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保守派の人が自公連立を解消しない限り憲法改正はできないから、連立を組み替えるべきだという妄言がよく聞かれる。しかし、これほど非論理的な主張はない。というより、そういうことを言う人は憲法改正など真剣に考えていないのである。
たしかに、公明党は憲法改正に慎重である。内容的にも平和憲法の建前を否定するような改正には否定的であり、また発議するからには絶対に国民投票で負けない保証があるべきだという考えを持っている。
しかし、それは安倍晋三元首相も同じであった。第九条にしても第二項を改正する必要はなく、第三項か第九条の二を加えて自衛隊や日米安保体制の合法性が担保されればよいという立場であった。
もちろん、理想論としては異なる部分があるが、現実的な対応策にそれほど齟齬はなかった。そういうことを何も考えずに「公明党が邪魔だから憲法改正ができない」などというのは、あまりにも粗雑な政治論である。
なぜそうなのかは『検証 令和の創価学会』(小学館)で詳述しているが、ここではその要点を示す。
憲法改正における衆議院の三分の二という条件は、何かの勢いで総選挙に大勝するか、他党の協力を得れば公明党抜きでも達成できる可能性がある。しかし参議院は三年ごとに半数改選であるため一度の選挙で急変することはなく、かつ公明党は参議院での議席比率が衆議院よりも大きい。そのため、公明党の協力なしに三分の二を確保することは困難である。
さらに、国民投票では公明党支持者が賛成に回らなければ過半数は到底得られない。安倍元首相はその計算ができる人物であった。
国民民主党や維新は情勢次第で各議院の三分の二確保に貢献できる場合もあるが、その支持者は党の方針に従わない傾向が強い。維新支持者はもともと憲法改正に賛成していた層がそのまま賛成するだけであり、国民民主党支持者は賛否が党の方針と無関係に分かれるだろう。
これに対し、公明党支持者は根回しがきちんとなされれば高い割合で党方針に従う。したがって、憲法改正は公明党が納得し、国民投票で積極的に賛成票を投じる案でなければ実現不可能である。大雑把に言えば、公明党が賛成する改正案なら残り国民の四割強の賛成で成立するが、公明党が反対する場合には残り六割の国民が賛成しなければならず、これは極めて高いハードルである。
したがって、公明党が連立に入っていようがいまいが、公明党が反対する改正案は国民投票で採択されることはまず不可能である。ゆえに、自公連立だから無理というわけではない。
さらに忘れてはならないのは、憲法改正は大阪都構想の住民投票などと違い、保守派にとって絶対に負けられない戦いであるという点である。
日本国憲法が「押しつけ」であったかどうかについては、押しつけだから無効だと主張する人もいる。しかし占領終了直後ならともかく、今さら「無効」と言っても意味はない。せいぜい参政党のように「日本国憲法の改正手続きに則って改正するが、改正後の憲法は日本国民が一から制定したものと位置づける」という玉虫色の解釈が限界である。
日本の保守勢力が言い続けてきたのは「押しつけ憲法だから合法性に疑義があり、改正手続きを経て合法性を回復すべきだ」という主張である。しかし、もし改正案が国民投票で否決されたら、現行憲法に国民の信任を与えたことになり、「押しつけ憲法だった」という主張は二度とできなくなる。
保守派の中には「国民投票まで持ち込めれば満足だ」という人もいるが、大多数は「負ける可能性があるなら発議しないほうがましだ」と考えている。安倍元首相も同じであった。
この意味でも「自公連立でなければ憲法改正の発議くらいはできるだろう。負けたらそのときのことだ」という発想は、賢明だとは言えないのである。
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