中東の統合と和解を促す「壮大な神話」を:パレスチナ国家承認を巡って

イスラエル国会のアミール・オハナ議長(リクード党所属)は先月30日、スイスのジュネーブの国連で開催された列国議会同盟(IPU)主催の第6回世界国会議長会議で、「パレスチナ国家を承認することはハマスに報酬を与えることになり、地域の安定、共存、協力をもたらすどころか、イスラエル人とユダヤ人にさらなる殺害をもたらすだけだ。もしあなた方がそれを望むなら、パレスチナ国家をロンドンかパリに樹立すべきだ」と述べている。

「アブラハムファミリーハウス」のオープニング式典(2023年2月19日、バチカンニュース公式サイトから)

イランのアハマディネジャド大統領(当時)は2005年10月26日、首都テヘランで開かれた「シオニズム(ユダヤ主義)のない世界」と題する集会で「イスラエルは地図上から抹殺されなければならない」と演説した。その発言が報じられると、多くのイスラエル人は、ユダヤ教とは異なった宗教を国是とする敵国イランの脅威というより、ユダヤ民族の存在を否定する‘実存的な脅威‘と感じたはずだ。オハマ議長の発言の真意もそのことを意味していたはずだ。

イスラエルのネタニヤフ首相がパレスチナとの「2国家共存」に対して批判的なのは、パレスチナ人との政治的対立、そして宗教的ないがみ合いがあるからではなく、「実存的な脅威」を払拭できないからだ。同首相は2023年10月28日、イスラム過激派テロ組織「ハマス」のイスラエル奇襲テロ事件直後、旧約聖書「申命記」や「サムエル記上」に記述されている聖句「アマレクが私たちに何をしたかを覚えなさい」との箇所を演説の中で引用している。モーセがエジプトから60万人のイスラエルの民を引き連れて神の約束の地に向かって歩みだした時、アマレク人は弱り果てていたイスラエルの民を襲撃した。ネタニヤフ首相は当時、「ハマスの奇襲テロ」を「アマレク人の蛮行」と重ね合わせて語ったことは明らかだった。すなわち、1,200人以上の国民を殺害し、250人以上を人質にしたハマスの蛮行を忘れてはならないという意味だ。ネタニヤフ首相はその後、「ハマス撲滅」を宣言し、ガザのハマスの拠点に激しい報復攻撃を展開させていく。

それはユダヤ民族だけではなく、パレスチナ人にもいえることだ。ユダヤ民族もパレスチナ民族も相手側に‘実存的な脅威‘を感じている限り、外交が成果をもたらすことは容易ではない。「イスラエルを地図上から抹殺する」というアハマディネジャド大統領の発言はそのことを端的に証明している。中途半端ではなく、敵を抹殺するまで戦わなければならないのだ。イスラエル軍もハマスを撲滅するまで戦闘を中断できないのだ。すなわち、実存的な脅威から解放されるまでだ。

イスラム神学者ムハナド・コルチデ氏は、著書「ユダヤ教なくしてイスラムなし」の中で、多くのイスラム教徒に蔓延する反ユダヤ主義的態度について論じている。

コルチデ氏によると、若いイスラム教徒たちが過激な反ユダヤ主義に走るのは、宗教文書への深い研究やイスラムの教えの学習から生じたものではなく、イスラム教徒のアイデンティティを形成する感情的にコード化された解釈パターンに起因するというのだ。その背景には、帰属意識を醸成し、分離を正当化することを目的とする壮大な物語があるという。物語は、敵のイメージを構築する。そして「敵」は通常、単なる「政治的反対者」や「宗教的反対者」ではなく、その撲滅が不可欠な実存的な脅威として描かれている」と分析する。

イスラム教徒とユダヤ教徒の間には永続的な対立があると信じている人が多いが、同氏はクルアーン(コーラン)においてその証拠を引用する様々な解釈の伝統について詳細に検証する。そして、クルアーンのメッセージにはユダヤ教の物語に登場する人物、神学的概念、そして制度的慣行が浸透していることを指摘する。そして反ユダヤ主義が「イスラム教に根ざしている」か、それとも「イスラム社会に持ち込まれ、その後宗教的に正当化されたものか」について再考する。同氏によると、多くの反ユダヤ主義的態度は個人的な経験に基づくものではなく、しばしば無反省に伝えられてきた物語(神話)に基づいているというのだ。

コルチデ氏の著書を紹介したオーストリア国営放送(ORF)のイレネ・クリセン記者は「コルチデ氏の著書は、コーランへの歴史批評的な取り組みを訴え、イスラム教とユダヤ教の建設的な対話に貢献しようとする試みだ。コルチデ氏は、イスラエル、アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーンが米国の協力を得て策定した多国間協定であるアブラハム合意を、肯定的な実践例として挙げている」と指摘。そして「イスラム教徒には、ユダヤ人の生活を容認するだけでなく、それを自らの宗教的存在の一部として守り、促進するという倫理的・神学的義務が生まれる肯定的なグランド・ナラティブのビジョンを描こうとしている」と説明している。

ちなみに、アブラハム合意とは、2020年9月15日にイスラエルとUAEおよびバーレーンが国交正常化のために署名した一連の和平合意だ。2020年11月にはスーダン、2023年10月にはモロッコも同合意に参加した。また、2023年にはUAEの首都アブダビで通称「アブラハムファミリーハウス」が公開された。同ハウスはアブラハムから派生した3宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の礼拝場、シナゴーグ(ユダヤ会堂)、教会、そしてイスラム寺院(モスク)を単に独立した宗教施設ではなく、大きな敷地の中に統合し、会議やイベントのための「共通教育センター」を備えている。

パレスチナ国家承認を検討し始めた英仏首相 マクロン大統領インスタグラムより


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年8月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。