東京出身は本当に人生有利か?

黒坂岳央です。

SNSでは「東京出身者は教育、文化、就職、出会いの面で有利」という意見がよく取り上げられる。確かに「条件」だけ見れば田んぼと畑が広がっている田舎より有利に思える。しかし、どんな物事でもメリットとデメリットは常に表裏一体である。

自分は一時期東京に住み、働き、魅力的な人との出会いを果たした経験がある。今でも東京という街は大好きで、今は地方に住んでいるがいつかは東京に戻るかもしれないと思っている。

そんな筆者の立場から見ても「東京出身、というだけで無条件に有利とは言い切れない」と思っている。

本稿では多面的視野を取り入れて考察を試みるが、「東京出身者は有利」という論調に一石を投じる形となるため、批判的なスタンス気味になる点をご容赦願いたい。決して「東京出身者は有利というのは間違い」といっているわけでない。

voyata/iStock

激しすぎる競争

東京には有名大学や専門学校が集中しており、教育の選択肢が豊富だ。子供を強者に育てたい親にとっては非常に大きなメリットと言えるだろう。

筆者の親戚の多くは東京で子育てをしている。過去記事でも書いたことがあるが、園には習い事が好きに選べる施設も併設され、園の終わりに2つ、3つ習い事をさせている親もいる。

しかし、これは裏を返せば大変な競争激化を意味する。親戚の親は全員、子供は中高一貫校へ進ませる想定であり、そのために子供は塾や家庭教師を掛け持ちして必死に勉強をしている。

例えば、東京の私立中学校の学費は年間約100万円から200万円程度であり、地方の公立中学校の学費は年間数万円程度である。この教育費の差は大きく、「教育費のことを考えると子供は一人まで」という話も聞く。よく言われる「持てる子どもの数は捻出できる教育費次第で決まる」という話が現実味を帯びている。

親も大変だが、当の子供も大変だ。筆者が住んでいるエリアで遊ぶ子供の生活とはまったく異なる世界観だ。幼い頃から常に激しい競争に晒され、夜遅くまで塾などで勉強してヘトヘトになって帰宅。これではまるで忙しいサラリーマンのような生活である。

もちろん、競争を意識することは悪いことではないし、将来は子供を強者にするためには必要だろう。

だがそのような大規模投資で確実に「勝ち組」に入れる保証はなく、これはエリートサラリーマンへのルートという前提なので起業するならあまり関係がない。さらにAIが台頭する今後はこのような教育がどこまで有効かはわからなくなってきた。また、「鶏口となるも牛後となるなかれ」を考えると本人の幸福度は高いかどうかは別問題である。

結局、我が子をどのように育てたいかで意見が分かれることを考えると「東京出身者は無条件に有利」とは言い切れないと思っている。

高すぎる生活コスト

過去に40代年収400万の上京組は実家へ帰りなさいという記事を書いたが、東京はあまりにも生活コストが高く、平均年収では「生活が苦しい」と感じる場所である。東京23区のワンルームマンションの家賃は月10万円以上が相場であるのに対し、地方都市では月5万円程度で広い部屋を借りることができる。

若い頃は夢に溢れ、転職や昇進、起業などで人生を大きく花開かせるチャンスがあるので多少苦しくても気にならない。筆者も上京した時は南千住にある3畳しかない日雇い労働者用の宿に住み、「仕事で頑張って脱出してやる」という気概に溢れていた時期がある(その後、仕事を見つけてボロいがマンションへ引っ越しができた)。

「東京には魅力的な仕事がある」というのは確かに正しい。だが、それは高給の仕事を見つけた時に大きな意味を持つ。特に子育て世代はファミリー層向けマンションを賃貸、購入しようとすると毎月かなりの巨費を投じることになるか、長距離通勤を余儀なくされる。

上京した人なら田舎に帰るという選択肢を持てるが、東京出身者は全員ではないが、田舎に移住するという発想自体がない事が多いのではないだろうか。筆者の知る東京出身者の中には「東京以外に住んだことがない」という人ばかりだ。それは当然の感覚だ。しかし、であるがゆえに稼げなければ生活が苦しくなる。

東京は稼ぐ人には便利な街だが、全員がそれを実現できるとは限らないのだ。

文化的機会はどの程度価値が高いか?

東京は美術館、劇場、ライブハウスなどが豊富で、文化的な刺激に溢れている。また、食文化やエンタメ資源も非常に多く、東京に行くたびに目移りするような楽しさに溢れている。だが、文化的な機会の豊富さは本当に裏側のデメリットに見合うのだろうか?

前述した「生活コストの高さ」と文化的機会の多さがイーブンに釣り合うかはわからない。筆者はそうでないと思っている。

確かに東京出身者にとって毎日のようにイベントやエンタメに困らない生活は魅力の一つだろう。しかし、その代償として高い生活コストを支払っている。加えて、文化的機会は一部のアーティストやクリエイターを除けば「受動的なインプット」である。

受動的なインプットを楽しみ「続ける」のは簡単ではないと考えている。少なくとも筆者は「インプット1-2割、アウトプット8-9割」の生活をしており、文化的なシャワーは年に1-2回上京し、たとえばAI研究者からテクノロジーを学ぶ、といったピンポイントでのイベント参加で十分だと感じる。

感受性を動かしたいなら、地方でも伝統文化の体験やイベントが豊富であり、東京に劣らない文化的な機会がある。

この文化的機会のために住むには、コストリターンに見合わないと感じる。

「人との出会い」はどうか?

地方から東京を目指す人は上昇志向が強めであり、中には「はみ出しもの」のような人もいて刺激的である。

東京では魅力的な人との出会いは最大級の価値の一つと言える。自分自身、非常に優秀なビジネスマンや、今の妻との出会いで人生が大きく変化したのでこれは肌感覚でも疑いようもない事実だ。

地方に住んでいると「高齢者ばかりで若い人がいない」とか「文化的理解や価値観が閉鎖気味」という程度であることが多い。あくまで「魅力的な人が相対的に少ない傾向」ということに過ぎない。実際に深く付き合ってみると、総じて純朴でいい人が多いだと感じることは少なくない。

だが東京は違う。いい出会いが多い一方で「悪い出会い」も溢れている。本当に関わると確実に不幸になると属性の人間が無視できない数いるのだ。薬物乱用をして勧めてくる人や、詐欺師、暴力的な団体の一員などだ。

もちろん、大手企業に勤務し、家との往復をするような人にとってはこうした「関わってはいけない人たち」と関係を持つ機会は皆無である。だが、起業したばかりで立場が弱い頃や交流会などでは「絵に書いたようなヤバい人」は一定数出会うことになる。

知識がなければ、こうした人達を刺激的で魅力だと感じてしまう人もいるだろう。しっかりとしたフィルタリングする力を持たなければ、東京は魅力的な人との出会い以上に関わってはいけない人たちと接点を持ちかねないリスクが有る。

東京出身であることは、教育、就職、文化、出会いの面で多くのメリットがある。しかし、激しい競争、高い生活コスト、文化的機会のコストパフォーマンス、危険な出会いのリスクといったデメリットが、それを単純に「有利」と呼ぶことを難しくしている。

変化の速い時代、自分にとっての「幸せな生活」を定義し、どこでどう生きるかを選択する場所選びは、今後ますます重要になるだろう。

 

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働き方・キャリア・AI時代の生き方を語る著者・解説者
著書4冊/英語系YouTuber登録者5万人。TBS『THE TIME』など各種メディアで、働き方・キャリア戦略・英語学習・AI時代の社会変化を分かりやすく解説。