ドイツ機墜落から10年、改めて振り返る

スペイン・バルセロナ発ドイツ・デュッセルドルフ行きのドイツのジャーマンウイングス9525便(エアバスA320、乗客144人、乗員6人)が2015年3月24日、フランス南東部のアルプス山中に墜落した。ドイツ民間航空機の歴史の中でも大きな衝撃を投じた同事故から24日で10年が経過した。関係者の間で同日、追悼会が開かれた。

ジャーマンウイングス9525便、ウィキぺディアから、撮影Sebastien Mortier

事故の原因は事故当初は技術的な問題があったのではないかと見られていたが、事故調査の結果、墜落は27歳の副操縦士の意図的な操作によることが明らかになって、欧州航空会社に大きな衝撃が走った。

独日刊紙べルリーナー新聞は「計算された死」という記事の中で、「考えることすらできない出来事」と書いていた。副操縦士は面識のない多くの乗客を道連れに、機体を急降下させ、山壁に衝突させたのだ。

フランスとドイツ当局の調査によると、ジャーマンウイングスの事故の責任は副操縦士アンドレアス・ルビッツ氏にあると判明した。副操縦士はまず機長をコックピットから排除し、その後エアバス機を衝突コースに乗せ、149人の罪のない人々を死に追いやった。これらの事実が明らかになった後、最も差し迫った疑問は、なぜ精神障害を患ったルビッツ氏がルフトハンザ子会社で副操縦士として働くことができたのかということであった。

独民間放送ニュース専門局NTVは24日、「副操縦士の自殺、航空業界はジャーマンウイングスの悲劇からどう学んだか」という見出しで墜落10年目を振り返っている。「2015年のジャーマンウイングスの事故は、航空交通に広範囲にわたる変化をもたらした。新しい安全規制は主にパイロットの精神的健康管理に注がれていった。専門家は現在、同様の事件が起こる可能性は非常に低いと考えている」という。

事故後、欧州航空会社は①コックピット内の常時2人体制、②パイロットの精神的チェックの強化―などの対策に乗り出した。ただし、①の二人乗りルールがその後、再び撤回された。欧州航空安全局(EASA)は、飛行中は常に2人がコックピットに居なければならないと布告したが、その結果、装甲ドアがより頻繁に開かれ、他の乗組員が容易にアクセスできるようになることでリスクが生まれてくることが判明したからだ。

航空会社のショックの一つは、コックピット内の安全強化が裏目に出たことだ。米国内テロ多発事件後(2001年9月11日)、航空会社はさまざまな対策に乗り出した。その一つはコックピットへの第3者の侵入を阻止するためコックピットを内から閉じるシステムを導入したことだが、ドイツ機墜落の場合、この技術的改善が機長をコックピットに入れさせず、副操縦士の狂気の計画を可能にさせたからだ。

他の重大な航空事故と同様に、ジャーマンウイングスの墜落事故でも、安全規制の改善の可能性が検討されたが、航空医師、個人、さらにはルフトハンザの航空医療サービスも含め、誰も刑法では有罪ではなかった。被害者の親族の一部は連邦航空局を相手に民事訴訟を起こしているが、まだ審理は行われていない。

仏日刊紙リベラシオンは当時、「技術は発展したが、その技術を管理するのは依然、人間だ」と報じていた。航空技術の発展、安全管理の強化で技術の欠陥による事故は限りなくゼロに近くなったが、ドイツ機の墜落は、安全管理の主役は「技術」ではなく、「人間」にあることを改めて示したわけだ。

以上、10年前のコラムを参考にドイツ機墜落事故を振り返ってみた。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年3月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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