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『評伝 小室直樹(上下)』(ミネルバ書房)を読んだ。上巻に「学問と酒と猫を愛した過激な天才」、下巻に「現実はやがて私に追いつくであろう」との副題がある。18年9月の刊行時上下各2400円だったが、amazonで求めた古書は送料600円を加えて上下2684円也。各々700頁近い大部だが、人名・事項の索引と詳細な年譜もあり懇切だ。文字も老眼なしで読める大きさなので、数日で一応読了した。
が、何しろ小室は、京大理学部数学科から阪大院経済学研究科を経て、フルブライト留学生で渡米し、ミシガン大(社会学・政治学・心理学を研究)、MIT(経済学をサムエルソンに学ぶ)やハーバード大で学んだ後、東大院法学政治学研究科を修了(法学博士)した博覧強記の天才。その評伝だから、東大法学部・同院法学政治学修士課程中退で弁護士の村上篤直が編む、主人公が研究した各学問の要点にしてからが難解で、「一応」なのである。
詳細に興味がおありの向きは、同書か、あるいは刊行直後『産経』に載った「過激な天才・小室直樹 『学問と酒と猫を愛した』評論家の人生が大冊の評伝に」と題する書評をお読み下されたい。筆者としては、膨大な小室の著作の多くが、口述筆記だったり、編集者の代筆だったりで、自身の直筆が余り多くないと知り、書棚に並んだ30数刷の彼の著書に思わず目をやった次第。
本稿ではその中の1冊『国民のための経済原論Ⅱアメリカ合併編』(カッパビジネス:93年5月)に記された「比較優位論」につき、32年も前に使われた事例がまさに今日的なので、取り上げてみる。『評伝』によれば同書は、一緒に上梓した『国民のための経済原論Ⅰバブル大復活編』と共々各10万部以上売れたそうだ。とはいっても、筆者は経済学を学問した訳でないから、難解な内容でないことだけは請け合える。
小室直樹の「労働価値説」を用いた「比較優位説」の説明
デヴィット・リカードが発見した「比較優位説」を、小室は「日米それぞれに労働者が2人ずつおり、コメと自動車だけを作る」というモデルを使い、「労働価値説」を用いて、「貿易をやった方が、やらないより、良くなるとも断言できないが、より悪くなることはない」ということを説明している。
「労働価値説」とは、アダム・スミスが唱え、リカードが完成させた、「商品の値段は、それを作るための労働によって決まる」という説。小室はその完成度を、「『マルクスは、リカードの労働価値説の針から銛から釣り竿まで、そっくりそのまま飲み込んでしまった』というシュンペーターのまことに見事な評価だけによっても知られるでしょう」と『論理の方法』(東洋経済新報社、03年5月刊)に記している。
「コメ」と「自動車」を例に用いた小室の解説は以下のようだ。
- 日米それぞれ1人がコメを、1人が自動車を1年間作ると、日本はコメ6トンと自動車3台を、米国はコメ12トンと自動車4台を作れると仮定する。日米合わせるとコメ18トンと自動車7台を作れる訳である
- この場合の日米の生産性を「生産に必要な労働時間」を単位にして表すと、日本はコメ1トンを2ヶ月で、自動車1台を4ヶ月で作れ、米国はコメ1トンを1ヶ月で、自動車1台を3ヶ月で、それぞれ作れる生産性を有することになる
- 米国に対する日本の生産性は、コメも自動車も「絶対劣位」にある。が、これを「比較優位説」で考えると、米国はコメ1トンを生産する労働力で自動車を3分の1台しか作れないが、日本はコメ1トン分の労働力で自動車を2分の1台作れることになる。つまり、日本は自動車の生産において米国よりも「比較優位」であると判る
- ここで日米が貿易すべく、それぞれ「比較優位」を持つ財の生産に特化して生産すると、米国はコメ24トンと自動車0台を作り、日本はコメ0トンと自動車6台を作るので、日米合計でコメ24トンと自動車6台の生産になる。が、これでは、1に比べてコメは6トン(24-18)増えるが、自動車は1台(6-7)減ってしまう
- そこで米国の労働者1人がコメを3トン作る時間を自動車1台の生産に充ててみる。すると米国はコメ21トンと自動車1台を作れるので、日米合わせてコメ21トンと自動車7台が作れることになる
