掃除ロボット「ルンバ」を製造販売するiRobot社の業績が悪化している。
2024年12月期の業績発表では、以下のような「見通し」が示された。
「2024年度の連結財務諸表の発行日から少なくとも12か月間、当社が継続企業として存続できるかどうかについて大きな疑問があります」
iRobot Reports Fourth-Quarter and Full-Year 2024 Financial Results | iRobot Corporation
各社の報道タイトルには、「事業継続困難と表明(日本経済新聞)」「事業継続能力に重大な疑義(読売新聞)」など危機感溢れる言葉が並ぶ。
なぜ、このようなことになったのか。
iRobot社は、決して技術力が低い企業ではない。2011年3月にメルトダウンした福島原発の原子炉建屋構内に初めて入り、放射線量測定を行ったのはiRobot社製ロボット「パックボット」だった。ロボット大国日本の「産業」ロボットが役に立たず、戦場での地雷撤去や災害地での人命救助など実績豊富なiRobot社に頼らざるを得なかったのだ。
それほどの技術を持つiRobot社が、なぜ危機に陥ったのか。その要因を探る。

アイロボットジャパン合同会社プレスリリースより
iRobot社の財務状況
まず、財務状況から見てみよう。iRobot社の有価証券報告書(Form 10-K)をみると、経営が急速に悪化していることがわかる。5期前と直近値(24年12月期)の収益性指標の比較は以下の通り。
- 売上高は「14億3千万ドル」から「6億8千万ドル」へ半分以下に減少
- 営業利益は「1億5千万ドル」の黒字から「△1億3千万ドル」の赤字に転落
- 粗利率(売上高総利益率)は「47%」から「22%」へ低下
深刻なのは粗利率だ。現在、米iRobot社は400ドル、日本法人(アイロボットジャパン)は68300円の割引キャンペーンを行っている。日本法人は、25年1月に9900円値下げしたばかり(※)。値下げの影響が出てくるのはこれから。粗利率は、さらに低下する可能性がある。
※2025年3月20日現在の最大割引値。米iRobot社は3月22日まで
では、安全性はどうか。こちらも惨憺たる状況だ。
- 自己資本比率が「68%」から「12%」へ低下
自己資本比率は長期安全性を示す指標である。「12%」は、日本の製造企業全体の「50.8%」よりはるかに低い。日本の零細製造企業全体の「20.3%」にも及ばない(※)。もし、前年度と同レベルの赤字(△1億3千万ドル)が、今年度も続けば「債務超過」に陥る可能性が高い。
※令和6年9月2日財務省報道発表「年次別法人企業統計調査」2023年値。資本金1千万円未満の企業を零細企業とする。
現在のiRobot社は、収益性・安全性とも「心許ない状態」と言える。
では、今後の成長性はどうか。これも厳しい。研究開発をする余裕がないからだ。iRobot社は、研究開発費を「1億6千万ドル」から「9千万ドル」へ、およそ40%削減している。今後、中国勢との競争が激化するにもかかわらず、である。
こうせざるを得ないほど、今のiRobot社は追いつめられている。悪化要因の一つは「コアコンピタンス」が獲得できなかったことだ。
コアコンピタンスなき専業企業
コアコンピタンスとは「自社の中核となる能力」のことを言う。単なる強みとの違いは、様々な用途に展開できることだ。
わかりやすい例は、ダイソン社である。同社のコアコンピタンスは「デジタルモーター」である。軽量、長寿命、そして超高速回転。13万5,000回転(/分)は、実にF1エンジンの9倍だという。ダイソンは、この自社開発モーターを活用し、掃除機はもちろん、ハンドドライヤー、扇風機、空気清浄機、果てはドライヤ―まで「空気を動かす」こと全てに事業を拡大している。

第5世代Hyperdymiumモーター ダイソン株式会社プレスリリースより
残念ながら、iRobot社には、このようなコアコンピタンスが見当たらない。現在、公式サイトにある掃除ロボット以外の製品は、空気清浄機と子供向け学習ロボットだけ。ルンバのナビゲーション技術は、コアコンピタンスとはなり得ず、新事業を創出することはできなかったのだ。
絞り込みの弊害
もう一つの経営悪化要因は「事業を絞り込み過ぎたこと」である。
かつてiRobot社には二つの事業領域があった。軍需事業と民需事業である。
はじめてビジネスとして成功した製品は、軍需ロボットだった。湾岸戦争で敷設された機雷を除去する「アリエル」を皮切りに、紛争地の地雷除去や爆発物処理を担う「パックボット」、狭い場所に潜り込み状況確認する「ファーストルック」など。iRobot社のロボットは5000台以上が戦場に配備されたという。
2002年に発売した「ルンバ」が収益化するまでの6年間、iRobot社を支えたのも、これら軍需ロボットが稼いだ利益だった。

