
戦後80年を考える著書として、先月『江藤淳と加藤典洋』を出したところ、「この本の著者はヒトラーで、帯を寄せた学者はスターリンだ」という、ものすごい悪口が届いてしまった。それも、著名な評論家からである。
ふつうに考えてイミフだけど、でも、そういった「悪口芸」も含めて言論の自由だから、昨今流行りの民事訴訟ダーも刑事告訴ダーもしない……との旨は、先日すでに報告している。

しかし、なぜ「悪口」にも自由を認めるのか? 自由主義の伝統が弱い日本では、これをわかっていない人が昔から多い。2020年代、コロナやウクライナが醸し出す「戦時」の空気の中で、その傾向はより強まっている。
いまは(比喩であれ)戦時下なんだから、「不謹慎」は取り締まって当然とする風潮に乗り、(たとえ事実の指摘でも)自分が不快に感じたらぜんぶ「中傷」だと独自の定義を振りかざし、なにかあったら「戦争に尽くす私の邪魔をするのか!」と叫べばいい――みたいな人がいるわけですね。

歴史の「専門家」として(笑)、かつての戦争の実例からお教えしよう。日中戦争下での議会と軍部の衝突の極点である、斎藤隆夫の 〈反軍演説〉 事件が起きたのは、1940年の2月だった。
ヘンなカッコをわざとつけたのは、今日の研究では斎藤議員(ヘッダー写真)の発言内容は、実は戦争に反対するものではなかったとされているからだ。優れた概説書から、引いてみよう。
一般には「反軍」演説として知られている。しかし斎藤の立場はべつだん反軍でも反戦でもない。……重要なのは、斎藤演説が「支那事変」の性格を浮き彫りにしていることである。
演説の内容を見てみよう。斎藤は第一に、近衛声明の五つの要点、すなわち①主権尊重、②無賠償無併合、③経済開発を独占しない、④第三国の権益制限を要求しない、⑤占領地域からの撤兵という内容を、政府はそのまま実行するのか、実行して日本に何が残るのかと批判する。
斎藤によれば、国際社会の現実は道理の競争でなく徹頭徹尾力の競争であり、そのような現実に対して、道義に基づく国際正義に立って東洋永遠の平和のために戦うという戦争が、成り立ち得るのかということになる。
(中 略)
そしてこれらの疑問の背景に、多大の犠牲を払っている国民が、それで納得するのかという批判の観点が貫かれていた。
有馬学『帝国の昭和』単行本版、224-5頁
(段落を改変し、強調を付与。
①等の数字も引用者が挿入)
要するに、政府は日中戦争を「聖戦」として美化し、こんなに立派な大義のためにやっているみたいな話ばかりするが、「それで勝てるんすか、なんか得になることあるんすか?」とツッコミを入れたのが、斎藤演説だったのだ。その意味では反軍というより、〈不謹慎演説〉である。
当時は米内光政内閣だが、議場ではこの演説は必ずしも不評ではなかったらしい。なにを参照するかで違うようだが、Wikipediaから引っ張ると、
勝田龍夫『重臣たちの昭和史』では、演説直後、陸軍大臣の畑俊六は「なかなかうまいことを言うもんだな」と感心していたという。また政府委員として聞いていた武藤〔章。軍務局長〕や鈴木貞一(興亜院政務部長)も「斎藤ならあれぐらいのことは言うだろう」と顔を見合わせて苦笑していた、と書かれている。
とする見解もある。先に見た有馬学『帝国の昭和』(2002年)では、かつて皇道派の総帥だった真崎甚三郎の日記を引いて、
真崎は、退役軍人だった弟の勝次から斎藤演説を傍聴した感想を「堂々たるもの」と聞き、「彼の述べたることは国民の声」であり、「此の位の言論〔が〕議会に許されざれば議会は無用なり」との勝次の憤慨を日記に記している。真崎自身の感想も勝次に同感するものであった。
単行本版、225-6頁
と、論じている。
ところが「聖戦を侮辱するとは!」と陸軍が激昂し、圧力に屈して衆議院が斎藤を懲罰委員会に送り、本会議で採決して議員を除名してしまう。まさに数の横暴による、議席のキャンセルである。
1/3の議員は棄権や欠席で、暗黙裡に距離を置いたものの、堂々の反対票で「これはおかしい」と反駁したのは、わずか7名だった(うち1人が、戦後に首相となる芦田均)。これまた近日のネットリンチや、キャンセルカルチャーの景色と同じだ。

はい、みなさんわかりましたね? 社会に「不謹慎は許すまじ!」とする空気が生まれ、便乗して「私への悪口はぜんぶ潰す!」みたいな戦争のセンモンカが跳梁すると、その国が政治的に採れる選択肢が狭くなるんですよ。で、結果としてまちがいを、止められなくなる。
日中戦争に疑問を呈した斎藤演説の論旨を、今日風に言いなおせば、「道義に基づく国際正義に立って欧州永遠の平和のために戦うという戦争が、成り立ち得るのか」となりますが、どちらも成り立ち得なかったわけです。

「NATOがついてる欧州が楽勝」と
侮る人も開戦前にはいました
むしろいまの問題は、世界は「徹頭徹尾力の競争」なんで、誰が無償で助けるかバカ、ガッツリ見返りを取り立てるのがREALな国際政治のDEALだ! と唱える支援国の出現ですよね。そう、トランプやヴァンスって「ワルい斎藤隆夫」なんです。
そこまで来ちゃってから「ボコボコにすると言っただけで、 ”圧勝する” とは言ってません!」と叫ぶ人もいますが、敗戦後の軍上層部も「支那を懲罰すると言っただけで、 ”勝つ” とは…」と弁明したのかもしれません。進歩ないですね(苦笑)。

その後に起きることも、歴史の「専門家」は知っている。初めこそちょっとは反省するけど、ほとぼりが冷めたあたりで「しかし私はあのとき、聖戦という理想に自分を賭けた。その生き方しかなかった」みたいに言い出す人が出てくるのである(橋川文三『日本浪曼派批判序説』)。
要は「政治の挫折を文学でケアする」のだが、にしても国際政治学の失敗をポエムで処理する学者はレアで、有史以来初めてだろう。もはや応援団にもならない、ウクライナ浪漫派の誕生である。

そうなるくらいなら、初めから悪口や不謹慎にも寛容に接し、「まちがえたかな?」とわかったら、謝れば移れる「別の選択肢」を残しておけばよかったのだ。気づいても手遅れな人は救えないので、未来のある人はいま、心に刻みましょう。
さまざまな意味で「現実の梯子」を外されたウクライナ浪漫派がどこへ行くのか、それは知らない(興味もない)。私たちに必要なのは、幸いにもバーチャルな形で済んだ「二度目の聖戦失敗」を受けとめ、その仔細をしっかりと記録し、三度目を防ぐために役立てることの他にない。
なお、私は日本でのウクライナ支持の盛り上がりが韓国や台湾よりはるかに大きかったのは、人道でも民主主義でも法の支配でも国際秩序でもなく「今度こそは戦勝国になりたい」という悲願から正義の勝ち馬に乗るつもりでウクライナ支持に傾注した層がいたからだ、と推測してヒアリングを繰り返している。
— Satoshi Ikeuchi 池内恵 (@chutoislam) February 23, 2025
ウクライナが正義でも勝ち馬でもなかったらしい、日本は戦勝国になれないらしい、と気づいた時のこの層の反応には、いささか不安を覚える。
— Satoshi Ikeuchi 池内恵 (@chutoislam) February 23, 2025
参考記事:



(ヘッダーは、尾崎行雄記念財団のページより)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年6月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。






