
3月の上旬、熊本を歩きました。
熊本に来た理由は「くまモンに会わずにどれだけ旅行できるか」を試したものでしたが、

ここで見つけてあえなく撃沈。そのあとは熊本ミニトリップを楽しんだのでした。

上熊本から熊本城方面に向かう通りを「わが輩通り」といいます。実は熊本は日本を代表する文豪である夏目漱石が1896年から1900年までの間過ごした場所。漱石はここで熊本大学の前身である第五高等学校の英語教師として教鞭をとっていました。「坊ちゃん」のイメージが強く、夏目漱石といえば松山のイメージが強いですが、熊本にも所縁の深い作家です。

熊本には夏目漱石が生活していた旧居が今も残されています。4年の熊本赴任中に6回も引越しをしている漱石ですが、ここには1年8か月を過ごし、最も長く暮らしています。長女筆子が誕生した思い出の場所でもあります。

それでは建物に入ろうと玄関に向かうと、おや?猫がいます。

どうもここで飼われているようで、向こうの方に歩いていきました。代表作「吾輩は猫である」は1905年、熊本を離れたあとに執筆されていますが、漱石はこの小説執筆の直前に猫を飼い始めたそうです。

あ、気づかれた。

入場料200円を払って旧居に入ると縁側には違う猫が寛いでいました。やはり「わが輩は猫である」にちなんで飼われているようですね。縁側は風が通るので気持ちがいいようです。

和室には机と火鉢が置かれていました。漱石は日差しが降り注ぐ庭を見ながら小説の執筆をしていたのでしょうか。熊本にいたころの漱石は英語教師として働いており、文壇に登場するのは「吾輩は猫である」を執筆した1905年以降。この机では授業の予習や準備などを行っていたのでしょう。

長い間時を刻んだ柱時計は今はとまったまま。

旧居内には初期の作品「坊ちゃん」「二百十日」「草枕」が収められた「鶉籠」の初版が展示されていました。いずれも名前だけなら誰もが聞いたことがあるだろう名作ぞろい。これが彼の出版した最初の作品であったとは驚きです。
初版は1907年の刊行なので現存しているものは極めて少なく貴重な一冊です。三上延著の『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズでも「ビブリア古書堂の事件手帖Ⅳ ~扉子たちと継がれる道~」でキーとなる本として登場してきます。

内坪井の旧居を離れ、東に行くと熊本を代表する神社である藤崎八旛宮のすぐ近くに夏目漱石第六の旧居があります。内坪井の旧居の次に漱石が住んだ住居です。

こちらは今は一般の民家となっており入ることができず、中をのぞくのみしかできませんでした。

が、ここにもやはり猫がいました。夏目漱石=猫の無意識にこの町についているのかもしれません。漱石はここで熊本滞在最後のときを過ごしたのち、文部省より英国留学の命を受けてロンドンに旅立っていきました。

藤崎八旛宮

散歩の最後は藤崎八旛宮へ。1000年もの昔からある熊本の総鎮守であり、もとは熊本城の西、茶臼山と呼ばれる台地にありましたが、西南戦争で焼失したためやや郊外の現在の場所に移りました。旧社地は藤崎台野球場となっています。漱石が熊本に来たときには現在の場所に神社は移っており何度か参詣されたのではないかと思います。

上熊本駅で夏目漱石像を見つけ、思いつきで歩いた漱石散歩。下調べをしていれば彼が教鞭をとった五高記念館も訪ねたと思うのですが、思い浮かばず訪ねることができませんでした。次の訪問の楽しみに取っておこうと思います。
熊本城がひと際目立つ観光地になっていますが、その近くでひっそりとたたずむ夏目漱石所縁の地を静かに歩く旅も悪くないと思います。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2025年6月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。






