このnoteをお読みくださる方には自明と思うが、私ほど「党派性」から遠い人間はいない。たとえばオープンレターについても、その「悪い点」を個別に批判してきたのであって、署名した人がなにをやっても「敵だから叩く」といったことはしなかったし、これからもしない。
当然ながら裏面として、オープンレターへの批判であれば「味方だから持ち上げる」、間違っていても道具に使う、といったズルもしない。ホンモノの物書きなら、あたりまえのことだ。
いまGoogleを「オープンレター」で検索すると、ほぼ必ず1ページ目に出る記事がある。同レターに自身の署名を捏造されたと訴える、文筆家の古谷経衡氏が、2022年2月15日に公開したものだ。

延々と長い文章なので、先に背景も含めて、年表にまとめておこう。
2021.3.17 北村紗衣氏が呉座勇一氏に抗議し、炎上が始まる。
3.20 呉座氏が北村氏に謝罪の上、鍵アカウントを解錠する。
4.4 オープンレターが公開され、署名の募集が始まる。
11.3~12.29 私が全13回の連載でオープンレターを批判する。
2022.1.14 ゲンロンカフェで呉座氏の復帰イベントが開催。
1.17~ 古谷経衡氏らが「名前を勝手に使われた」と抗議を開始。
2.4 呼びかけ人すら名前の無断使用があった事実を私が公開。
2.15 古谷氏の上記記事が公開。
2021年秋からの私の批判もあり、オープンレターの正当性はすでに失墜しており、22年1月14日の呉座氏の復帰イベントに際しても、反対する声はほとんど盛り上がらなかった。
その3日後に古谷氏が「レターに名前があるが、署名した記憶はない」とTwitterで主張し(ヘッダー写真)、同様の告発が続いて、ますますレター側への批判は強まった。そこに2月4日の私の記事が出た結果、オープンレターはむしろ「恥ずかしくて、擁護する方が勇気がいるもの」に変わってしまったというのが、事態の経緯である。

古谷氏のYahooでの記事は、「自分は署名していない」との旨を、繰り返す内容だ。要は、オープンレターがすでに大炎上となったタイミングで、焼却炉にガソリンを注ぐに等しかった。
しかしながら、それは「虚偽」ではないかとの疑念が、彼より前からオープンレターを批判してきた人のあいだでは、ずっと囁かれている。というか、なかば通説化していると言ってもよい。知らないのは、レターの支持者だけかもしれない。
そもそもヘッダーに掲げた彼のツイートも、「賛同人を受諾した事実」がないとする表現は、やや不自然だ。オープンレターはオンラインの署名フォームで自発的な記入を募ったのであり、古谷氏らの個々人に「受諾」するよう依頼に回ったのではない(一部には、そうした例もあったろうが)。
実際、古谷氏の記事には、すぐにわかるおかしな点があった。私は彼とは面識も交流もないため、文中に出てくる辻田真佐憲氏に、公開の当日にメールで「訂正するよう伝えては」と促したのだが(彼はまじめな人なので、そうしたと思う)、今日に至るまで当該の箇所はそのままだ。
そもそも小生は、該「オープンレター」に賛同人として署名するに必要なgmailを、過去20年間使用して居(お)らない。……よって、小生はこの「オープンレター」の署名に必要なgmailをそもそも保有していないのである。
だから小生が能動的にこの「オープンレター」賛同人に署名することなど、システム的にありえない虚妄なのである。
古谷氏の記事(2022.2.15)より
強調を附し、段落を改変
まず、オープンレターはGoogleのフォームで署名を募ったが、システム上、①メールアドレスの記入を必須の用件にはしていなかった。そうした本人確認の杜撰さが、無責任だとして当時炎上していたのである。この古谷氏の言明は、事実として誤っている。

