池田信夫さんが昨年末に出した新刊『平和の遺伝子』を読んだ。全4章のうち3つは、日本通史の形で書かれているけど、その前に置かれた第1章「暗黙知という文化遺伝子」が、本書ならではの魅力である。
日本人は「平和ボケ」している、とよく言われる。そのボケの理由を「敗戦と平和憲法」に求めるのが、いわゆる右の識者だけど、池田さんは従来からもっと深いところでボケてるんじゃないの? と指摘してきた。今作ではついに、中世・古代といった歴史を突き抜けて、動物行動学のレベルまで「ボケる理由」を遡らせている。
同書の構想については、2022年秋のこの対談でも、ちょっと聞いていた。進化生物学の「自己家畜化」の概念を使うと、長らく日本特殊論の形で語られてきた平和ボケの理由を、普遍的に定義できるのでは、との趣旨だ。
自己家畜化というアイデアが面白いのは、誰か悪辣な「飼い主」(絶対主義天皇制だったり、GHQだったり)がいたために、日本人が牙を抜かれて家畜化するのではないことだ。むしろ他者を攻撃せず、周囲と慣れあったほうが生存の上で有利な環境ゆえに、自ら野生を捨てて互いに「飼い慣らされあう」プロセスが、自然と起きる。
言い換えると「コイツらのせいで」といった陰謀史観抜きで、日本人がなぜここまで「じゃれあい民族」になったのかを、説明できる。WGIPガー的な歴史観の影響力が(世界的にも)広がる中で、いま、そうした視点を持つ意義は大きい。
一方でぼくはむしろ近年、日本人の一部に家畜化を巻き戻し、野生に還りたがる傾向が見られることに注意を促してきた。昨秋の記事で採り上げた、B.ヘア & V.ウッズ『ヒトは〈家畜化〉して進化した』も、もとは池田さんに教えてもらった本だが、考察のヒントになった。
『平和の遺伝子』には、そうした視点からも読み解けるエピソードが詰まっている。たとえば京大サル学の泰斗だった伊谷純一郎の「規矩」論を引いて、池田さんはこう述べる。
チンパンジーには白目がなく、対面すると優位な猿は相手をにらみつけ、劣位の猿は顔をそむける。類人猿の脳には生まれたときこの序列が刷り込まれるので、顔を向けてにらみつけることが優位を示す。
ところが人間の目は白目がはっきりしていて、顔を向けなくても視線がわかる。それは人間の序列が固定されていないためだ。
チンパンジーのように相手をにらみつける行動は、その規矩が共有されている小さな集団の中では有効だが、他の集団と混じると、どちらが優位かわからないので争いが起こる。
(中 略)
人間は言葉で味方を確認するので、大きな集団をつくりやすい。猿のような固定的な序列がなく、だれがボスになるかは人間関係の中で決まるので、言葉で愛情や敵意を見せる。
『平和の遺伝子』57頁
強調を附し、段落を改変
いま、SNSでまともな議論が成立しないのは、言葉でなく「にらみつけ」でしかやり取りしないからだ。「このプロフィールを見ろ!(ドヤァ」「こっちはフォロワー○万人だぞ!(ドヤァ」と、議論の前から序列が固定されており、ボス猿についてゆくように子分が付き従う。
「マウンティング」という、本来はサル山の分析などで使う用語が、人間関係に当てはめられるようになって久しい。言葉で議論するのが仕事のはずの、大学教員とかまでチンパンジーしているようでは、まぁそんなものかと諦めざるを得ない。
日本はこれまで、「高文脈社会」の典型だと見なされてきた。つまり、長年のつきあいを通じて「俺とお前の間だから言える」といった形で、親密さの確認を伴いながら、情報がやり取りされる。
従来なら内に秘めて、親しい人にしか明かさなかった属性をプロフィール欄に掲げるSNSでのコミュニケーションは、まったく逆である。そうした「過剰可視化」については、かねて問題を提起してきたものの、まさかそれがチンパンジーへの道=「再野生化」でもあるとは気づかなかった。
こうなると、気になるのは生業やライフスタイルとの関係だ。
一般には「日本人の穏和さ」は、同じ面子で空気を読みあいながら暮らす、稲作社会の産物として位置づけられる。しかし池田さんの言う「平和の遺伝子」は、必ずしも農耕とは関係しない。むしろ定住だけがあって農業は営まなかった、縄文時代がその形成に関わり、統治機構の強大化を忌避する発想はノマド的ですらある。
進化生物学の知見を織り込んで、リニューアルされた歴史のイメージから、日本の過去・現在・未来は、どう新しく見通せるだろうか。
3度目のゲスト出演となる翼駿馬(ホルダンモリ)さんのシラスチャンネルでは、看板である「モンゴル遊牧民との対照」も踏まえて、じっくり議論したいと思っている。いわば、進化論と文明論を対話させる試みである。
2/16(日)の15:00~、アーカイブ視聴もOKで生配信の予定なので、多くの方にご視聴いただけますなら幸いです!
参考記事:
(ヘッダーは、集英社オンラインの記事より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年2月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。