国会は野党7党の提出したガソリン減税案をめぐって紛糾し、閉会が23日に延期された。自民党はこれを財源のない「ま・る・な・げ」だと批判したが、お互い様だ。自民党が臨時国会で予定しているのも財源なき給付金のバラマキである。
日本の社会保障は持続不可能な状態だが、財政的に破綻している国民年金の赤字を年金流用法で埋め、老人医療の膨大な赤字を健保組合からの仕送りでまかなう状況に与野党とも異を唱えない。これは社会主義国の末期を思わせる。
社会主義はなぜ70年も延命できたのか
社会主義経済はブレジネフ時代の1970年ごろには破綻していたが、1990年まで延命できた。それはなぜだろうか。コルナイはモノバンクのおかげだったという。これはソ連でスターリンのつくった金融システムで、多くの社会主義国で採用された。
ハンガリーでも銀行はすべて国有化され、資金はモノバンクで一元的に運用された。これは日銀がすべての金融取引を仲介するようなもので、決済機能はなかった。企業の経営が悪化すると、モノバンクは際限なく融資し、それを返済する義務もなかった。
政府が紙幣を印刷すれば資金は無限にあったので、いくら赤字を出しても決済は際限なく延期され、国営ネズミ講が可能になった。誰もが「このままではもたない」と思っていたが、独裁者がいる限り資金繰りは続くので、ロシア革命から70年も延命できたのだ。
国営ネズミ講を延命する「曖昧な予算制約」
このような曖昧な予算制約(soft budget constraint)が、社会主義の本質的な欠陥だった。価格は適正水準より安く設定されるので、つねに超過需要が生まれて慢性的に物不足になる。
それに合わせて供給が行なわれ、膨大な過剰投資が発生する。結果的には社会全体で巨大な資源配分のゆがみが発生するが、それが企業の破綻という形で顕在化しないので、ゆがみが蓄積する。
資金繰りが続く限り企業は延命できるが、それが破綻したときは経済システムが完全に崩壊する。市場経済に戻ったあとも、旧社会主義国の経済は回復しなかった。資金が途絶えて供給網が寸断されたからだ。
いま日本の老人医療で起こっているのも、9割引という異常な安値による過剰消費である。これを生んだのは田中角栄のポピュリズムだったが、それを30年間も是正しなかったため、過剰投資が慢性化した。
「目に見えぬ独裁者」が破綻したシステムを延命する
社会主義の歴史から学べるもう一つの教訓は、計画経済は政治化するということである。国営企業がつぶれるかつぶれないかを決めるのはモノバンクの官僚なので、企業にとっては生産の効率化よりロビー活動が死命を制する。
曖昧な予算制約のもとではネズミ講は無限に続けることができ、既存の借金が既得権になるので、後戻りできない。このような非効率性は、短期的には見えにくい。個々の企業を救済することは、そのときだけみれば事後的にはパレート最適になるからだ。
日本の社会保障も、今は厚生年金積立金や健保組合の保険料を流用して延命しているが、そのうち流用する資金もなくなる。900万人を超える労働人口が医療・介護の非生産的な労働に動員され、経済はますます衰退する。
この破綻したシステムを延命するのは、かつてはスターリンのような独裁者だったが、今は2000万人の後期高齢者である。彼らは選挙で絶対多数を握り、与野党を沈黙させる。それに刃向かう政党は報復を受けるので、目先の給付金や減税しか公約できない。
社会保障改革を公約していた国民民主党も減税ポピュリズムに走り、残るのは維新だけだ。それはソ連の地下活動家を思わせる孤独な闘いである。ソルジェニーツィンが『収容所群島』を書いたのは1972年だったが、そこからソ連が崩壊するまでには20年かかったのだ。