次に、周知のとおり、②Androidの機器を使うには原則としてGoogleアカウントを作るから、そのとき普通はGmailのアドレスも保有する。古谷氏が完全なAppleユーザーという可能性もないではないが、「Gmailを持っていない」というのは今日、考えにくい想定だ。
私自身は古谷氏と接点がないこともあり、このときは「仕事が雑な人なのかな」と思うだけで、流してしまった。他の人に指摘されて、そうではない可能性に気づいたのは、だいぶ後のことだ。
わざわざ一人称を「小生」とする、不自然に気取った文体の古谷氏の記事は、そうした衒学的な雰囲気にふさわしく、異様に長く続く。そして、先に引いた「Gmailがないから、システム的にそもそも署名できない」とする主張の直後に、以下のような断り書きが続く。
「あなたは、呉座氏を”批判”するオープンレターの賛同人になっていますよね?」
この前掲辻田氏の衝撃的な通知により慌てた小生は、第一に、すわ自らの不徳が原因ではないかと考えた。なるほど「オープンレター」の発起人の中には、知己の人々が散見される。よって小生がどの段階かで、賛同人への承諾について、安請け合いをしたかも知れぬのだ。
小生は根が極めて堕落的で、酒に酔うと自分を大きく見せたいと云う、対人恐怖症が反転したコンプレックスを濃密に有しているので、知人に対して酒席でことさら饒舌になり、或いは尊大になり、その対人態度が垂直的に歯止めなく増長するという、宿痾的悪癖を持っておるのだから、何かしらのタイミングで、「オープンレターの賛同人になってください」という依頼を、ふたつ返事で受けていたのかもしれぬ。
古谷氏の文章では、まずGmailを持っていないから、署名しようと思っても「物理的にできない」とする、(事実に相違した)説明がなされる。その後にこの一節が来るので、(知識のない)読者は「でも、してないんですよね。Gmailがないんだから」と受け取る。
しかし、Gmailがないと署名できないというのは、端的に虚偽だ。その部分(本noteの1つ目の引用)がなく、上記(2つ目)のみが記されていたら、読者の印象はまったく異なるだろう。
この人、「酔ったらなにをするかわからない」って自分で言ってるんだから、泥酔中にスマホをいじってノリで署名し、その記憶をなくした可能性もあるのでは? ――そう疑いつつ、残りの部分も読み進めるはずだ。
古谷氏の記事ではこの後、「メールを調べても痕跡がない」「事務所に確認したが知らないと言っている」との旨が延々と続く。しかしそれらは本来、同氏が署名しなかったことの証拠にはならない。ひとりで呑みながらスマホで署名フォームに記入し、眠って記憶を失えば、それきりだ。
その可能性を読者に思いつかせない装置として、事前に置かれた「Gmailがないので…」の一節は機能している。なにより精読すると、古谷氏自身が後半部で、ポロリと以下のように述べている。
ある種の大義を掲げたネット署名は、SNS全盛の時代、燎原の炎のごとく列島いや、世界に伝播するであろう。しかしながら、その中にあって「賛同人」を掲示するタイプのネット署名は、小生の体験が生き証人であるように、全く本人チェックがなされておらない。
いやいや、もし「Gmailを記入しなければ署名できなかった」のなら、本人チェックはしているじゃないですか。住所や生年月日ほどではないとはいえ、Androidの使用アカウントと紐づいたアドレスは、それなりに重い。私自身も、仕事は他のアドレスで行い、人には教えていない。
上記から強く「推測される」のは、次のことだ。
控えめに言って、古谷氏には①「酔った際に署名したかもしれない」という疑念を本人自身、晴らす自信がない。より穿った見方をすれば、②署名しており、記憶もあるのだが、後ろめたさゆえに隠蔽した可能性もある。
先に記したとおり、これが今や、当時オープンレターを批判した側で流通する常識だ。私は党派的な人間ではないから、同レターを支持した人たちのためにも、ここで開示しておく。

そもそもなぜ、こうした挙に古谷氏は出たのだろう。彼がまずTwitter、次いでYahooを用いて「私は署名していない」と主張し始めた時期、すでにオープンレターの方が炎上していたことに注目すれば、理解は容易だ。
そもそもオープンレターが出る契機となった、2021年3月17日以降の呉座勇一氏の炎上の際にも、古谷氏は大勢が決した後の26日になってから、こうツイートしていた。28日になんら問題のない公平な記事を出したのに、なぜか当時炎上させられた私が言うのだから、まちがいない。

後に「署名偽造」を主張した際も、
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なお同氏は、オープンレター問題がひと段落した2022年6月にも、酔った上での不品行を契機に大騒動を起こしている。下記のまとめに「古谷」として登場するのが、経衡氏だ。
一時は完全に「キャンセル」され、あらゆる媒体から拒絶された呉座勇一氏に、復帰の場を提供したのはゲンロン/シラスを運営する東浩紀氏だった。キャンセルカルチャーを批判するだけなら、私ほか何名かがやってはいても、「代わりの場所を用意する」のは、そうできることではない。
ところがそうした営為は、この古谷氏のトラブルによって、潰されてしまった。誰ひとり、その愚行からなにかを得た人はいない。
私はいまもキャンセルカルチャーに反対だから、これらの件で古谷氏が仕事を追われるべきだといったことは、考えない。ただ、こうした人だと知った上で同氏と共演する人は、自ずと品性を問われていくだろうと思う。
とりわけ、彼が起こした問題の当事者でありながら、だらだらと同様の関係を続けている例に至っては、率直に失望している。
一方で、当時オープンレターを運営していた人たちにも、伝えておきたい。メールアドレスすら記入を必須にせず、一切の本人確認なしで署名を誇示したのは、恥ずかしいことだ。しかしだからといって、批判する側がいい加減な論理で、不誠実な叩き方をしてよいことにもならない。
あのとき「確かに、署名の集め方に落ち度はあった。しかし、いま『署名偽造』を唱える人にも、事実誤認がある」と、オープンレターの不手際を認めた上で抗議しておけば、十分に有効な反論たり得ただろう。それを怠ったことが、あなたたちを、誰も尊敬しなくなった理由である。
誠実さが最も強い(Honesty is the Best Policy)という格言がある。しかしいまも沈黙し、逃げ回って忘却を待つあなたたちが晒しているのは、ちょうどその裏にある教訓だ。すなわち、Dishonesty is the Worst Policy である。
参考記事:



編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年3月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。