黒坂岳央です。
仕事やSNSで「間違ってはいないけれど、どうにも薄っぺらく感じる発言」を見かけることがある。
実力とそれに見合った発言が一致していないと、人は簡単に“浅い”と感じ取る。仕事ぶりは優秀で言葉選びが適切でないと、「この人、口だけ強くて中身は浅い」と思わせてしまうケースは少なくない。
本稿では、一見まともに聞こえるのに、実は“頭が悪そう”に見えてしまう発言パターンを3つ紹介する。それぞれに共通するのは、「論理があるようで中身が伴っていない」という構造である。

CamiloTorres/iStock
正論しか言わない人
世の中には「正論を言えば意見が通る」と考えている人が一定数いる。
たとえば、最近はこんな発言を見る。「才能は生まれつきのもの。自分は才能に恵まれていないのでだから社会が助けるべきだ」と。
「才能は生まれつき」という主張は、心理学や教育の分野でも一定の裏付けがある。確かに、何をしても結果が出ない人が存在するのも事実だ。
しかしこの正論が、“自分は才能がないから仕方がない”という自己正当化の論拠として多用されると、途端に浅く聞こえてしまう。
「その人にどんな才能があるか?」なんて、そもそも脳を解剖して中身を覗いて確かめることなどできない。筆者自身、英語・動画編集・撮影・執筆・自炊など様々なスキルを独学で習得して、自分では満足の行く力を得ることができたと思っている。だがその一方、会計スキルについては10年挑んでも全く結果が出なかった。
当時は「これは遅咲きなのできっと後から伸びるはず」と思っていたが、結局、開花することはなかった。人には向き不向きがある。さすがに10年はやりすぎだと反省しているが、このように適性は実際に行動してみないと判断できない。
また、「才能がない自分が多少努力してもすごいレベルにはなれない」という人ほど、その比較対象がトップアスリートや大成功している経営者など、あまりに非現実的な場合が多い。
しかし大半の人間は平均的な能力に収まる凡人であることを考えると、自分と同じ土俵(学歴・職歴・年齢など)にいるライバルと比較して、どれだけ成果を出せるかだ。同じレベル感のライバル間における努力なら、類まれなる才能などなくても、努力した分は明確に差をつけることができるだろう。
名言負けしている人
ビジネスの現場では、名言や格言を引用する人がいる。たとえば、
「君はもっと挑戦するべきだ! ほら、孫正義さんも言っているじゃないか。“最大のリスクは、リスクを取らないことだ”ってね」
言っていること自体は素晴らしい。だが、もしこれを語る本人が過去にリスクテイクの実績がなかったとしたら、この言葉は途端に空虚になる。
名言は本来、歴史に名を残す重鎮による本質的な重い言葉のはずだ。しかし、その重い名言を軽くいうからそのギャップを感じて「お前がいうな」と思わせてしまうのだ。
軽々しく名言を言う人は「他人の言葉を借りて自分を大きく見せようとしている」という印象を与えてしまう。重い言葉は重い人が言わなければ軽く伝わってしまうのだ。
抽象的でリアルさがない
議論をしたときに相手からの反論で
「まあ、人それぞれだからね」
「絶対的な正解なんてないよね」
と回答が返ってくることがある。これらは一見、多様性を尊重する発言に聞こえる。しかし、具体的な意見を求められた場でこれを繰り返されると、「思考停止」と見透かされてしまう。
一体、抽象的なことしか言えないことは何が問題なのか?その理由は「そもそも言う必要が全くないから」である。「人それぞれ」「正解はない」などは言われるまでもなく、誰もが分かっている。議論における意見とは、正解そのものではなくあくまで価値観の1つに過ぎない。
意見に対するカウンターはまた別の意見であるべきだろう。多面的な視点で議論を交わすからこそ、お互いに異なる視点の価値交換が実現するというもの。
「人それぞれ」が反論になると考えている時点で、「この人は議論のルールを知らない」と相手に伝わってしまうのだ。
◇
今回紹介した3つの発言に共通するのは、本人の意図とは裏腹に、“浅さ”がにじみ出てしまうという点である。
・正論ばかりで現実感がない
・名言を引用しても自身の経験と乖離している
・抽象論で思考を止めてしまう
知性とは、知識の量ではなく、「相手にどう伝えるか」「文脈をどう読むか」といった対話のセンスに宿るものである。
自分の発言が相手にどう届くかを意識すること。それが、仕事の場で信頼されるための第一歩となるのだ。
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