「PACKBOT 525」
Teledyne FLIR公式YouTubeチャンネルより
ところが、2016年、iRobot社は軍需事業の売却を決める。この決断は、リソースを「ルンバ」に集中できるという恩恵をもたらす一方、2つの弊害を生じさせた。
弊害の1つ目は、シナジー効果の喪失だ。軍需ロボットの地雷探知アルゴリズムは、ルンバに活用されていた。ルンバで得たノウハウも、軍需ロボットにフィードバックされていた。両事業にはシナジー(相乗効果)があったのだ。だが、事業売却によりシナジーはなくなった。結果、革新的な製品が開発できず、中国勢に後れをとってしまった。
弊害の2つ目は、視野が狭くなったことだ。
軍需事業売却後のiRobot社の活動領域(ドメイン)は
「『家庭向けの』『床の』掃除ロボット」
に狭まった。結果「手間をかけずキレイにしたい」という顧客ニーズが見えない近視眼状態(マーケティング・マイオピア)に陥ったのだ。
なぜ、業務用掃除ロボット市場に進出できなかったのか。なぜ床掃除だけなのか。なぜ「モップ(水拭き)機能」の搭載に出遅れたのか。マーケティング・マイオピアと無関係ではあるまい。単一事業への絞り込みは、製品開発と事業領域の両面で弊害を引き起こしたのだ。

iRobotと競合するドリーミー(Dreame)の新製品「X50 Ultra」
Dreame Technology Japan株式会社プレスリリースより
アクティビストの常套句
軍需事業売却は、経営陣だけの判断ではない。株主(アクティビスト=物言う株主)の意向が強く反映されている。当時の、“Boston Business Journal(bizjournals.com)”は、
「物言う株主の要求に屈した」
と厳しい表現で報じている。ここでいう「物言う株主」とは、ロサンゼルスを本拠地とするアクティビスト“レッド・マウンテン・キャピタル・パートナーズ”である。彼らの提案は以下のようなものだった。
- 軍需事業を売却すること
- 消費者向け掃除ロボット事業に注力すること
- 1億ドル以上の自社株買いと定期配当を検討すること
「これらを実施すれば、iRobot社の市場価値は短期間で50%上昇する」
この物言いには既視感がある。そう、セブン&アイに対し、イトーヨーカドー売却とセブンイレブンへの注力を促したアクティビスト“バリュー・アクト”の主張にそっくりだ。
アクティビストたちは「単一事業の企業」を好む。複数の事業を内包している多角化企業(コングロマリット)を嫌う。なぜ儲かっているのか「わかりにくい」から。投資家の好みではない事業が含まれると「売りにくい」からだ。
単一かつ高利益事業に集約することにより、売りやすくなり、買いやすくもなる。だから、アクティビストたちは、会社を分割し単一事業化することを提案する。単一事業はアクティビストたちにとって好都合なのだ。
だが、単一事業化は、経営者にとってデメリットが多い。一つは、先に述べたシナジー(相乗効果)がなくなること。もう一つは、リスクが分散できなくなることだ。自社唯一の事業で危機に陥ると、生き残ることが難しくなる。
今、唯一の事業で危機に陥っているiRobot社。襲い掛かるのは中国勢だ。バッテリーを手掛けるアンカー(Anker)、スマートフォンを手掛けるシャオミ(Xiaomi)、掃除機全般を手掛けるドリーミー(DREAME)など、複合企業も含まれる。彼らに対抗し、生き残ることができるだろうか。
アクティビストたちへの対処
米国のアナリスト ボビー・バーレソン氏によれば、iRobot社の経営陣は「軍需事業の長期的価値を強く認識していた」という。にもかかわらず、アクティビストの要求を受け入れざるを得なかったのだ。
今、日本はアクティビストたちの「狩場」と言われる。この先、彼らの影響力はさらに強まるだろう。iRobot社の危機は対岸の火事ではない。どのように対処するか熟考する必要がある。

アイロボットジャパン合同会社プレスリリースより
【追記】
アイロボットジャパン(日本法人)は米国本社の決算報告の翻訳を3月12日に掲載している。全文は以下の通り。
2024年12月28日に終了した年度のiRobotのForm10-K年次報告書(10-K)に記載されているように、消費者の需要、競争、マクロ経済状況、関税政策などの潜在的な要因により、新製品の発売が成功するという保証はありません。これらの不確実性とその不確実性が当社の財務に与える可能性のある影響を考慮すると、2024年の連結財務諸表の発行日から少なくとも12カ月間、事業を継続できるかどうかのゴーイングコンサーン(継続企業の前提)に相当な疑義があります。追加情報は、SECに提出される10-Kに含まれます。
2025年3月12日アイロボット・コーポレーション発表 日本語訳(一部抜粋)
さらに、アイロボットジャパンは、この本社発表についての補足【米本社発表の決算報告についてお知らせ】を公式サイトに掲載している。全文は以下の通り。
3月12日に米国本社より発表となりました2024年第4四半期ならびに通年の決算報告に関するプレスリリースに関しまして、一部誤解を招く報道が見受けられますのでこの場にて補足申し上げます。昨年までの経営状況と今後の消費者動向、マクロ経済状況、関税政策などの見通しを踏まえ、アイロボットの取締役会が負債の借り換えや売却可能性など、幅広い選択肢の評価を開始したことは事実です。しかしながら、現時点において一部の報道にあるような「企業としての存続不可」といった状況には全くございません。私どもの事業は通常通りであり、当面のビジネス上の義務を果たすのに十分なキャッシュと流動性を保有しており今後もそれを継続して参ります。私どもは事業戦略を着実に実行し、お客様ならびにパートナーの皆様のニーズにしっかりお応えするために引き続き真摯に取り組んで参りますので、ご理解賜りますよう心よりお願い申し上げます。
【参考】
iRobot Reports Fourth-Quarter and Full-Year 2024 Financial Results | iRobot Corporation
iRobot (IRBT) Sells Defense Business After Activist Pressure – Boston Business Journal
IRobot under the gun to divest defense robot unit | Investors Business Daily
令和6年9月2日財務省報道発表「年次別法人企業統計調査」
『ルンバを作った男コリン・アングル 共創力』大谷 和利 (著)/小学館
各社プレスリリース 他