「言った言わない」問題の本質と対策

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ビジネスにおける「言った言わない」の水掛け論は、時間と労力を浪費し、信頼関係を損なう深刻な問題です。特に重要な取引や意思決定において発生した場合、企業に大きな損失をもたらす可能性があります。こうしたトラブルを未然に防ぎ、万が一発生した場合でも適切に対処するための具体的な方法を解説します。

よくあるトラブルの実例

対外的なトラブルで多いものの一つに、口頭での合意に基づく取引があります。長年の取引関係がある企業間では、お互いの信頼関係を基に、正式な契約書を交わす前に業務を開始することがあります。しかし、このような慣習は大きなリスクを孕んでいます。

例えば、ある製造業の企業では、長年の取引先から「急ぎの案件なので、契約書は後日で構わないから先に製造を開始してほしい」という依頼を受けました。営業担当者は過去の取引実績を信頼し、口頭での合意のみで製造を開始しました。

ところが、発注元の企業で急な経営方針の転換があり、当該プロジェクトが中止になってしまいました。製造にかかった費用の支払いを求めると、「正式な発注はしていない」「あくまで検討段階だった」という主張がなされ、結果的に大きな損失を被ることになりました。

このような事例は、仕様変更や追加作業の口頭依頼、納期や価格に関する電話での交渉、担当者の異動や組織変更時の引き継ぎ不備など、様々な場面で発生します。当初は双方が同じ認識を持っていても、時間の経過とともに記憶が曖昧になったり、都合の良い解釈をしたりすることで、認識のズレが生じやすくなるのです。

トラブル防止のアプローチ

こうしたトラブルを防ぐために最も重要なのは、すべての合意事項を文書化することです。商談が終わったら、その日のうちに議事録を作成し、相手方にメールで送信して確認を求めることを習慣化しましょう。「本日の打ち合わせでご相談した内容について、以下の通り理解しておりますが、相違ございませんでしょうか」という形で、合意内容を明確に記載します。

相手からの返信がない場合でも、送信記録が残ることで、後々の証拠となります。

電話での重要な会話についても同様です。電話を切った直後に、話した内容をメールで相手に送り、認識の相違がないか確認します。この一手間が、将来の大きなトラブルを防ぐことになります。また、可能であれば重要な電話は録音することも検討しましょう。ただし、録音する際は必ず相手の了承を得ることが必要です。

さらに、段階的な承認プロセスを確立することも重要です。どんなに急ぎの案件であっても、見積書、発注書、契約書という正式な手順を省略してはいけません。「信頼関係があるから」「長年の付き合いだから」という理由で手続きを簡略化することは、かえって信頼関係を損なう結果につながりかねません。

最近では、Web会議システムの録画機能やCRMシステムなど、記録を残すためのツールも充実しています。これらを積極的に活用し、商談内容を即座に記録する体制を整えることが大切です。重要な商談には複数名で参加し、認識を共有することも有効な対策です。一人の記憶や解釈に頼らず、複数の視点で確認することで、認識のズレを防ぐことができます。

トラブル発生時の対処法

万が一「言った言わない」の状況に陥った場合、まず重要なのは感情的にならないことです。怒りや焦りは判断を誤らせ、状況を悪化させる原因となります。冷静に関連するメール、資料、メモをすべて収集し、時系列で経緯を整理して客観的な事実を把握しましょう。

問題が発生したら、早期に上司や法務部門に相談することが大切です。一人で抱え込んで対応を遅らせると、問題が複雑化し、解決が困難になることがあります。組織として対応することで、より適切な判断と対処が可能になります。必要に応じて、弁護士などの専門家に相談することも検討しましょう。

相手方との交渉においては、建設的な解決策を提案することを心がけます。相手を追い詰めたり、全面的な勝利を求めたりするのではなく、双方にとって受け入れ可能な妥協点を探ることが重要です。今後の取引関係も考慮し、現実的な解決を目指しましょう。時には、多少の損失を受け入れてでも、早期解決を図ることが最善の選択となることもあります。

信頼関係とリスク管理

ビジネスは信頼関係の上に成り立っています。しかし、その信頼を守るためにこそ、適切な文書化とコミュニケーションが重要なのです。「契約書を求めることは相手を信頼していないことの表れではないか」と考える人もいるかもしれません。しかし、むしろ逆です。きちんとした手続きを踏むことで長期的な信頼関係の構築につながります。

トラブル発生時の損失、それに費やす時間と労力、さらには信頼関係の毀損といったコストを考えれば、予防策への投資は必要不可欠なものと言えるでしょう。日々の業務の中で、記録を残すことを習慣化し、組織全体でリスク管理の意識を共有することが、健全なビジネスの発展につながるのです。

尾藤 克之(コラムニスト・著述家)

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