木造駅舎。
開業当時から町の玄関としての役割を担い、ここから旅立つ多くの人たちを見送ってきました。
近年、老朽化が進んだことや管理手間もあって多くの駅舎が解体され、簡易的な駅に変貌してしまっていますが、その中にあって未だにその姿をとどめている駅があります。昨秋から冬にかけていくつかの木造駅舎のある駅を訪ねる機会に恵まれました。今回は長い歴史の中で今を生きる木造駅舎たちをご紹介したいと思います。
美作滝尾駅
岡山県北部・津山駅から鳥取に向かうローカル線、因美線。津山から3駅先の美作滝尾駅で下車します。
駅舎は昭和3年、津山駅から美作加茂駅までの因美南線が開通した際に建築されました。現在は津山市の一部になっていますが、当時は滝尾村であり村の玄関口としての役割を担っていました。開業以来97年、今もその姿をとどめている貴重な木造駅舎で、登録有形文化財に指定されています。
駅舎の中も昭和初期の姿をとどめたまま。着物姿の乗客がここから旅立っていく姿が偲ばれます。
この駅が持つノスタルジックな雰囲気は映像の世界に生きる人たちの心も魅了させました。「男はつらいよ」シリーズの舞台になったほか、近年でも乃木坂46の「僕たちのサヨナラ」のMVロケ地として選ばれています。
訪ねたのは黄昏時。ライトがともり始めたホームもいい雰囲気です。
美作千代駅
美作滝尾駅を訪ねたのは夕方でしたが、次の目的の駅に向かったのは明け方でした。朝焼けの空がとても幻想的です。
津山駅から2駅先。降り立ったのは姫新(きしん)線の美作千代(せんだい)駅です。大正12年に津山駅から美作追分駅までの区間が開通したのに合わせて開業し、今もそのままの姿をとどめています。
駅銘板は美作を省き単に「千代駅」とされています。飯田線に「千代(ちよ)駅」があるため「美作」を冠しているのかと思いきや、美作千代駅の方が先に開業しています。仙台や鹿児島県の川内駅と区別するための措置だったのでしょう。
駅舎に通じる引き戸が印象的。改札口に引き戸がある駅ってあまりないと思います。
待合室は100年の歴史の中でさすがに手を加えていますが昔懐かしい雰囲気。駅舎の前に立つポストはわざわざ昔風の円筒状のものに変えられたそうで、木造駅舎に合った雰囲気を出そうという地域の人たちの心意気が伝わります。
雨上がりのプラットホームにタラコ色のキハ47がお迎えにやってきました。やはりこういう駅舎には昔ながらの国鉄型気動車が似合うなと思った瞬間でした。
大隅横川駅
ところ変わってこちらは鹿児島県。大部分の区間が被災して運休している肥薩線ですが、南端部分は被災を免れ今も運転を続けています。この区間には嘉例川駅など歴史ある木造駅舎が並ぶのですが今回降りた駅はその中のひとつ「大隅横川駅」でした。
大隅横川駅が開業したのは明治36年。先に紹介した岡山県の2駅よりも長い歴史を持ちます。
肥薩線は北部九州から鹿児島に向かう鉄道の中でもっとも古くに開業した路線であり、重要な役割を果たしていました。その後昭和2年に海側を通る鹿児島本線が開業すると鹿児島までのメインルートはそちらに譲り、長閑なローカル線として今日まで地域の乗客を運ぶ足として活躍しています。
朝のプラットホーム。ホームを覆う屋根や柱は古いですが、駅名標は新しく架け替えられるなどきれいに手を入れられているのがわかります。この日も地域のボランティアの方が清掃に来ていて、この駅が地域のシンボル的存在となっていることが窺い知れました。
100年の鉄道の歴史を伝える駅として国の登録有形文化財に指定されています。
この駅に来て見逃すことができないのは柱にできたこの穴。昭和20年7月30日、この近くに造られた機関車整備場が完成したのを待って米軍による機銃掃射があり、その際に同駅も大きな被害を受けました。空襲の凄まじさを今に伝える貴重な遺産となっており、空襲を受けても今に遺る逞しさを感じさせてくれます。
明治から昭和初期に建てられた木造駅舎の残る駅を3つご紹介しました。いずれも山中の寒村にひっそり佇む駅ですが、100年が経った今も地元の方の旅の玄関口としてその役割を担っています。
時空を超えて今も生き続けるどこか懐かしさや暖かみを感じる木造駅舎を訪ねに旅に出かけてみるのもいいともいます。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2025年1月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。