日本の国際政治学者による「叩き込み」も空しく、プーチンとの手打ちに前のめりなトランプがゼレンスキーを「独裁者」と呼び、西側諸国で批判を集めている。もともとSNSでも言っていたのだが、2/19には集会の場で公に、ゼレンスキーが「選挙の実施を拒否している」と非難した。
ゼレンスキーは2019年の大統領選(4月に決選投票。得票率73%)で当選し、任期は5年なので、24年の春に改選を迎えるはずだった(連続2期まで可能)。それが選挙を行わずに、そのまま続投しているのは、もちろんロシア軍の侵攻を受けて、戒厳令を敷いているからである。
トランプ(とプーチン)には同調したくないということで、「戒厳令に ”選挙はできない” と書いてある!」といきり立つ人が多いが、これはクリミア併合後の2015年にできた法律だという。一方、憲法には「任期5年目の3月に大統領選をする」と明記してあるようで、どうも法律で憲法を上書きしているらしい。まるで自衛隊である。
「違憲だから」といって自衛隊をなくしたら困るように、戦時下で大統領を空位にはできないが、相手のロシアはまさに24年3月に大統領選をしている(プーチンが得票率88%で再選)。「こっちはやったが、お前らはやってない」と、ロシアがプロパガンダに使うことは予想できたはずで、トランプに言われて慌てだすのもおかしな話だ。
法律で憲法を上書きと言えば、かつて戦時中の日本にも「国家総動員法」があった(1938年成立)。同法により、大日本帝国憲法でも規定されたはずの国民の権利は有名無実となり、大幅な私権の制限を「合法的」にできるようになった。今日それを、法律に則っているから民主主義であり、独裁ではないという人は、あまりいない。
当時は近衛文麿内閣だが、賛成の演説では社会主義者の西尾末広議員が「ヒットラー・ムッソリーニ・スターリンの如く」強権を振るえと激励し、日本の首相をアカに喩えるなとして除名された。裏を返せば、合法的にスターリンを作ることはどこでもできる(できた)ので、ウクライナの法をめぐるトリビアなんてどうでもいい。
問題の本質は、2024年に大統領選挙を見送った決断が、政治的に賢明だったか否か、の一点だ。
戦争中の選挙延期には先例があり、ナチス・ドイツの降伏後(日本とは交戦中)に行われた1945年の英国総選挙は、5年も延ばしての実施だった。ヒトラーを破った英雄チャーチルがまさかの敗北となり、政権を労働党に譲ったことで有名だが、これからプーチンに負けそうなゼレンスキーはなおのこと、延期しても再選は難しそうに見える。
むしろ選挙には、①政権選択のほかに、②体制の正統性の調達と、③民意の表出という機能がある。大統領選挙を見送ったことで、②につけ込んでロシアが宣伝戦を強め、トランプに便乗されたことはすでに指摘した。
③について、2020年に亡くなった日本政治史の大家である坂野潤治氏は、たった1度の解散総選挙の見送りが「昭和史の決定的瞬間」になったと、示唆したことがある。2.26事件の後にできた広田弘毅内閣が、政党側の陸軍批判により倒れる際、総辞職でなく解散を選んでいたら、どうなったか。
日記で見るかぎり宇垣〔一成〕は、浜田〔国松。政友会〕らを激励して陸軍を挑発し、陸軍に押された広田首相に議会を解散させ、総選挙に現れるであろう反陸軍、反ファッショ、反増税の民意を背景に、念願の政民連立内閣の首相になることをめざしていたように思われる。
しかるに広田内閣は議会解散の挙に出ずに、翌23日に総辞職してしまった。
坂野潤治『近代日本政治史』201頁
段落と数字表記を改め、強調を付与
1937年1月の挿話で、この後に有名な「宇垣内閣流産」が起きる。軍人ながら対ソ・対中開戦に否定的だったとされる宇垣一成が、陸軍の拒絶により組閣を阻止された事件だが、もし天皇の大命に加えて選挙で示された民意があったなら、情勢は変わっていたかもしれない。
結局次の選挙は、林銑十郎内閣の解散による1937年4月のものとなる。衆院議員の任期は4年だったが、7月に始まった支那事変(日中戦争)の泥沼化で、日本もまた41年2月に法律で任期を延ばし、選挙を1年延期した。
勘のいい人は、もうわかるだろう。このために、本来なら1941年の春に行われたはずの選挙が1年遅れ、その間に太平洋戦争が始まってしまう。
より苛烈な「戦時下」で行われた、42年4月の選挙はいわゆる翼賛選挙で、体制側が予め「正しい候補者」を推薦して投票させる、マジモンのスターリン主義みたいな選挙になった。そうなる前に、国民が本音では進行中の戦争をどう思うかを投票で示し、政治家(や軍)の側も把握していたら、違う進路があり得たのかもしれない。
もちろんウクライナは日本と違って侵略される側なので、投票所が標的にされるといった恐れはある。しかし一方で、たとえばゼレンスキーの得票率が2019年より下がれば、プーチンにとっても「そろそろ講和しろよ」と持ちかける好機になるのだから、悪い話ではない。
いわゆるクリスマス休戦のように、2024年に「選挙休戦」を実施するディールを西側から打診しておいた方が、25年のいまトランプが行うロシアべったりのディールより、だいぶましだった可能性は高いだろう。
「戦争の記憶が薄れる」というのは、目の前で他の戦争を見ているにもかかわらず、こうした過去が頭に浮かばず、メディアでも説かれなくなる事態を指す。自分で言うのはなんだけど、ちゃんとこういうnoteをぱっと書ける著者だけが、歴史の「専門家」と呼ばれるに値する(笑)。
もちろん、「歴史なき専門家」で別にいいとする立場もあり得る。では教えてほしい。歴史に無知なセンモンカの語る「プーチンを池乃めだかのようにボコろう!」といった抗戦ポルノは、眼前の戦争を終わらせる上でなんの役に立ったのか?
審判が下る日もまた、延ばされたゼレンスキーの選挙のように、刻々と迫りつつあると言えよう。
追記(2月24日 6:00)
本記事の公開を準備している最中に、ゼレンスキー大統領が「辞任の用意」を表明した。辞めることだけが交渉のカードになる大統領を、独裁者と呼ぶのかは、もはや趣味の問題である。
(ヘッダーの風刺画は、こちらのサイトより)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年2月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。