「トランプ関税」の政治思想は経済学の教科書には書かれていない

トランプ大統領の公約の目玉の一つであった高率関税の導入が、遂に発表された。「国家緊急事態法」を根拠法として、巨額の貿易赤字が国家の緊急事態になっているという認識を披露したうえで、広範な高率関税の導入を宣言した。

関税を発表するトランプ大統領 ホワイトハウスXより

トランプ大統領としては、関税収入によって、やはり空前の規模に達している財政赤字の改善も狙い、大型減税の実施につなげ、国内の製造業の復活を期待する、という政策見取り図である。

この措置は、世界中の諸国の反発を引き出しているだけでなく、経済学者を中心とする識者層の厳しい批判を招いている。他方、少数派ではあるが、「大国の最適関税」の視点を強調する方もいないわけではない。

私は経済学者ではないので、この政策が成功するかどうかに関する論評は控えたいと思っている。関連主要諸国や関連主要企業の反応次第で、効果が変わってくる面もある。調査もせず、生半可な教科書記述を振り回すだけで結論が出せるとは思えない。ただ、気になるのは、時流に乗る形で、「トランプは無能だ、気まぐれだ」といったことを繰り返している方々が、あまりに多いことだ。眉を顰める議論の一例は、1930年代の事例への参照の仕方だ。
「トランプはバカだ、ただそれだけだ」主義の人たちは、高率関税は世界恐慌を招くと決まっているのに、トランプはそれを知らない、と吹聴している。

史実は、両大戦間期の自由放任主義が、ニューヨーク株式市場の暴落に端を発する世界恐慌を招いた。帝国運営をしている大国が、自分の帝国内だけでも経済を回していくために、次々と高率関税を導入した。その結果、植民地を持たない諸国は、いっそう苦しい立場に追いやられることになった。その非帝国諸国の中で、それでも大国と言える国力を保持していたのが、ドイツであり、大日本帝国だった。これらの非帝国の大国は、植民地を持っているイギリスやフランス、あるいはモンロー・ドクトリンの伝統に訴えて西半球世界を囲い込んだアメリカを独善的な「持つ国」として糾弾した。そして「持つ国」がそのような身勝手をするのであれば、ドイツや日本のような「持たざる国」もまた自己防衛のために帝国主義的拡張をするしかなくなる、と主張した。それがヨーロッパの第三帝国であり、東アジアの大東亜共栄圏であった。そのため1930年代の日本人は、大東亜共栄圏を「東亜のモンロー主義」と呼んでいたのである。

つまり高率関税が世界恐慌や世界大戦を招いたのではない。世界恐慌が高率関税を招き(原因と結果が逆)、高率関税を導入して囲い込む自国の植民地を持っていなかった諸国が、世界大戦を開始した。それが史実である。

世界恐慌後のブロック経済の進展が、第二次世界大戦を招いてしまった、という反省から、戦後は関税を低く抑えることを目的にした自由貿易体制が標準化した。今日のWTO(世界貿易機構)に受け継がれるGATT「関税および貿易に関する一般協定」が1947年に成立して、強力な自由貿易維持の協調体制ができあがったのは、この第二次世界大戦の原因分析に基づく反省からである。

したがってこれは政治的な反省であって、経済的なものではない。

しかもその政治的枠組みも、冷戦期のソ連や中国には適用されなかった。そのため自由貿易体制の維持は、自由主義陣営の維持そのものと同一視される傾向が生まれた。そこで超大国アメリカが、その圧倒的な経済力を、20世紀前半までの大国のように、自己利益の追求のために使うのではなく、国際制度の維持のために費やすという習慣が生まれた。これは、アメリカが自由主義陣営の諸国を率いて、共産主義陣営との間の冷戦を戦っていた、という国際政治の全体図の文脈がなければ、とうてい理解できない習慣であった。

この図式は、冷戦が終わった時に、変化を見せ始めた。当初は「自由民主主義の勝利」「資本主義の勝利」が疑いようのない現実だと信じられていたため、自信に満ち満ちたアメリカが、ロシアや中国を、WTOを通じた自由貿易体制に引き込んだ。これは第一義的には、かつての冷戦時代の敵を、同じグローバルな経済システムに入れ込むことが、国際社会全体の安定にもつながる、という政治的動機があって初めて意味を持つ措置であった。

しかし同じ時期、21世紀になってからのアメリカは、そしてその他の自由主義諸国も、経済成長のパフォーマンスでは見劣りがするようになり始めていた。世界経済における伝統的な自由主義諸国のシェアは、低下の一途をたどった。

空前の規模の貿易赤字を抱えるアメリカに最も大きな赤字を作らせているのは、中国だ。次にメキシコ、ベトナム、といった新興国が並ぶ。自由主義諸国の結束を維持して冷戦体制を勝ち抜くことや、自国の勢力圏を持たない諸国が不満を募らせ過ぎないようにする、といった政治的な配慮は、もはや時代遅れになった。購買力平価GDPではすでにアメリカよりも巨大になっている中国が、アメリカに貿易赤字を作らせているのだ。そしてかつては気を遣う対象だったかもしれない小国が、アメリカに巨額の貿易赤字を作らせているのだ。

この状況においてなお、「アメリカは自由主義陣営の指導者だ、どれだけの赤字を抱え込んでも決して何もしない」、とアメリカ人に言い続けさせるのが至難の業であるは、仕方のないことだと思う。アメリカの大統領の「何かしなければいけない」という焦り自体は、決して理解できないことではないはずだ。

もちろん経済学者の大多数は、だからといって高率関税を大々的に導入してみても、アメリカの製造業の復活につながるかはわからない、と主張している。そうかもしれない。ただ、トランプ大統領は、主流派の新古典派的な経済学者に、特に深い敬意も尊敬も、持っていないだろう。

それどころか「MAGA:アメリカを再び偉大にする」とトランプ大統領が言い続けるとき、念頭に置いている19世紀のモンロー・ドクトリンの時代のアメリカは、高率関税が平準化していた時代のアメリカである。トランプ大統領は、平均50%の関税を導入したと言われる「マッキンリー関税」で有名なマッキンリー大統領の時代を、アメリカが最も偉大だった時代、と描写したこともある。(この点については、要点を『TheLetter』に書いて配信した。)

さらにはキャリアのほとんどが21世紀になってからのアメリカの停滞の時代であった、バンス副大統領に代表される40歳台の世代の保守主義者の思想が、トランプ大統領の高関税政策を受け入れる要素も見られているようだ。

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ここではっきり言えるのは、「トランプは無能」「気まぐれ」「支離滅裂」だから、破綻した高率関税を導入したが、「どうせ失敗に気づいてすぐに方針転換するだろう」といった見方には、大きなリスクがある、ということだ。

トランプ大統領の背景には、19世紀モンロー・ドクトリンのアメリカの政治思想の伝統、アメリカの国力に幻想を抱かない現代の保守主義者の思想などが、存在している。少なくとも早々と簡単に撤回されると予測するのは、難しいと思う。むしろ、甘く見過ぎていると、日本の方が痛い目にあうのではないか。

日本人は、「トランプはバカだ」の大合唱に精力を注いでいる暇があったら、新しい時代を乗り切る方策を、真剣に考えるべきではないだろうか。

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