黒坂岳央です。
現代社会はあまりにも複雑系であり、価値観、能力などあらゆるパラメータの平均値となる値は「統計上にだけ存在する、リアルには存在しない概念」と言っていい。
それにも関わらず、現代人は「平均値」にしばられることで人生の自由さを失っていると感じる。ではどうすればいいか?結論、平均値という概念をきれいに忘れるべきなのだ。
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marcoventuriniautieri/iStock
「平均的な人」は統計上の幻
よく聞く話が「結婚は高望みしない。平均的な人でいい」とか「弊社のブランド力ではハイスペは無理で、平均的な人しか採用になるだろう」といった「平均的な人を求める話」はあちこちに転がっている。
だが、あらゆるパラメータが平均的で弱点のない人など、実在しない「統計上の幻影」といっていい。
婚活で言えば、平均年収458万円(国税庁 2022年)、身長171.5cm、体重64kg、四年制大学卒(偏差値50前後の大学)…とパラメータをクリアしていっても、どこかで「平均以下」の数字が出てくる。それも「必ず」だ。
それ故にこのような「普通の人を求める思考」は明確に戦略として誤っていると断じることができる。その思考で活動を続けても、永遠にそのような人を見つけることができないことは確定的だからだ。
統計を取る際はどんなパラメータでも極端な値を含むことで、平均値は上振れ、下振れが起きる。たとえば20代の平均的な金融資産保有額(金融広報中央委員会の「家計の金融行動に関する世論調査)は、176万円~179万円程度である。だが、貯金0が42.1%と半数近くだ。
当時から貯金の平均値を見て「みんなそんなに貯金をしているのか…自分はダメだな」と落ち込んでいたのだが、起業家やトレーダーといった人たちが1000万円、1億円と保有する外れ値で平均値を荒らしたことにより、ほとんどの人に当てはまらない数字を作ったに過ぎない。
ちなみに平均値ではなく中央値だと「10万円」だそうだ。このくらいがよほど「みんなに当てはまる平均値」の実態に近いだろう。
「普通」はその人の願望
「あなたが言う「普通」とはあなたの「理想」の事である」という過去記事で書いた通り、「普通は~、平均は~」というのは必ず、その話者の希望がそこには込められているのだ。
SNSを見ると、あたかも優秀な人が世の中にうじゃうじゃいるように見えてしまうが、実際には超上振れの外れ値が強い影響力を行使して高いエンゲージメントを獲得しているだけに過ぎない。
また、SNSだけでなく場所や環境にも注意が必要だ。特に東京山手線内側は優秀な人が全国から集積する環境であるため、平均値は著しく押し上げられる。
筆者がサラリーマンの時は「第一言語が英語、日本人とだけ集まったときだけ日本語」「アメリカ、イギリスの大学卒が普通」という感じだったので、「今の世の中、みんな英語ができる」いった誤った感覚があった。だが、実際にはそうでないことは統計を見れば明らかである。
「自分にとっての普通」を押し付けない
SNSは極端な外れ値が集まっているので、「年収1000万円でも貧乏」「資産1億円では大した贅沢はできない」とのたまう御高説をよく見る。そのこと自体、そのような立場を享受する人からは正論なのだが、実際にはほとんどの人には当てはまらない。東京港区で年収1000万は普通以下だが、地方では神のような存在になるからだ。
そして外れ値側の人間も必ずしも、メタ認知能力がある人ばかりではない。「年収や資産がこのくらいあるのが普通、平均では?」と自分と自分の周囲の感覚を一般化して発言することで、無用な炎上やヘイトを招くリスクがある。
若いビジネスマンや投資家はその辺の感覚もしっかり持っている傾向があり、「自分の感覚は普通ではない。無編集で表に出すことは自分にとってデメリットしかない」とメタ認知をして、「パブリック用の発言」に切り替える柔軟さを持っている。
一般化できない発言をする時にも「手前味噌のようでおこがましい限りだが~」「あまり一般化できない個人的見解に過ぎないが~」と読み手のコンプレックスを刺激しない枕詞を置く配慮もできる人も多いと感じる。
だが、人間が年を取るとその能力もどうしても低下してしまう。時折、この感覚がズレたまま意図せず、相手から稚拙な承認欲求に突き動かされた自慢と取られる発言を繰り返すおじさんに対して、「お金しか誇るものがない老人の自慢」「若くしてお金持ちであることにこそ価値があるのに、年寄りになってから多少のお金を手にしても別に羨ましくない」といった反論を許す光景を見ることがある。
◇
「普通、平均」という言葉は非常に危険だと思っている。統計上の概念をリアルに持ち込んでもそんな人は存在しないし、物事の意思決定をする上でもじゃまにしかならないからだ。特に複雑怪奇な現代社会で「普通」はあり得ないので、早めに脱却することを勧めたい。
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