オーストリアのカトリック通信(Kathpress)が8日、元ローマ教皇べネディクト16世(在位2005年4月19日から2013年2月8日)のこれまで公表していなかった書簡内容を報じた。その中には、12年前の生前退位に関する新たな知見も含まれていた。存命中の教皇の退位は約600年ぶりだったこともあって、様々なうわさを生み出したが、今なお、多くの謎が横たわっている。

ベネディクト16世が2013年2月11日、生前退位を表明した直後、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂に雷が落ちた。イタリア通信ANSAの写真記者がその瞬間を撮影。
べネディクト16世(本名ヨゼフ・ラッツィンガー)は書簡の中で「自分が実際には辞任していなかった、あるいは一種の対立教皇として職にとどまっていた」という憶測を断固として否定し、「そのような考えは不合理であり、教会の明確な教義的・正典的教えに反するものだ。反対の意見を主張する者は真の歴史家でも真の神学者でもない」と述べている。
この書簡は、イタリアのローマカトリック神学者ニコラ・バックス氏からの質問に対するベネディクト16世の返信だ。同16世の退位から1年後、バックス氏は教会法、神学、実践に関する数々の疑問をまとめ、ベネディクト16世に説明を求めた。バックス氏はフランシスコ教皇の死後、この書簡を著書『教会における現実とユートピア』の中に収録したことから、今回ベネディクト16世の返答内容が明らかになった経緯がある。
フランシスコ教皇の在位期間(2013~2025年)中、イタリアでは、特に保守派や伝統主義派から、その教皇職の正当性が繰り返し疑問視された。「ベネディクト16世が2013年に自発的に退位したのではなく、職務遂行を妨害された、あるいは圧力を受けたからだ」という噂が流れた。その説によれば、フランシスコ教皇は正当な指導者ではなかった、ということになる。べネディクト16世は書簡の中でそれらの噂を否定している。
バチカンではフランシスコ教皇の教皇職の正当性に疑問を投じる聖職者がいる。その背景には、11世紀の預言者、聖マラキが「全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言」の中で1143年に即位したローマ教皇ケレスティヌス2世以降の112人(扱いによっては111人)の教皇を預言し、最後の111番目の教皇が生前退位したベネディクト16世だったからだ。その結果、「べネディクト16世は最後の教皇だ。後継者のフランシスコ教皇はローマカトリック教会の正当な教皇ではない」と考えるからだ。べネディクト16世はそのような憶測を書簡の中で否定している。
ちなみに、マラキは1094年、現北アイルランド生まれのカトリック教会聖職者。1148年11月2日死去した後列聖され、聖マラキと呼ばれている。彼は預言能力があり、ケレスティヌス2世以降に即位するローマ法王を預言した。その預言内容をまとめた著書「全ての法王に関する大司教聖マラキの預言」と呼ばれる預言書が1590年に登場した。カトリック教会では同預言書を「偽書」と批判する学者が少なくないが、その預言内容がかなり当たっていることも事実だ。
べネディクト16世の生前退位問題を理解するうえで看過できない点は、同16世が生前退位を決意したのは「2012年9月末」だったということだ。約8年間の教皇在位期間、そして生前退位後から死去までの約10年間、秘書としてベネディクト16世に仕えてきたゲオルグ・ゲンスヴァイン大司教はメディアとのインタビューの中で、「ベネディクト16世は2012年9月末に生前退位を決意していた」と証言しているのだ(「前教皇「2012年9月末に退位決意」2023年1月11日参考)。独民間ニュース専門局ntvが2023年1月3日、同インタビューを放送した。
ゲンスヴァイン大司教は「ベネディクト16世がいつ頃、生前退位を決意したのか」との質問に対し、「2012年9月末だった。それを聞いて自分は驚き、『教皇、(ローマ教皇の生前退位は)不可能です。全く不可能なことです』と強調した。そして『教皇としての職務が負担ならば軽減するなど調整しなければならないし、それは可能です』と伝え、ベネディクト16世を説得した」という。それに対し、ベネディクト16世は、「(生前退位の決定は)議論するべき問題ではない」と述べ、生前退位の決意を覆す考えがないことを強調したというのだ。
ベネディクト16世はその後、2013年2月11日、枢機卿会議で、「ローマ教皇の職務を遂行するだけの体力と気力がなくなった」と述べ、生前退位の決意を正式に初めて表明し、「速やかに後任教皇の選出の準備に取りかかるように」と要請している。それを受け、メディアはベネディクト16世の生前退位の理由は健康問題にあった、と報じてきた。ただ、ゲンスヴァイン大司教からは、同16世の健康状況が当時、退位しなければならないほど厳しかった、といった話は聞かない。実際、ベネディクト16世は退位し、名誉教皇として2022年まで生きている。すなわち、健康を理由に生前退位したとしても、その後10年余り生きていたことになる。同16世の生前退位を巡る「健康悪化説」は説得力を失うのだ。
重要な問題は、ゲンスヴァイン大司教の「2012年9月末」説が事実とすれば、ドイツ出身のベネディクト16世に当時、何があったかだ。2006年からベネディクト16世の個人執事だったガブリエレ氏が同16世の執務室や法王の私設秘書、ゲオルグ・ゲンスヴァイン氏の部屋から教皇宛の個人書簡やバチカン文書などを盗み出し、その一部を暴露ジャーナリストに手渡すという不祥事を起こした(通称バチリークス)。バチカンは当時、その対応に大慌てとなった。同事件はベネディクト16世にとってもショックだったことは間違いないが、同16世の健康と気力を失わせ、生前退位の決意を固めさせたとはどうしても思えない。ちなみに、「べネディクト16世が12カ月以内(2012年11月まで)に殺される」というバチカンの機密書簡内容がイタリアの一部メディアで当時、報じられたことがあった。いずれも、ペテロの後継者の地位であるローマ教皇のポストを退位する理由としては少々弱い。
ベネディクト16世の生前退位の決意が「2012年9月末」に下されたというゲンスヴァイン大司教の発言を再度慎重に検証する必要があるだろう。べネディクト16世の未公開の書簡が今回公表されたことで、同16世の生前退位問題がまだ謎に満ちたテーマであることを改め明らかになった。その謎を解くカギは「2012年9月」にあったのではないか。

べネディクト16世 Wikipediaより
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年8月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。






