与野党から経済対策として現金給付やら減税やら様々な声が出ているようです。日本経済はそこまで酷いのかなというのが私の疑問です。コメの価格高騰から展開している話ならコメ配給券を配ればどうでしょうか?戦中から戦後にかけてあった米穀配給通帳にヒントを得ればよいでしょう。つまりピンポイント対策に留めるべきです。円高になってきており、一般物価は諸外国の状況と関税回避の輸入品の流入で一旦ピークアウトするとみています。選挙対策だとしても与野党ともその程度しか智慧が出ないということです。情けない。
では今週のつぶやきをお送りいたします。
バンジージャンプ相場
こちらの経済報道に「ヨーヨー相場」と見出しに書かれていたのですが、ヨーヨーは同じ振幅をずっと繰り返します。私は「バンジージャンプ相場」だとみています。要は振幅幅が少しずつ収まり、一旦相場は落ち着くとみています。理由は米中の関税合戦はもはや無意味な領域にあり、双方でデカップリングしたとみられるからです。ただし、バンジージャンプの特徴は上から落ちて同じ高さには戻らないという意味もあることを私は申し上げたいと思います。つまり関税による世界経済へのボディーブローは効いているということです。
ところで降ってわいたように話題になったのがアメリカ30年物国債の価格下落(利回り高騰)です。超長期で見るとこの国債の利回りは長く下落トレンドで2020年3月に1.12%ぐらいまで下がるのです。ここから上昇局面に入り現在は5%に手が届くところです。特に政権を慌てさせたのが4月4日の4.34%からわずか1週間で0.6%ベーシスも上昇したことです。実は一番ポピュラーな10年物国債も4月4日の3.88%を底に現在は4.55%とこちらも0.60%ベーシス程度利回りが上昇しています。
アメリカの物価は落ち着いており利下げを年内に4回見込むほどなので国債の急激な利回り上昇の理由は誰かが国債を売っているのではないか、という疑心暗鬼にあるとされます。噂は中国ですが、統計的に5月末ぐらいまでは判明しません。国債価格の不安定感からドル不信任の動きはあり、ドルインデックスも急落しており、ブルームバーグインデックスではついに節目の100を切りました。金が高騰するのは弱いドルによる援護射撃もあるのです。市場はつかの間の安堵になりそうですが、思いもよらぬ次の嵐がまたやってくるかもしれません。
仮面のトランプ政権、賞味期限は?
一般的には就任100日間はハネムーン期間とされますので1月20日からカウントして概ね今月末まではまだ様子見のはずですが、誰もそんなことを思う人はいないと思います。第2期目なので試用期間はなしとするならむしろ賞味期限という話しをしなくてはいけない気がします。政権内部のゴタゴタからキーパーソン離脱が顕在化するような様相を感じるのです。
マスク氏の政権離脱の可能性はトランプ氏の口からも直接述べられましたが、マスク氏はまだそれを肯定していません。関税推進派のナバロ大統領上級顧問とマスク氏の公の言い合いはタブロイド紙並みのレベルです。マスク氏が関税に公然と反対表明をするなどトランプ氏の方針と真っ向から対立しており、数カ月のうちに辞める公算は高いとみてます。

トランプ大統領 ホワイトハウスXより
財務長官のベッセント氏と商務長官のラトニック氏の就任前のポジション争いも含めた不仲も泥仕合であります。投資ファンドでの経験が長いベッセント氏は市場を理解しており、国債相場の変化について大統領への進言も彼でした。もう一つ、外交関係ではバンス副大統領も見逃せません。バンス氏は調子に乗り過ぎで口の悪さが災いし、外交で機能不全になる気がします。最近は戦争終結の話はどっかに行ってしまいました。とにかく政権が曲者だらけで和も協調もなく、戦国武士が功名合戦をしているような状態です。閣僚達は恐ろしいほどのプレッシャーの中でよく空中崩壊しないなぁと思います。まさか「お薬」、飲んでいないでしょうね?
ググる派、チャットGPT派、それとも自分で考える派?
どうやらチャットGPTに代表される生成AIが仕事の流儀、勉強の流儀になっているようです。先日、東大生と慶應生を前に酒を飲みながら勉強の仕方を伺うと両名とも課金型チャットGPTを使っていると。確かに知りたい内容のエッセンスを瞬時に示してくれる点ではいちいちググるよりはるかに効率的で能力アップには欠かせないツールということでしょう。現代版「答え一発カシオ ミニ」ですかね。(すみません例えが古すぎて)
このブログだって生成AIに書かせればものの数分で書き終わるのでネタがない日には非常に助かるかもしれません。しかし、私が生成AIに頼りたくないのは書くことで自分のエキスになること、ユニークな文章形態でAIでは表しにくい表現を維持したいこと、そして何より完全な文章にしないことに意味があるのです。もしも私のブログが完全無欠、非の打ち所がないものだったら誰もコメントしないでしょう。こいつはまたアホなことをほざいていると思うから「ツッコミどころ満載」で意気揚々、今日は俺がコメ一番乗りだぜ、になるわけです。
ご承知の通り、私は司馬遼太郎を10年がかりで読み続けています。何が面白いかと言えば氏の表現力や文章力が他の作家と比べ圧倒的に差異がある司馬文学であります。とっつきにくいけれど一言ひとことに重みがあり私には宝石が散りばめられた玉手箱ぐらいに感じるのです。なので司馬さんの新しい本を手に取るたびにドキドキしながらも第1ページを開くと裏切らない安心感がそこにあるのです。文章ってそういうものです。口語はなおさらです。しかし、生成AIに強く影響を受けるほど独自の表現力が薄れていくわけで一抹の寂しさを感じます。多分、近い将来、文章が書けない人が続出する、そんな気がします。
後記
グズグズ文句を言う人が私の周りで増えています。思惑通りではない不満を誰かに言いたいのでしょう。昨日もあるイラン人の男から突如の電話で延々と40分近くも愚痴を聞かされました。ようやく終わったと思いきや、別の顧客から「話がある」と言われ、対面で愚痴を1時間。私は両名に言いましたよ。「それを私に言ってどうなるの?」と。すると「君とシェアしたかった」と。世の中フラストレーションだらけで全然コトがうまく運ばないのです。最後のパンチはカナダで30年来のビジネスの友人から「自分の知り合いが金が足りなくなったので50万円程度を貸してくれないか」と。そういう本人は10億円以上の資産を持つ人。訳わかんねー、ですよね。「残念な生き物」ならぬ「残念な人々」だと憐れみながら「そうか、それは大変だね」とウンウンとうなづくと相手がほっとして解放してくれることに気がつきました。バカバカしい話には反論も意見もしないことですかね。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年4月12日の記事より転載させていただきました。