トランプとマスクが対立するグローバリゼーションの次の選択

池田 信夫

トランプ政権のスポンサーであるイーロン・マスクが関税の撤回をトランプに直訴した。

トランプ政権のイデオロギーは「重商主義」

他方、トランプ政権の上級顧問ピーター・ナバロがFTに「トランプの関税政策は壊れた貿易システムを修復する」というコラムを書いてトランプ関税を擁護している。これは貿易赤字で雇用が失われるという18世紀の重商主義である。要約すると、

■ 国際貿易体制の問題点

  • 長年にわたってアメリカは他国よりも高い関税厳しい非関税障壁を受けてきた。
  • 世界貿易機関(WTO)の「最恵国待遇」ルールが、アメリカにとって不利に働いている。
  • アメリカは自由貿易の名のもとに、年間1兆ドル以上の貿易赤字を抱えるようになった。

■ 貿易赤字による影響

  • 1976年以降の累積赤字は20兆ドル超(2024年のGDPの60%以上)となり、多くのアメリカ資産が外国に流出。
  • 製造業の雇用は680万人減少し、実質賃金もほとんど上がっていない。

■ WTOの限界

  • WTOの紛争解決機能は機能していない。
  • アメリカが勝訴しても、EUのような相手国は判決を無視して貿易制限を続けている。

■ トランプの関税政策(報復関税ドクトリン)

  • 他国の関税・非関税障壁に同じだけの負担で対抗する。
  • 「交渉」ではなく、「国家の緊急事態」への対応として行動。
  • 中国が第三国(カンボジア、メキシコ、ベトナムなど)を経由してアメリカの関税を回避することも問題視。

グローバリゼーションで格差は拡大した

ナバロの主張は「中国が貿易によってアメリカ人の雇用を奪っている」ということだ。たとえばiPhoneの部品はすべてアジアで生産されている。

WSJ

もしiPhoneがアメリカで生産されていれば原価は約550ドルだが、トランプ関税で約300ドル高くなる。関税をかければアップルはアメリカ国内で生産するだろうというのがナバロの論理だが、そんなことは起こらない。

1990年代に経営危機に陥ったアップルをスティーブ・ジョブズが救った戦略は、アメリカ国内の工場をすべて売却し、研究開発・設計だけをカリフォルニアでやり、生産をすべてアジアでやるオフショアリングだった。

それによってアップルの業績は奇蹟的に回復し、大ヒット商品iPhoneを生み出した。それを逆転することは不可能である。もし組み立てだけアメリカでやって関税を逃れても、その部品はすべて輸入品なのでコストは1.5倍になる。

このようにグローバリゼーションはアジアに多くの雇用を生み出した。かつて最貧国だった中国の労働者は豊かになり、世界全体が豊かになり、先進国と途上国の所得格差は縮まった。

だがそれによってアメリカの単純労働者の賃金は中国に近づき、国内の格差は拡大した。これは要素価格の均等化という19世紀から知られている法則である。水が高いところから低いところに流れるように、賃金の高い国から低い国に生産が移動し、それは世界全体の単位労働コストが同じになるまで止まらない。

各国の単位労働コスト(2015年=100)

実は同じ現象が日本でも起こった。2010年代に世界最大の海外直接投資をおこなったのは日本企業だった。それが日本でも製造業の雇用が失われ、実質賃金が下がった原因である。これを逆転することは不可能だし、望ましくもない。

新自由主義の次の二つの道

グローバリゼーションの弊害をなくす方法は二つある:一つはナバロのような重商主義でグローバリゼーションを止めることだ。大統領選挙で関税を主張していたトランプをアメリカ人が選んだのはこの道だったが、それはアメリカ人も不幸にしてしまう。彼らの豊かな生活はグローバリゼーションで築かれたからだ。

もう一つはグローバリゼーションを進めながら、事後的に政府が所得再分配をおこなうことだ。これには累進所得税や社会保障などいろいろな方法があるが、巨大な既得権がからんで進まない。

トランプ関税は、レーガン政権から始まった新自由主義を全面否定する社会実験ともいえるが、それが失敗に終わることは確実である。イーロン・マスクはナバロを批判し、逆にアメリカとヨーロッパの関税をゼロにして米欧自由貿易圏をつくろうと呼びかけている。これはトランプとは逆に、新自由主義を徹底する加速主義である。

これはグローバリゼーションの次の道をめぐる選択である。トランプの道が望ましくないことは明らかだが、マスクの道は政治的に容易ではない。それは社会保障の抜本改革なしには、格差を拡大するだけに終わるだろう。

あなたにオススメ

Recommended byGeniee

preload imagepreload image