資金使途のない投資は投機である

年金基金や生命保険会社は、代表的な機関投資家であり、業務として資産運用を行っているが、運用している資金には、年金や保険金の給付という明確な使途があり、給付総額から掛金総額を控除したものとして、資産運用から得られる収益が予定されている。つまり、掛金収入が先行し、給付支出までに資金が滞留するため、その時間を利用して運用を行い、収益を生むことで、掛金負担を小さくしているわけである。

また、財団の場合は、財団の定義により、運用資金そのものは、使途をもたず、永久に費消されることはないが、運用の果実は、財団の設立目的である事業支出に充当されることになっている。逆に、財団とは、運用収益で事業活動の財源を確保できるように、資金が拠出されて設立されたものである。

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こうして、真の資産運用とは、明確な資金使途のもとで、その使途の実現のために行われるものであって、使途の実現が必須だからこそ、そこに規律が働き、合理的で統制のとれたものになるのである。逆に、使途を欠き、投資のための投資となれば、合理性も統制もないもの、即ち、投機に堕すほかない。

故に、個人が投資信託を利用するときも、資金使途が必要なのである。使途のない資金を借りる人はいない。住宅を買うために、住宅ローンを利用するのであって、住宅ローンという金融機能は、住宅の購入抜きには絶対に成立しないのである。このように、金融機能が単独で成立しないことは、全ての金融機能に通じることで、投資信託も例外ではない。

つまり、人生とは、最も味気ない仕方で煎じ詰めれば、生きて稼いで、稼いで消費し、消費し終わって死ぬことだが、手元資金は常に過不足の状況にあり、それを調整するのが金融機能なのであって、不足を補うのが住宅ローン等の融資なら、過剰を吸収するのが預金や投資信託なのだから、投資信託で運用される資金は、一定期間経過後に解約されて、消費に充当されることが予定されているのである。このことは、融資が弁済を予定しているのと全く同じである。

そして、個人の場合も、機関投資家と同じように、消費の計画性が資産運用を合理的で統制のとれたものにするわけである。

森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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