監視ソフト「ペガサス」の怖さをつづる本:ポーランドでは特別調査も

WhataWin/iStock

監視ソフト「ペガサス」。その名前を聞いたことがあるだろうか。

ペガサスとはイスラエルの企業NSOグループが開発したモバイル端末用スパイウェアで、監視相手のスマートフォンからデータ、画像、会話内容、位置情報などを取得できる。

その存在が広く知られるきっかけを作ったのが、2020年、フランスに拠点を置く非営利組織「フォービドゥン・ストーリーズ」にリークされた5万件の携帯電話の番号だ。実は、世界のさまざまな国の野党政治家、人権活動家、ジャーナリストなどの電話番号だった。

「自分たちだけでは手に負えない」。そう思ったフォービドゥン・ストーリーズは、国際的人権擁護組織「アムネスティ・インターナショナル」に協力を求め、電話番号の半数にペガサスがアクセスした痕跡を見つけた。

フォービドゥン・ストーリーズと調査チームは「ペガサス・プロジェクト」を立ち上げた。10カ国17の報道機関が参加して、2021年夏から英ガーディアン紙、仏ルモンド紙、南ドイツ新聞、米ワシントンポスト紙などが報道を開始した。

2023年、フォービドゥン・ストーリーズの創設者ローラン・リシャール氏と編集長サンドリーヌ・リゴー氏がプロジェクトの経緯をまとめる本を英語で出し、今年、この邦訳版が出た(「世界最凶のスパイウェア・ペガサス翻訳:江口泰子、早川書房)。


世界最凶のスパイウェア・ペガサス

 ページを捲るのが怖い

あなたのスマホにはどんな情報が入っているだろう?

メール、メッセンジャー、ソーシャルメディア、健康情報、公私の連絡先、予定表、地図情報・・・スマホがなければ仕事も生活も継続は困難になる。

グーグルやフェイスブックなどの主要テック企業が自分のスマホ情報を収集することについては様々な議論が発生したが、多くの人は「便利なサービスなので、しかたない」と思っているのではないだろうか。筆者もそんな一人だ。

しかし、ペガサスは別次元の話になる。

基本的に相手のスマートフォンを乗っ取る」のがペガサスだ。

「暗号化を含むセキュリティを破って相手のスマートフォンに不正侵入し、スパイウェアの存在を知られることなく、端末をほぼ意のままにできる。スマートフォンを使って送受信したあらゆるテキスト、通話内容、位置情報、写真、動画、メモ、閲覧履歴だけではない。ユーザーに感づかれることなく、カメラとマイクロフォンも起動できる。ボタンを押すだけで、遠隔操作による完璧な個人監視が可能になる」(「世界最凶のスパイウェア・ペガサス」)。

NSOによれば、サービスは「法執行機関と諜報機関による使用を目的に、主権国家にしかライセンスされない」という。

しかし、世界の様々な国の政府がテロ撲滅や犯罪者を捕まえるというレベルをはるかに逸脱し、批判的勢力を粉砕するために使っている可能性もあるだろう。

フォービドゥン・ストーリーズは流出したデータと調査によって、NSOと取引があると思われる11カ国を割り出した。アゼルバイジャン、バーレーン、ハンガリー、インド、カザフスタン、メキシコ、モロッコ、ルワンダ、サウジアラビア、トーゴ、アラブ首長国連邦(UAE)である。

その後のトロント大学の「シチズン・ラボ」の調査によれば、ペガサスは23カ国で導入されている。欧州ではハンガリーのほかにポーランド、ドイツ、ベルギー、スペインなど。

「自分が監視の対象になるわけはない」。そう思っていても、「誰か」がペガサスの監視対象になり、「同じ会議に出ていた」「空港にいた」などの理由で、自分や友人、家族に監視の輪が広がらないとも限らない。

監視対象者が自分が監視されていることを全く感知できない状況とはいったいどんなものか。スパイウェアの威力に、本書のページを捲るのが怖くなるほどだった。

 どうやって証明する?

「最凶」と表されるペガサスによる監視の事実を、いったいどうやって「証明」してゆくのか。そして、いったい何ができるのか。スリラー小説のような展開で、物語が進んでゆく。

リシャール氏とリゴー氏がベルリンでアムネスティ・インターナショナルのサイバー・セキュリティの専門家と会い、協力を呼びかけるくだりではこのプロジェクトで要求される機密性のレベルの高さがひしひしと伝わってくる。

そもそもの話として、二人はアムネスティ側の専門家たちを「本当に」信頼していいのだろうか?逆に、専門家たちにどうやって二人が嘘を言っていないことを信頼してもらうのか?

様々な困難を乗り越えて、リシャール氏らのチームは世界各国の政府が人権活動家、政治家、ジャーナリストらを監視し、弾圧や言論の封じ込めに利用していた実態を明らかにしていく。

「利便性が高すぎる」ソフト

ペガサスによる監視行為とその波紋は、決して過去のものではない。

筆者は、毎年4月、イタリア・ペルージャで開催されるペルージャ・ジャーナリズム祭でペガサス・プロジェクト関連のセッションに参加してきた。

昨年4月のセッションについては、以前にこのコラムでも伝えている。携帯電話をペガサスに侵入されたジャーナリストらが体験談を語ったセッションである(「ペガサス・プロジェクトから3年経ち、規制は実現するのか、それともさらに道は遠いのか」)。

この時、ズームで参加したアムネスティのアニエス・カラマル事務局長の発言を再掲してみると、ペガサスのようなソフトは「簡単にはなくならない」という。「新しいテクノロジーであるために完全に排除するための法律や規制が追い付かない」。

また、対象者に気づかれずに監視するソフトはこれを使おうとする側にとっては「利便性が高すぎる」ので、全面的な禁止への動きができにくいという。

昨年、ペルージャ・ジャーナリズム祭でのリシャール氏(Diego Figone氏、撮影)

ポーランドでは

ポーランドの前与党「法と正義」(PiS)は、政権担当時に野党政治家や活動家の監視にペガサスを使用した疑惑が指摘されている(同党は否定)。

ポーランドでは、2023年10月総選挙が行われ、下院で第1党となったPiSが過半数に達しなかった一方で、政権交代を目指す3つの野党勢力が合わせて過半数を確保し、12月、8年ぶりの政権交代となった。市民連合(KO)を率いるドナルド・トゥスク氏が首相に就任した。

総選挙後、ペガサス疑惑を解明するための特別調査委員会が設置された

現司法大臣によると、2017年から2022年の間にPiSによって約600人が監視対象となったという。

今年2月、ポーランド政府が直轄する中央汚職対策局の局長が関連で辞任している。特別調査委員会で証言をした際に「機密を公表できない」と述べ、問題視されていた。

現在も全容は解明されていない。


編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2025年4月5日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。

 

あなたにオススメ

Recommended byGeniee

preload imagepreload image