一般戦没者が対象なら中韓は黙ろう
全国戦没者追悼式が行われ、石破首相は「あの戦争の反省と教訓を改めて深く胸に刻みこまねばなりません」と、式辞で述べました。天皇陛下も「深い反省の上に立って再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願います」と語りました。
首相官邸HPより
「反省する」「反省させる」には政治的に多様な意味が込められていますから、「反省は大切だ。反省すればよい」と単純にいえないことは確かです。
安倍首相は2015年の談話で「私たちの子孫、孫、その先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と語りました。以後、菅元首相、岸田前首相も式辞では、安倍氏の発言を踏襲していました。石破首相の「反省」は13年ぶりとのことです。
私は石破首相は日本の過去への反省ばかりでなく、国際情勢が急激に緊迫し、戦争、侵略が復活した時代に警告を発したかったのだと思います。式辞の「悲痛な戦争の記憶と不戦に対する決然たる誓いを世代を超えて継承し、恒久平和への行動を貫いて参ります」は、プーチン・ロ大統領、ネタニヤフ・イスラエル首相、習近平中国国家主席、あるいはトランプ米大統領もそうしてもらいたいと語りかけたかったと考えます。
今年は戦後80年の節目の年だし、多発する戦争、戦乱へと、国際情勢は歴史的な転換期にあります。戦没者追悼式における式辞は短い。やはり「首相談話」に類する「首相見解」(戦争の反省と教訓、不戦の誓い)を求めたい。単に日本国に向けた「見解」を超え、世界の政治指導者に向けた言葉になる。
読売新聞の大型コラムで編集委員が「歴史の検証は首相の立場で行うべき仕事なのだろうか。首相の言葉は注目され、各所で政治的な化学反応が起きる」と、首相談話、首相見解に否定的な解説を書いています。そうでしょうか。一国のトップの言葉だからこそ、重い意味を持つのです。
終戦の日といえば、靖国神社の参拝の問題があります。加藤財務相、小泉農水相のほか、自民党の高市早苗、小林鷹之、萩生田光一氏らが参拝したそうです。靖国参拝の核心は「A級戦犯の合祀」と「一般戦没者の慰霊はどこの国でもやっていること」へのバランスのとり方でしょう。
米国にもロシアにも、中韓にも戦没兵士の墓地があり、政治指導者や一般国民は追悼に訪れます。靖国神社もそのひとつだったのに、昭和53年(1978年)に戦争犯罪人とされた東条英機らA級戦犯14人が密かに合祀され、怒ったであろう昭和天皇も参拝を止めました。中国は「東条らが合祀されている靖国神社への首相の公式参拝は中日両国民を含むアジア人民の感情を傷つけよう」との声明をだしました。中曽根首相が昭和60年に公式参拝をした時のことです。
以後、国際的にはA級戦犯の合祀が靖国参拝の核心になり、どこの国でもやっている戦没者の慰霊を首相や閣僚らがやると、政治問題化する。そこで私が思うには、「自分はA級戦犯を除いた一般戦没者の慰霊にきたのです」と記者団などに語る政治家、人物がでてきていいはずです。
A級戦犯を含めて慰霊にきた人物は、批判を恐れ黙っているでしょう。自民党議員はそうは言えないにしても、参拝に来た際に「自分は一般の戦没者を対象に慰霊にきた」と語る野党党首がいていいはずです。そういう話がメディアの報道で扱われたこともなさそうです。
ChatGPTに調べてもらうと、「そうした例はないだろう」との返答です。次いで「学者、専門家などが提言したケースはありますか」との問いには、「SNSあたりにはあったかもしれない。専門家がそうした提言をした例は見つからない」という答えでした。「私の場合は、A級戦犯でなく一般戦没者が追悼の対象です」といってみたらどうかという提言を期待します。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2025年8月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。