「チェンバレンのように行動しない」とはどういうことか

「ポーランドはチェンバレンのように行動しない」とポーランド外相が語った、というニュースを見て、チェンバレン氏が可哀そうになった。

ポーランドはチェンバレンのように行動しない=シコルスキ外相
ポーランドのシコルスキ外相は、米国のルビオ国務長官はウクライナに対してクリミアを断念することを要求していないと発言した。 — ウクルインフォルム.

「チェンバレン」は「宥和政策」の代名詞として用いられる。ヒトラーのドイツによるチェコスロバキアのズデーデン地方の併合を認めた1938年ミュンヘン会談で、ヒトラーと向き合ったのが、当時のイギリス首相チェンバレンであった。

1938年9月ミュンヘン会談 ベニート・ムッソリーニとアドルフ・ヒトラーと向き合うネヴィル・チェンバレン首相 Wikipediaより

俗説では、チェンバレンはヒトラーに騙されたお人好し、あるいはヒトラーが怖くて何も言えなかった腰抜けであるかのように扱われる。だが実際のチェンバレンは、ミュンヘンから戻った後「ヒトラーは狂人だ」と周囲に語り、ドイツとの対決に備えた大軍拡路線に政策の舵を切った人物であった。そして翌1939年9月1日にドイツが、独ソ不可侵条約締結時の密約にしたがってポーランドをソ連と分割併合するため、ポーランド侵攻を開始したのを見て、9月3日にはドイツに宣戦布告をしたのが、チェンバレン英国首相であった。

イギリスは、ポーランドのために、ドイツとの戦争を開始し、結果として大英帝国も崩壊させるまでに国力を疲弊させた。その大決断をしたのが、チェンバレン英国首相だった。

ネヴィル・チェンバレン首相 Wikipediaより

それが2025年の今日、ポーランド人にどのように扱われているか。宥和政策の権化の腰抜け扱いされている。

ポーランドのような国においても、あるいはポーランドのような国だからこそ、機微に触れる戦前・戦中の歴史の細部は捨象され、戦後の教科書の歴史観が標準とされてしまう傾向があるのだ。

現在、アメリカのトランプ政権が、ロシアのクリミア併合を承認しようとしている。これは大きな判断になる。

米国の「クリミア宣言」の放棄の可能性と「スティムソン・ドクトリン」の帰趨
 アメリカによるロシアのクリミア併合承認の動きが注目を集めている。この問題は、現在の停戦合意の成立、クリミアの歴史、そしてアメリカの外交政策と現代国際法(米国の「スティムソン・ドクトリン」の伝統の帰趨)、などの大きな問題群と、複雑に絡みあっている。直近の政策的結論の是非とは別に、問題の位相を冷静に捉えておくことは、大切...

だがクリミアはミュンヘンだ、つまり宥和政策だ、と単純に断定するのは、あまりに短絡的な歴史観だと言わざるを得ない。

そもそも、仮に、クリミア併合承認がズデーデン併合承認と同じであるとしたら、単にトランプ政権は、ロシアがポーランドに侵攻しても、手を出さないだけだろう。トランプ大統領は、「チェンバレンのように行動しない」だろう。

比較をするのであれば、「チェンバレンは腰抜けだ、トランプは間抜けだ」といったレベルではなく、もう少し真面目な国際情勢の分析をふまえた比較をするべきだろう。

ズデーデン地方の帰属問題は、第一次世界大戦の戦後処理としての1919年ヴェルサイユ条約の妥当性の問題であった。クリミア問題は、ソ連崩壊の事後処理としての1991年時の各共和国の国境線の問題だ。それぞれに独特の複雑な歴史がある。1919年までチェコスロバキアという主権国家は存在していなかった。1991年までウクライナという主権国家は存在していなかった。またズデーデン地方はドイツ人が多数住み、クリミアにはロシア人(話者)が多数住む複雑な民族構成を持つ。ズデーデン地方がドイツの手に移った際には、約22万人のチェコ人が難民としてチェコ側に流出したが、戦後にチェコスロバキア領に戻った際にはドイツ人の約250万人の難民と約25万人の不遇の死者が出た。

基本的に、中欧・東欧のようなところには、民族分布とも一致した歴史的に正しい固有の国境線、と言えるようなものは存在しない。国際的に認められている国境線はあるだろうが、それはあくまでも現在有効な諸国の多数の承認行為によって支えられているという意味であって、絶対不変の線が地面の上に描かれているわけではない。「力による現状変更はいけない」というのは、だからこそ領土問題は武力に訴えず話し合いで解結すべきだ、という意味であって、絶対不変の国境線を確定させることに成功してある、という意味でもない。

現代では、「チェンバレンのように行動しない」とは、ヒトラーに「宥和政策」を採らない、とにかくヒトラーと対決し続けるのが正しい、という意味で解されている。それは、プーチンに「宥和政策」を採らない、とにかくプーチンと対決し続けるのが正しい、という意味としても用いられている。

だがミュンヘン会談の教訓とは、ただただとにかくヒトラーとプーチンと最後の最後まで戦争をする、ということしかないのだろうか。

「宥和主義はダメだ」という精神論を離れて、システム論の観点から、ミュンヘン会談の教訓を引き出すことなどは、できないのだろうか。

システム論の観点からは、ミュンヘン会談がさらなる欧州の危機を救えなかったのは、地域的な安全保障システムが欠落しており、再確立もできなかったからだ、という答えになる。

結局、ズデーデン地方とポーランドを、ドイツの手から引き離したのは、腰抜けチェンバレンがいなくなった、といった精神論の話ではない。

ズデーデン地方とポーランドを、ヒトラーが手放したのは、ソ連がヒトラーに戦争を仕掛けられた後に反撃したからであり、アメリカが日本に奇襲攻撃を仕掛けられた後に欧州でも戦争に参加したからだ。

そしてチェコスロバキアとポーランドが戦後に独立国として存在し続けられたのは、ソ連がワルシャワ条約機構を、アメリカがNATOを作り、両者で勢力均衡の考え方に基づく安全保障システムを確立して維持したからだ。冷戦終焉後は、係争が起こる前に、旧ワルシャワ条約機構からNATOに、前者の消滅を介して、配置換えで加盟することができたからだ。

もし同じような歴史を、クリミア、あるいはウクライナが辿ることができていたら、今のロシア・ウクライナ戦争の悲劇はなかった。ただし、ウクライナは、ポーランドやチェコスロバキアではない。そして相当な年月をかけても、ウクライナが、もう一つのポーランドやチェコスロバキアのような国になる可能性は、もはや非常に乏しい。

今必要なのは、精神論ではなく、こうした現実を冷静に見据えたうえで、安定的な地域安全保障のシステムを構築することだ。それこそがミュンヘン会談の教訓である。

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