ドイツは「第2のアデナウアー時代」か

ドイツ民間放送NTVニュース専門局のヴェブサイトにはヴォルフラム・ヴァイマー氏のコラムが掲載されているが、4月8日付けのコラム「アデナウアー時代の到来か」は非常に興味深い。ヴァイマー氏は次期首相の「キリスト教民主同盟」(CDU)メルツ党首時代がアデナウアー時代と酷似している、という視点からコラムを書いている。以下は同氏のコラムの概要を紹介する。

コンラート・ヘルマン・ヨーゼフ・アデナウアー氏 Wikipediaより

先ず、ヴァイマー氏はアデナウアーが登場した1950年代と次期首相候補者メルツ党首時代が似ている点を指摘する。「東部での血なまぐさい戦争、米国との貿易戦争、そしてドイツにははまだ政府が発足してない状態だ。世論調査は最大の不確実性を示している。メルツ氏が政権を担う現代はアデナウアーが政権を担当した1950年代を彷彿とさせる」というのだ。

コンラート・アデナウアー(1876年~1967年)は1949年から63年まで西ドイツの最初の首相だった。アデナウアーは連邦共和国の再軍備に反対していた。1949年の選挙運動中、彼はCDUのキリスト教平和主義の綱領を非常に明確に策定し、1949年12月4日にドイツ通信社に対して「私はドイツ連邦共和国の再軍備、ひいては新たなドイツ国防軍の設立に根本的に反対していることを国民にきっぱりと明らかにしなければならない」と述べていた。しかし、選挙勝利から数か月後、アデナウアーはまさにその逆のことをした。つまり、再軍備を開始した。それはドイツ連邦軍の創設と北大西洋条約機構(NATO)への加盟に繋がった。アデナウアーは自身の立場を修正しただけでなく、CDUを深刻な危機に陥らせ、暴力的な抗議行動が国内を揺るがした。グスタフ・ハイネマン内相は1950年、抗議のため辞任し、2年後にCDUを離脱しているのだ。

ヴァイマー氏は「アデナウアーは歴史的な方向転換を遂げ、それに対する多大な批判に耐え、そして最後には歴史に立ち向かう勇気を示した。1950年に朝鮮戦争が勃発し、社会主義独裁政権、特にソ連は戦争と暴力による残忍な拡大路線を歩んでいた。アデナウアーは、自らが変化し抵抗せざるを得ないと感じ、歴史はそれが正しかったことを証明することになった」と記している。

ヴァイマー氏は2025年のメルツ氏の出現を1950年代のアデナウアー時代の再現のように受け取っている。「70年後、同じパターンが繰り返される。CDU党首で首相に指名されるフリードリヒ・メルツ氏は、巨額の負債もドイツ史上最大の再軍備も、一世代で最大の貿易戦争も望んでいなかった。しかし、ロシア、ウクライナ、米国での出来事は、彼に修正を強いるだけでなく、大きな方向転換を迫っている。アデナウアーと同様、メルツ氏もこのことに対する批判の嵐に耐えなければならない。平和主義者と右派ポピュリストは彼を戦争屋と攻撃し、左派は彼を嘘つきで約束を破る者と呼び、『ドイツのための選択肢』(AfD)は彼を裏切り者で『社会民主党』(SPD)のしもべと非難する」という。

シンプルに表現するなら、アデナウアーもメルツ氏も選挙前の公約を全て放棄したけではなく、公約とは全く逆の政策を実施する。明らかに「公約破り」だが、それが時代の要請に合致するという幸運に恵まれ、アデナウアー氏はドイツの戦後の歴史にその名を残すことが出来た。同じように、メルツ氏も膨大な財政赤字を甘受し、ドイツの再建に乗り出そうとしているわけだ。

ヴァイマー氏はコラムの最後に、「メルツ党首もSPDのクリングバイル党首も、アデナウアーの時代と同様、将来のドイツのためには改正という苦い重荷を背負わなければならないので、それを引き受けている。クリングバイル氏は移民・国民所得政策を見直し、メルツ氏は債務ブレーキを見直している。メルツ氏は、アデナウアー氏が再軍備に反対したのと同じように、巨額の債務増加に反対してきた。しかしメルツ氏はアデナウアー氏と同様、ドイツには今や安全保障のための新たな枠組み、いわばヨーロッパ版NATOが必要だという認識に基づいて行動している。ドイツはロシアに対抗するために武装し、同時に米国から独立しなければならない。この国は第2のアデナウアー時代を迎えている」と説明している。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年4月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。