今年2月27日に公開された「ダビデの家」(House of David)というタイトルのアマゾン・ビデオのTV映画シリーズ(8回)を観てきた。
舞台は初めてイスラエルの王になったサウルが統治していた時代だ。サウルは預言者サムエルから油を注がれてイスラエル民族の初代王に就く。連戦連勝の勇士サウル王は近隣の異教徒を破って強固な国を造っていった。
ところが、ある日、神は預言者サムエルを通じて国王サウルに「今、行ってアマレクを撃ち、そのすべての持ち物を亡ぼし尽くせ。彼らを許すな。男も女も、幼な子も乳飲み子も、牛も羊も、ラクダも、ロバも皆、殺せ」と命じた。サウルはアマレクと闘い、勝利した。しかし神の言われたことを守らず、悪い物だけを殺し、良い牛、羊などを分捕り物として持って帰ってきた。そしてアマレク人の王アガダを人質にして生かしておいた。それを知った神はサウルに激怒し、「あなたは私の命令を守らなかった」としてサウルを王にしたことを悔いる。
サウル王については「サムエル記上・下」に記述されている。モーセがエジプトから60万人のイスラエルの民を引き連れて神の約束の地に向かって歩みだした時、アマレク人は弱り果てていたイスラエルの民を襲撃した。「アマレク人は神を恐れなかった」と記述されている。神はモーセの民たちを殺害したアマレクを許しておかず、サウルを通じて撲滅しようとした。その神の命令に従わなかったサウルから「神の祝福」は離れていった。それを感じたサウルは何とか「神の祝福」を取り戻そうとするが、できない。サウルの心は乱れ悪霊に憑かれていく。呪術師を呼んで薬を作らせるも心は決して昔のようには戻らない。
そのような中、神はサムエルにユダ族の息子ダビデに王としての油を注ぐように伝える。ペリシテ人との戦いでサウル王と先陣たちはゴリアテを前に恐れおののく。イスラエルを救うために立ち上がったダビデはゴリアテとの戦いで勝利し、イスラエルの人々を救済する。サウルは「神の祝福」がダビデの上にある事に嫉妬し、何度もダビデの殺害を試みるが、サウルから逃れたダビデをサウルの息子ヨナタンは助ける。サウル王は最終的にはペルシテ人との戦いに敗れ、ギルボア山上で自害する。ダビデはサウルに次いで王となっていく。

サウル王に琴を奏でるダビデ少年、レンブラント・ファン・レイン画、Wikipediaより
サウル王について紹介したが、当方が関心を持った点は神が選んだ人物が一旦、その祝福を失った場合の苦悩の世界だ。神はアベルの供え物を受け取り、カインのそれは受け取らない。また、アブラハムの家庭では長男のイシマエルではなく、イサクを祝福し、イサクの家庭では長男エソウではなく次男ヤコブに祝福した話が旧約聖書に記述されている。なぜ神はカイン、イシマエル、エソウに祝福を与えなかったのか、という点は別の機会で考えるとして、「神の祝福」を受けた人物がそれを失った場合、どのような状況が生まれてくるかという点について考えた。
神は選んだ人物に預言者を通じて「油を注ぐ」。「神による選びと任命」を象徴する重要な儀式だ。この行為は神の召命を意味し、神がその人を特別な役割(王、祭司、預言者)に任命したことを示す。サウルの場合、彼がイスラエルの最初の王として選ばれたことを意味する。そして神の霊がその人物に宿り、導きと力を与えたわけだ(サムエル記上10:6)。
一方、「神の祝福」を失うとはどういう意味か。サウルは最初、神に選ばれた王として「神の祝福」を受けていたが、不従順な行動によってその祝福を失う。その結果、神の霊がサウルから離れ、代わりに「悪霊が彼を悩ませるようになった」。これは、サウル王が神の導きと守りを失い、精神的に不安定になったことを示している。神から見放された状態を指すわけだ。
サウル・ダビデ・ソロモンの3代の王国時代が終わった後、神の教えに従わなかった選民ユダヤ民族は南北朝に分裂し、捕虜生活を余儀なくされる。北イスラエルはBC721年、アッシリア帝国の捕虜となり、南ユダ王国はバビロニアの王ネブカデネザルの捕虜となったが、バビロニアがペルシャとの戦いに敗北した結果、ペルシャ帝国下に入った。そしてペルシャ王朝のクロス王はBC538年、ユダヤ民族を解放し、エルサレムに帰還させた。その後、ユダヤ民族は様々な試練を経ながら民族の解放者を待ち続ける。
「サウル王の話」は、神から祝福され、神の霊が注がれてきた人物、民族、国家がその使命を果たさなかった場合、どのような結果が待っているかを物語っている。ユダヤ民族だけの話ではない。「黄金時代が始まった」と豪語したトランプ米大統領ら世界の指導者、国家にも程度の差こそあれ当てはまる話ではないか。
「神の祝福」を失い、神の霊が離れていった場合、その隙間に「悪霊」が入り込む。その結果、選ばれた人物、民族、国家は大きな試練に直面する。歴史は、中心人物、中心国家・民族が一時期、黄金時代を築くが、いつしか神から離れ、滅びていった数多くの実例を示している。
その意味で、「サウル王の話」は21世紀に生きる私たちにとっても非常に啓蒙的な内容が含まれていると言えるのではないか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年3月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。