「チャットGPTに聞いてみた」という記事は読む気がおきない --- 田中 奏歌

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アゴラで執筆されている一部の方には申し訳ないが、正直な気持ちである。

AIを使うことがいけないと言っているのではない。近頃は少なくなってきたものの、ときどき見かけるAIの答をそのままアゴラ記事にすること(・・・のように見えるだけ・・・かも)についての話である。

私が誤解しているだけであることを願いながら、この文章を書いている。

最近、Google検索で最初に「AIによる回答」というものが出てくるようになった。それはそれでいいが、問題はその中身である。

目の前にあるお店が「存在しません」とか、弦楽器の三番線を「Ⅳと表記します」とか、あまりに見え見えの間違いが非常に多い。単にネットからさらってくる答なので、胸張って答えているのはある意味、可愛らしいくらいである。

さまざまなAIがあり、有料バージョンのAIなら無料版よりいい、とか、AIごとに得意分野がある、という声もあるが、Google検索の結果が有料バージョン以下とは思えないし、検索が不得意とも思えないので、この会社のAIのレベルはそんなものだろう、と理解している。

昔は、wikiも怪しい答が多く、基本的には使えないと言っていたので、AIもそのうちに良くなる、とは思うが正直、商売のためとはいえ、「現時点でこのレベルのもの」を検索結果の最上位に持ってくるこの会社の感覚はどうなんだろうと思う。

現時点でAIの出してくる回答については、ひとつは、今あげたように、ネットに転がっている情報をひらってきたもの(よく言えば整理・要約したもの)があり、また、AIとのやりとりにより使用者の意思を忖度させて代弁させたものがある、という認識でいる。話者の考えを整理してうまくまとめてくれるということもあるが、AIを問い詰めると話者に迎合しだす、という意味でもある。

※ 近年のAIのレベルは素晴らしく、やりとりに不自然さを感じさせないものも多いが、不自然さと回答の正確さ、および、その自主性は別物である。

そういうレベルであると認識した上で、最近アゴラの記事に多い「(単純に)AIに聞いてみました」「(無批判に)AIにファクトチェックしてもらいました」という投稿について考えると、私には、投稿者の意見として読む価値がある、とは思えないのである。

もちろんAIにはAIの得意な分野があり、ちゃんとした意見があればそれをうまくまとめてくれたり、諸元があれば、参考文献の検索はしやすいかもしれない(最近はそれすら捏造するAIもあるらしいが…)。自分が気がつかなかった考えを知る、ということもできよう。データ分析も得意である。AIの利点は多々ある。決してAIの使用を否定しているわけではない。これからもどんどん使用されるであろう、と思ってはいる。

なので、AIの限界を認識したうえならば、AIを議事録作成だけでなく、広範囲に仕事に使うことはまったくもっておかしくないし、生活に応用することもいいだろう。学習に使うことも直接的な答案を求めるのでなければありと思う。

どなたかがアゴラで「AIは家来として使うもので、家来になってはならんのです」とおっしゃっていたのはそのとおりだと思う。

しかし、先に述べたような回答がAIの今のレベルであるならば、AIを道具として使ったほとんどの投稿がそれなりに完成されたものであったとしても、いくつかの投稿がいい加減なやりとりに基づいたものかもしれないと思った時点で「(単純に)AIに聞いてみました」という投稿に読む価値を感じないのである。

そもそもアゴラって、さまざまな人の「意見」を読むものではないですか?それが面白いし、役に立つのですよ。

実際にはAIを使って自分の意見を忖度させた結果を投稿したものであっても、単に「AIに聞いてみました」「AIと会話してみました」「AIはこう言っています」という書き出しの投稿を、申し訳ないが、私はまともに読む気にはなれない。

そういう書き出しの投稿は、自分の意見の弱さに対する責任回避としか思えないので、(ひょっとしたらその方の投稿をよく読むと、きちんと自分の意見が書かれていようとも)それ以上頭に入ってこないのである。

自分の意見に自信があって、AIをその作業の補助に使っただけなら、わざわざAIを使ったことなど言わなくてもいいと思うけど、なぜ皆さん、道具として使ったAIが作業に絡んでいた、というだけでなく、AIが中心となって作ったように言いたがるのだろうか。

ちょっと表現が冗長で、もっといい書き方もあると思うが、「データとしてAIを利用して検討した結果、私の意見はこうです」という投稿ならわかるし、「AIとやり取りやAIの分析を利用して、私の意見はこうまとめました」「AIの答にヒントを得て考えてみました」というならアゴラの投稿も読みたい。

「AIとの議論の中で、以下のような分析をまとめることができた」とか、「私はこう思うが、AIで調べた巷の意見はこうである」というのもうまくAIを活用されていると思う。忖度させたものでなければ、「AIの集計結果はこうである」というのもいいであろう。

しかし、何度も言うが、単に「AIに聞いてみました」「AIと会話してみました」「AIはこう言っています」という書き出しの投稿は、アホな私には、いかに本文の後半でご自分の意見を述べておられようとも、書き出しで「最大多数とも思えない無責任な声の集約を述べています」「忖度させて作ったものをAIに責任転嫁して述べています」と書いてあるようにしか感じないので、それ以上読む気力が湧かないのである。

書き方はいろいろあるだろうが、「AIの答はこうです」という意味の書き出しの投稿者の方には、ぜひ、そう書かずに、ご自分の意見であると明言した上で今まで以上に有意義な文章を投稿いただき、私の誤解を解いていただきたい。

田中 奏歌
某企業にて、数年間の海外駐在や医薬関係業界団体副事務局長としての出向を含め、経理・総務関係を中心に勤務。出身企業退職後は関係会社のガバナンスアドバイザーを経て、現在は隠居生活。