ……長くひきこもった人ほど社会復帰へのハードルを上げてしまい、「完璧な大人になってからじゃないと、バカにされるから外へは出られない」と思いがちですが、それだとかえって社会復帰できない。
むしろ「そりゃ、俺にはダメな部分があるんだろう。でも、別にいいじゃん」くらいの、自己肯定感をともなう適切なレベルのあきらめが回復には必要なんです。
(中 略)
圧倒的多数が〔職業科でなく〕普通科の高校に進学し、過半数が大学をめざす日本のキャリアパスは、良くも悪くも万能感――「努力すれば何にでもなれるはずだ」という感覚が温存されやすいシステムになっています。
それが意欲や行動によって支えられていればいいのですが、実際には万能感というものは、人の行動を阻害して無気力化する作用のほうが強いんです。「何にでもなれるはずの俺が、なんでこの程度なんだ。バカバカしい、生きるのは無駄だ」みたいな気持ちを誘発してしまう。

同書、109・113頁

ニセモノみたいに「折々の流行」とべったり寝ないからこそ、社会の潮流が切り替わったとき、「このことを言っていたのか!」とわかる。それがホンモノの言論、ホンモノの書物の醍醐味なんじゃ、ないだろうか。

……で、昨年9月に新潟県でのイベントに招いてくれた、「燕三条カルチベイトチャンネル」のみなさんが、『心を病んだら』を素材に番組を作りたいと声をかけてくれたので、もちろん即OKしました!

なぜ学者は、いくらSNSを使っても世の中をよくできないのか|Yonaha Jun
週末に新潟の温泉旅館・嵐渓荘で開かれたイベント「らんまる」は、最終的に70人近くが宿泊を伴う参加で、大いに盛り上がった(ヘッダー写真は〆の朝食)。個人的にもこんなに素敵な宿に泊めてもらう体験は、もうない気がする。旅館主の大竹啓五さんはじめ運営スタッフのみなさん、参加者のみなさん、心よりありがとうございます。 友...

配信は昨秋と同じく、プラットフォーム「シラス」にて。

まず1/23(木)の19:00~、運営メンバーさんによる『心を病んだら』読書会が開催される(リンクはこちら。私は不参加ですが視聴予定)。続いて28(火)の14:00~、上京されたみなさんと五反田のシラススタジオにて対面し、がっつり議論するという二段構えです。

「『心を病んだらいけないの?』から考える新しい人生をはじめるための対話篇」 燕三条カルチベイトチャンネル | シラス
與那覇潤さんと斎藤環さんの共著としてコロナ第一波の2020年5月に刊行された『心を病んだらいけないの?』は、その後「第19回 小林秀雄賞」の受賞され、大変話題となりました。 その目次を眺めると、「友達」はいないといけないのか。「家族」はそんなに大事なのか。「夢」をあきらめたら負け組なのか。「話し上手」でないとダメなのか...

来聴なしの無観客配信だけど、特別ゲストにゲンロン/シラスファンで有名な、豊島区の東長崎駅でやきとり惣菜店を営む竹田さんも来てくれる。

友の会から(2) 惣菜もシラスもインフラだ──やきとりキング、竹田克也さんインタビュー
webゲンロン 2024年3月29日配信第1回第3回 ゲンロンの活動は支援組織「ゲンロン友の会」のみなさまによって支えられています。「友の会から」は、会員の方が普段どのような活動やお仕事をされているのかを紹介するインタビュー企画です。 第2

誰もが「心を病んでも大丈夫」で、キラキラしなくても生きやすい世の中のヒントはなにか? 5人でしっかり議論する番組にするつもりですので、多くの方にご視聴いただければ幸いです!

参考記事:

斎藤環さんとゲンロンカフェ(1/17)に出ます。|Yonaha Jun
来年1/17に「文化は心をケアするのか」として、斎藤環さんと久しぶりにゲンロンカフェで対談します(たぶん同カフェでは、約3年半ぶり4回目)。もちろん、観覧・配信両方ありです。 11月末に私の『危機のいま古典をよむ』・『ボードゲームで社会が変わる』(共著)と、斎藤さんと東畑開人さんの対談集『臨床のフリコラージュ』がほぼ...
「発達障害バブル」はなにを残したのか|Yonaha Jun
2月16日に発売された『表現者クライテリオン』の3月号に、浜崎洋介さんによる私のインタビューの後編が掲載されました。前編の記事内容についてはこのnote でも、魯迅や太宰治を論じつつ補足してきたとおりです。 後編の内容も多岐にわたりますが、通底するモチーフは、今日の日本ほど徹底的に「断片化」されてしまった社会は他にな...

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年1月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。