- 結論:日米それぞれが「比較優位説」に基づいてコメと自動車を生産し、貿易するならば、1に比べて自動車7台は変わらずに、コメ3トン(21-18)の増加を享受できことになる
以上で明らかなように「比較優位説」は「国際分業の理論」だ。今般のトランプ関税交渉でも対日本の話題は「自動車」と「コメ」。これを「比較優位説」で考えれば、日本が関税を課していない「自動車」は日本が「比較優位」である一方、輸入米に関税を掛けている「コメ」は日本が「比較劣位」と判る。つまり、国内産業保護が目的の関税は、「比較劣位」の産業の生産物に課すのである。
とはいえ、貿易相手国すべてに高関税を課し、自動車や鉄鋼やアルミのみならず、米国が「比較劣位」と明白な、中国の雑貨や玩具や衣類など、何でもかんでも米国で製造しようとするのは愚策であろう。が、サムエルソンは「比較優位説」が「国内分業論」であることにも気付いたのである。
小室は、師と仰ぐサムエルソンが「タイプも上手い女性弁護士」の事例で説いた「比較優位説」を解説している。即ち、彼女は弁護士として生きるべきか、それともタイピストとして生きるべきか、はたまた弁護士をしながらタイプも自分で打つか、という命題だ。
サムエルソンの答は、タイピストを雇い、弁護士として生きよ、というもの。なぜなら全ての時間を弁護士として使うことの方が多くの収入が得られ、タイピストを雇うコストを差し引いても、両方自分でやるよりも多くの収入が残るから、である。
彼女は弁護士としてもタイピストとしても一般人より優れ、「絶対優位」だ。が、これを「比較優位」で考えると、彼女の中では、弁護士は一般人と比べ「うんと」優れている「比較優位」だが、タイピストの方は「ちょっと」優れている「比較劣位」なのである。よって、「比較優位」の弁護士に特化し、「比較劣位」のタイプは他に任せるのが得策だし、タイピストも職が得られるという訳だ。
さて、ここからは筆者の考えだが、「比較優位説」は、国家間でも、国内でも、そして実は企業でも、家庭でも、あらゆる単位で実行されている。企業を例に考えれば、事務職に腕力は無用だが、製造現場はそうはいかない。人それぞれ得手不得手や体力差があるし、企業の仕事も種々雑多だ。人事部は無意識に「比較優位」を考慮して配置をしているはずであり、「男女共同参画」でも同じことが言えよう。
トランプ関税に戻れば、様々な出自を持つ3.4億人の人口を抱える米国には仕事が必要なのだ(これは米国に限らない)。だから経済指標として新規雇用者の数が、インフレ率などと共に毎月の話題になり、投資の指標になる。トランプは「比較劣位」の産業をも関税で保護し、米国で事業が成り立つようにして、雇用を増やすことを試みているのである。
が、こうした「America First」、即ち「米国内分業」を重んじる考え方が、自由主義経済や国際分業論に逆行するとの論もある。確かに各国にしてみれば迷惑な話だ。が、ここで忘れてならないのは「中国の脅威」と「経済安全保障」である。
鄧小平は70年代末からの「韜光養晦」を隠れ蓑とする改革開放策により、十数億もの人々を共産党一党独裁の下に動かし、頭数と低コストを「比較優位」にして、世界の工場として各国をデフレ漬けにした。今世紀に入るや「中国製造2025」政策の下、先進国から盗取した工業所有権を使った先進製品をも、膨大な補助金や周縁民族の奴隷的労働によって安価に製造し、米国すらも雁字搦めにしつつある。
「経済安全保障」については、「マスク」一つ手に入らなくなったコロナ禍が警鐘を鳴らした。レアアース然り、日本のコメや石油・天然ガス然りだ。「比較劣位」であっても内製が必要な「財」や「サービス」があるのだ。例えば、何時まで経っても稼働しない「柏崎刈羽原発」を見れば、電力の量と価格に関して日本が如何にお花畑か知れる。
トランプ関税が、こうした「中国の脅威」を押し返し、また「比較劣位」な産業であっても国内に雇用をもたらすことを念頭に進めていることを、日本を含めた西側諸国は忘れてはならない。日米関税交渉でも、双方の国益を「比較優位説」で考えるなら、読書家として「小室博士の・・一連の著作には随分と蒙を啓かれた」石破氏が、トランプに「なめられる」ことはなかろう。






