3月24日の以下の記事に対して、31日に古谷経衡氏がXで応答してきた。しかし私が指摘した内容には一切答えることなく、「刑法231条侮辱罪」で訴える、来週月曜には「代理人弁護士」に投げる、といった脅しを繰り返すばかりだ。いわゆるスラップ訴訟による脅迫である。

私の記事が不当な中傷だと思うなら、①具体的に「ここが事実と異なる」と指摘し、②その上で削除や謝罪を要求して、③「そうしないなら訴える」と伝えるのが言論人の作法だ。だが古谷氏の批判には、最も不可欠な①のステップがない。
むしろ彼は、私への脅しを通じて「事実でない主張」を重ねている。具体的には、以下のツイートを見てほしい。
①面識の有無がなぜ「批判する資格の有無」と関係するのか不明だし、②私は記事の中で「嘘つき、詐欺師」の語は使っていないが、③より重大な虚偽は「ファクトは何もない」だ。
上記したリンクから見ていただければわかるが、古谷氏とオープンレターの関係を検証した私の記事には、明確なファクトがある。
① オープンレターに署名するにあたって、メールアドレスは必要なかったこと。
② しかし古谷氏は「Gmailがないと署名できなかった」として、事実と異なる記述をしたこと。
③ 上記②の「事実に反する根拠」を欠いた場合、古谷氏の記事の中に、同氏が「確かに署名はしていない」と立証できる論拠はないこと。
②と③は、古谷氏自身の記事を読んでいただければ、誰でも確認できることだ。私は証拠を読者の目から隠すような、卑怯な手段は使わないので、ぜひ以下のリンクから原文にあたられたい。

①はどうか。もし、オープンレターの署名に際してGmailが必須だったなら、私の事実誤認となるから、むろん古谷氏に謝罪しなければなるまい。
反証はいくらでもある。まず、これも私の記事で示しておいたリンクだが、オープンレターが炎上した際、その呼びかけ人は「きちんとGmailで本人確認をしている」などとは主張しなかった。むしろ ”あえて” メールアドレスは集めなかったと言い張って、炎上をより加速させたのだ。

次に、仮に署名にはGmailが必須だったとしよう。その場合は当然、「古谷経衡」を名乗って署名した者も、なんらかのGmailアドレスを署名に際して記入したことになろう。さて本物の古谷氏は後に、その事実を知る。最初にすべきことはなにか?
オープンレターの管理者に対し、「私を名乗って署名した者が用いた、Gmailアドレスを開示せよ」と求めることであろう。然る後に「これは私のアドレスではない」とファクトで否定し、自身の名を詐称した者の所在を追及する。これ以上に明瞭な「署名偽造」の証拠はない。
「そうはしたいが、方法がなかった」という言い訳は通用しない。なぜなら古谷氏自身が、記事の末尾でこう書いているからである。
*本稿執筆までに、所謂「オープンレター」の発起人複数の方から、小生あてに、極めて丁寧な謝罪のメールやお電話を頂戴いたしました。
(中 略)
小生としては、下手人の”栄誉ある自首”を以て、概ね寛大なる慈悲の心に従い許そうと思いまするが、実際のところ、小生の氏名を僭称した下手人は、いまだに闇の中に潜伏しており、まったく判明しておりません。
強調は引用者
古谷氏はオープンレターの「発起人」に複数の伝手があり、問い合わせようと思えばできたのだ。闇の中に潜伏もなにもない。なぜ「私の名を騙って署名した人の、Gmailを出してください」と要求し、真実を明らかにしないのか?――答えはシンプルで、Gmailは署名に必要なかったからである。
前回は(古谷氏への配慮もあって)省略したが、そもそもGmailに関する同氏の記述は最初から混乱していた。彼は、こう書いている。
そもそも小生は、該「オープンレター」に賛同人として署名するに必要なgmailを、過去20年間使用して居(お)らない。gmailの開発者には申し訳ないが、該メール送受信の信頼性に些かなりとも疑義を持つに至った小生は、1990年代末期から、一貫してgmailを使用していないのである。
よって、小生はこの「オープンレター」の署名に必要なgmailをそもそも保有していないのである。だから小生が能動的にこの「オープンレター」賛同人に署名することなど、システム的にありえない虚妄なのである。
前回は省略した箇所を復元し、
段落と強調箇所を改変
「使用していない」と「保有していない」はまったく別のことだ。一般論として、「持ってはいるがあまり使わないアドレス」をネット署名やショッピングサイトなど、初見のためプライバシーの面で気になるサービスに用いることは、よくある。
また前回の記事でも書いたが、Androidの機器を使う際には自ずとGmailを取得する例が多いから(*)、もし古谷氏が利用していた事実が判明すれば、「Gmailがないので署名できなかった」という言明も疑わしくなろう。もし訴訟となるなら、当然この点を調査し、広く情報を募集する。
(*)違うやり方もあり得る、とする同記事への批判があった。「出世」云々といったこの方の価値観には、同意できない点が多いが、私はつねにフェアな形で議論したいから、報告しておく。

