最近、ネットニュースで取り上げられることの増えてきた「参政党」ですが、「共同通信の世論調査では比例票8.1%と野党第1党の座に急浮上」ということで、がぜん注目を集めるようになっています。
「極右政党」とひとことで片付けられる時期も長かったものですが、目に見える数字を得て現われてきた時点で、それは、何らかの「現実への接続性」をもって世間に浸透したと見るべきでしょう。
「参政党が支持される背景には、どんな不安があるのか?」
書店で何かベストセラーが出るときも、どこかの業界で話題の商品が登場するときもそこは同じで、社会の大衆無意識の領域に、誰かが「接続」をしたときにそれは起こるものです。
「参政党」は、保守系新興政党として近年急速に注目されています。「子育て世代」や「自然派層」への浸透として、都議選で「パパママ層」の支持を得た背景には、「給食の添加物」、「ワクチンへの不安」、「地元学校の教育方針への不信」などの、生活密着型の価値観があります。
私の立場としましても、よく子育てで保育園から「また風邪をひいた」と連絡をもらっては仕事を早退して送り迎えにいく慌ただしい生活のなかでも、「子供の給食はどうなるのか」「コロナワクチン、若者には感染防止効果、感染を防ぐ効果は残念ながらあまりなかったとか本当かよ」「子供の進学先選びはどうしよう」など不安の声をあげたくなります。
これは「右か左か」ではなく、自分の家族の安全志向という意味でリアルな関心を拾っているわけですね。
そういう、リアルな生活不安を抱える層に限って、最近ではSNSやYouTube型の情報サイトでの拡散戦略が効果があるともいわれます。マスメディアではほぼ無視されていましたが、YouTube演説やインフルエンサーによる紹介で草の根的な浸透があったようです。
「日本人ファースト」や「教育立て直し」や「自主憲法」など保守色の強調もありまして、旧来の自民保守では拾えない「反グローバリズム」「国体思想」的な情念層をカバーしている様子。
一方で、時に排外的な主張(外国人優遇批判など)も含まれ、境界が曖昧です。
参政党が問いかけているのは「社会の分断」でしょう。保守/リベラルという二項では語りきれない、「正規知識に対する信頼」か「生活者の肌感覚」かという対立軸が根底にあります。
専門家がいくら「それは疑似科学だ」と言っても、それを言う側に対する「信頼」が崩れてきている昨今では、むしろ反発を生むだけでしょう。
つまり、参政党の台頭は信頼構造の変化・知識権威の揺らぎの表れと見ることができます。
一方、参政党は「いわゆる陰謀論」との関わりが取り沙汰されています。2020年末ごろ、アメリカ大統領選で「不正選挙」と訴える陰謀論を主張したために、結党時の中心メンバーが離脱したといわれ、代わって反ワクチンとオーガニック信仰とされる人達が入党し「訴求層の入れ替わり」が起こったとされます。
動かぬ証拠と根拠があるのなら、そういう訴えも構いません。ですが世の中には「リトマス試験紙がない、直ちに証明できないけれど切実な意見」というものも、あるにはあります。そういう意見でも、後の世の趨勢で「誰が正しかったのかが証明できそうな分野」を選んでほしいとは思います。
主要メンバーの入れ替わりが起こったことで、今後のこの党の課題が明確化したといえるでしょう。
「政策の現実性」としては、MMTや、教育無償化、自主防衛などの実現可能性と財源の裏付けが社会から求められます。
「科学的根拠と信仰の境界」については、「感覚としてはわかる」主張と「根拠に基づく政治」のバランスを取ることが求められます。「排他性とポピュリズム」については、一部の主張がマイノリティ差別を助長する危険などの克服やすりあわせができるか。このあたりが問われてくると思います。
科学と感情、専門家と庶民、国益と人権──これらのバランスを考えていかなくてはならなくなるでしょう。
特に重要なことは、医療と政治の問題です。命をめぐる判断は、数字や統計だけでは割り切れません。どの命を優先し、どこまで治療を公費で支えるか、どこから先は個人の責任とするのか。科学的合理性と感情的納得、その両方を見据えながら、私たちは「納得できる制度」を探さざるをえなくなっています。
参政党が30代、40代の若い世代の票を集めて「意見を可視化してくれる」というなら、医療と政治がこの先に「歩み寄りなき世代間対立」へと行き着かないための妥協点を探る役割を、日本社会で果たして欲しいと切に願います。
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岡辺 秀幸
自営業。
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