陰謀論やディープステートという言葉が流行している。秦郁彦の著書では、「陰謀史観」の定義を「特定の個人ないし組織による秘密謀議で合意された筋書きの通りに歴史は進行したし、進行するだろうと信じる見方」としている。
また、ディープステートという言葉は、トルコにおける「国家の中の国家」を意味するものが語源のようだが、現代では主としてアメリカにおいて、民主党系の投資家などのビジネスマン、CIAやFBIといった諜報機関や国務省などの公務員、マスコミ、軍需産業などが結託し、リベラルな価値観で世界を仕切ろうとしているという意味で使われている。
トランプ大統領は、自分が第一期目に彼らの壁を破れず、十分な成果を上げられないまま落選させられたと考えており、その一味と見なされる組織や個人を徹底的に排除しようとしている。

トランプ大統領 ホワイトハウスXより
現代日本における最大の陰謀論は、日本政府の政策が旧統一教会によって、安倍政権や自民党が牛耳られていたというものと、逆に中国政府や韓国・北朝鮮によって好き勝手にされているというものだ。はっきり言って、どちらもどちらである。
古くは、第二次世界大戦のころにコミンテルンが世界を支配しており、そのために日本が敗戦に追い込まれたと信じている人もいる。
私は、より一般化して言えば、「物証や確実な証言なしに」「ほとんど動機だけからストーリーを組み立て」「間違いない真実であるかのように語る」ことが、陰謀史観的な思考であると思っている。
犯罪捜査においてもそうだが、動機は非常に重要であり、物証や証言がないからといって、その可能性を否定すべきではない。だから、外交の分析においても動機を重視すべきだと考えている。
現代の歴史学では実証主義が主流であり、本郷和人氏は「現在の歴史学の主流は実証を重んじる『科学』なので、人間の内面(感情)にこだわってはいけない」というような主張をしているようだ。
しかし、それは犯罪捜査において、鑑識が集めた証拠や文書として残されたものだけに頼るのと同じである。その結果、新しい文書や発掘があるたびに定説が頻繁に変わってしまう。
外交の世界においても、もちろん相手の出方を見るうえで文書や物証は重要だが、噂話や経験豊富な人物の分析、さらには職業的な勘まで働かせて推理を行い、決めつけずに、有力な推論には手厚く、可能性のある情報にもそれなりの対応をしていく必要がある。
したがって、私はいわゆる歴史家というのは、文献学者か考古学者であり、歴史論の全体像を踏まえていないと感じている。たとえば、古代史においても外国の事例、戦国大名たちの攻防、旧家の人間関係なども推理の有力な材料になると考える。
私は、ディープステート的なものが、整然とはしていないが、国境を越えて隠然たる力を持っているとか、ユダヤ人の団結が強いとか、フリーメーソンの影響力も侮れないといった見方にも、それなりの真実があると思っている。
華人のネットワークはたいしたものであり、出身地ごとの結びつきも強い。ダイヤの取引はかつてユダヤ人が多かったが、現在ではインドのジャイナ教徒なども台頭している。旧ソ連におけるカフカス系の人々は、運転手のネットワークを通じて流通に大きな力を持っている。日本のパチンコ業界において半島系の人々の団結が強いのも確かである。東京の風呂屋については新潟出身者が多い。
ただし、たとえば外交において何かの決定をするには、多くの人が関わるので、一人がある動機を密かに持っていたとしても、それだけで組織が動くわけではなく、過大評価は禁物である。
たとえば、フリーメーソンのメンバーであっても、ほかの組織にも属している。これは、たとえば慶応大学の卒業生の団結が強いとしても、彼らもほかの立場を持っており、必ずしも慶応OBの候補を支持するとは限らないのと同じである。
中国が沖縄を独立させようとしているのかと言えば、少なくとも北京政府は、国民政府が沖縄返還に消極的だったことに対抗したり、米軍基地の機能縮小を狙っている側面はあるが、沖縄本土復帰に貢献したことは間違いない。
しかし、復帰後に沖縄の中でそうした動きがあれば、中国がそれにつけ入ろうと虎視眈々と狙っていることも事実であり、日本政府が琉球の歴史に対して誤った対応をしていることが、その隙を与えている。
たとえば、琉球王国が明や清に朝貢していたことの象徴である守礼門を2000円札の図柄にしたことなどは、その最たる例である。これが決定された際、私は「禍根を残すから中止すべきだ」と産経新聞で提起した。中止には至らなかったが、普及には一定の歯止めになったと思っている。
陰謀史観といえば、『日本書紀』はデタラメだというのも一種の陰謀史観だと思う。もしそれが、史実を歪める動機や、虚説を書かせた立場の人物が誰であるかなどという組み立てに基づいているとすれば、それは根拠がない。
藤原不比等が自分に有利になるように『日本書紀』を書かせたとする説もあるが、不比等にはそのような虚偽を記述させる立場にはなかったし、不比等がそれによって利益を得る理由も明確ではない。京都学派が不比等を絶対権力者として描いた虚像に乗っかっているにすぎない。
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