8月14日。わたしは広島にいました。
福岡から愛知県に異動となり、赴任の途中で立ち寄ったものです。
広島は路面電車の駅が新しくなったことで今、鉄ヲタの中では話題騒然の町なんですが、これに関する記事はまた今度。まずはこれに乗って市の中心部に移動します。
下車したのは「原爆ドーム前」停留場。その名の通り、原爆ドームが目の前にあります。この日は8月14日。終戦記念日の前日ということもあってか大量の乗客がこの停留場で下車します。
近年インバウンドで外国人観光客が多いといいますが、広島は特に多いと感じます。広島で特徴的なのは、中国、韓国の人よりも欧米人がかなり多いということ。これもどこか歴史的背景があるのかなと思ってしまいます。
原爆ドームは、もとは広島県物産陳列館、のちの産業奨励館として、広島県の物産を展示、販売する建物として機能していました。また美術展、博覧会などの会場としても利用され、中国・四国地方の産業の要として機能していた建物でした。レンガ造りの建物としてはこの地方橙の建物だったと言われています。
平和公園に渡る、本安橋から原爆ドームを望む。
本安橋を渡って旧太田川を越えます。その先はもう平和公園。原爆の子の像の前には祈りを捧げようとする人たちが列をなしていました。
像の周りには平和を祈って折られた千羽鶴など寄贈された作品を飾るスペースが置かれています。ここに捧げられる千羽鶴は年間で10トンにも及ぶそうです。ところで、今や千羽鶴は平和の象徴とされていますが、その歴史はさほど古くありません。
2歳で被爆し、白血病を患った佐々木禎子さんが「折り鶴を折ると願いが叶う」と信じて折り鶴を折り続けたものの、12歳でこの世を去ったことをきっかけに、原爆で亡くなった子ども達の霊を慰めて、平和のための像を造ろう!という運動が始まりました。これに呼応するかのように平和を祈り、折り鶴を折る活動が全国に広まり、折り鶴が平和の象徴へになっていったのです。
毎年8月6日には式典が行われる原爆死没者慰霊碑の前も魂を弔おうとする方たちの列があります。近年はガザ紛争やウクライナ紛争など起き、世界平和から遠ざかってるような世界情勢に変わってきており、平和の祈りを捧げようとする人たちが後を絶ちません。
この平和の灯がいつまでも消えないものであってほしいと思います。
平和祈念資料館から原爆死没者慰霊碑を望む。
祈りの先には原爆ドームがあります。
平和公園の南端には平和祈念資料館があって、原爆の凄まじさ、悲惨さを伝える貴重な資料がそろえられています。10年ほど前の同じ時期、ここを訪れたときはゆっくり資料を見てその悲惨さを目の当たりにして平和のありがたさを感じたのですが、この日再び訪ねてみたところ、信じられないほどの大混雑でびっくりでした。長い廊下は人で埋め尽くされていて列の進みも遅く、正直ストレスばかり募って列をかいくぐって早々に退出してしまいました。
せっかく貴重な資料を揃えているのにゆっくり見ることができないのはとても残念です。平和を祈る人たちのために大勢の人に見てもらいたいという気持ちはわかりますが、建物の構造や展示方法がそれに適しておらず、予約制か展示の抜本的な見直しかをしないとそのうち事故が起こるのではないかというレベルでした。
原爆投下直後は多くの死体が浮き血の海となった太田川。
終戦記念日前日に訪ねた広島は、1年で一番平和への気持ちが高まり、洋の内外を問わず平和を祈念する気持ちでひとつになれる貴重な場所でした。
今年は既に終戦記念日は過ぎましたが、平和への祈りはいつしてもいいと思います。近くに来られた際は広島に立ち寄っていただき、ここでしばし平和について考え、祈りを捧げてみてはいかがでしょうか。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2025年8月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。