古谷氏は、まず①オープンレターの署名にはGmailが必要だったという「虚偽の事実」を摘示し、次いで②だから自分は一人では署名できなかったと主張する。しかし、そもそも①が事実でないので、必然的に②も事実でない(加えて、仮に①が事実であっても、②が成立するかは疑念がある)。
古谷氏の記事では、続いて③「酒席で署名を頼まれ、OKしたかもしれない」とする自問自答が始まり、以下のように記されるが、これも不自然だ。
しかし小生のメールボックス、SNSのダイレクトメール、その他を丹念に、数日間に亘って調べた結果、そのような証拠は全然なく、そもそも該時期に小生は単行本執筆に対し、特に編集者からの督戦に応えるべく追われに追われ、該知人らと酒席を共にした事実も、そんな時間的余裕も、からっきし完全に無いのである。
1300人以上が署名しただけあり、オープンレターが署名を募集した期間は、かなり長かった。2021年4月の4日に公開された後、同月末までは署名を受けつけたはずである。もしその間に一度でも、古谷氏に酒席に出席した事実が確認されるなら、上記の言明も虚偽になるので、司法の場で争うならもちろんこの点も検証する。
さらに言えば、21年の4月のみで済むとは限らない。古谷氏が書いているのは「酔った勢いでOKを伝えた相手が、独自に古谷氏の名前を署名簿に載せた可能性」についてだから、Webフォームでの署名の記入が〆切られた後も(たとえば同年の夏等でも)、古谷氏が宴席を囲んでいれば、同氏の名前が載ることは起こりうる。
いったい古谷氏は、いつからいつまでの「メールボックス、SNSのダイレクトメール、その他」を点検したのか。同氏が「なかった」と主張する酒席への参加は、本当にその間1回も存在しないのか。裁判で争うというなら、その点も俎上に上げることになろう。
そもそも、酒を飲む席で(オープンレターの関係者が)署名を話題に出し、「古谷さんも賛成ですよね? じゃあ、こっちで名前書いとくんで」といったサインの集め方をしたのかも、とする想定自体が、レターの運営者たちを侮辱している。そんな「署名運動」の手法はないからだ。
自覚があるのだろうか、古谷氏は「署名偽造」で恥をかかされたはずにもかかわらず、記事の末尾で(彼に謝罪の連絡をした)オープンレターの発起人たちを、不自然に褒めちぎってみせる。
小生はそれらの紳士的で、熱情のこもった、すべての言に納得し、所謂「オープンレター」の発起人諸氏に対し何らの不信感も持っておりませんし、彼らもまた、悪意ある第三者による僭称の被害者であると思います。僭称被害者という意味で、小生とオープンレター発起人の方々は水平であります。
最後に、一切の反証の提示なく私の記事を批判する古谷氏のツイート自体が、私の名誉を毀損し、侮辱している疑いが強い。長文だが以下に画像を掲げるので、よく見てほしい。
「君たちの狭いネット右翼界隈」とは、なんのことか。『ネット右翼の逆襲』『反日メディアの正体』『もう、無韓心でいい』(2013-14年)といった書籍を売ってきた古谷氏と異なり、私は一度もネット右翼としての活動などしていない。あるというなら、ファクトを示すべきだ。
「貴殿のメンタルはネット右翼そのもの」と、唐突にメンタルなる語彙を出し、「どちらか異常者か、裁判官に判断してもらう」と異様な恫喝をするのも不自然だ。この場合に自然な表現は「貴殿の手法は」等であろうし、裁判所は「法に則っているか否か」を問う場所であり、正常者か異常者かの判断を下すためにあるのではない。
上記から推測されるのは、古谷氏が、私がメンタルの病気の体験をカミングアウトしていることにつけ込み、「與那覇は異常者だから、その批判は無効だ」とする差別に基づく対人論証を目論んでいるという事実だ。古谷氏自身も障害者手帳の保有を公表しているようだが、自分がされて嫌なことを、他人にして恥ずかしくないのだろうか(*)。

(*)推敲中に友人が送ってくれたが、古谷氏は以下のとおり、「どうぞお大事に」(=お前は病気だ)と揶揄するツイートもしていたそうだ。これ以上の「障害者差別」の傍証も、なかなかない。
古谷氏は同じ揶揄を、
別のツイートでも繰り返している
本noteの読者は、私が「言論には言論で戦う」ことを重視し、それを自由な社会の条件と見なしてきたことをご存じだろう。そんなことは本来、常識だったのだが、2020年代初頭の長いステイホームの下、SNSでの下品な罵りあいに言論人も呑まれる中で、すっかり自明ではなくなっている。
むしろ今は、自身の誤りが事実により反証されても訂正せず、逆に思い余って暴言を浴びせた類の批判者をスラップ訴訟で脅して、まっとうな批判まで委縮させようとする識者が増えている。コロナ、ウクライナを経て「専門家」の間に広まったこの悪習については、これまでも批判してきた。

しかし、なにひとつ言論では反駁せず、Xで露骨な脅しを振りかざす古谷氏が行っているのは、もはやコロナやウクライナですらない、単なる個人のメンツもスラップ訴訟で解決しようと謀る、近年の動向の「矮小化」と呼ぶべき振るまいだろう。
私は今後とも「言論には言論で」の精神で堂々と戦うが、もし古谷氏が実際にスラップ訴訟の挙に出るなら、その不当性、および上記した私への名誉毀損の疑惑に関して反訴する。
その際は事実を広く公開し、読者に支援をお願いすることもあるかと思う。批判と対抗言論が自由に行われる社会を守るために、ぜひ力を貸してくださるなら幸いである。
(ヘッダーは小学館のサイトより)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年4月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。