黒坂岳央です。
「旅行は唯一、万人が楽しめる趣味」、世間一般にはこのように言われる事が多い。
だが実際にはそうではない。旅行は人を選ぶ趣味で旅行の才能を持つ人間にしか楽しめない活動だ。だが筆者は旅行を楽しめない人にダメ出しをするのではなく、逆に「旅行を楽しめない自分を責めなくていい」という救済の意図を持ってこれを書いている。
さらに最近は、「現代人は旅行をしなくなった」という意見を見る。こちらの意見も含めて「現代人が旅行をしなくなった理由」について考察したい。

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旅行をする人が減った理由
近年の旅行離れについては、「旅行をしなくなったのはお金がないからだ」と説明されがちだ。確かに経済的制約はゼロではない。
しかし、それ以上に現代人が旅行を遠ざけている理由は娯楽が多様化し、自分にフィットした楽しい時間を見つけることが容易になったことで、旅行における「不確定性」や「プロセス」を無理に楽しまなくてもいいと考える人が増えたからだと思っている。要は娯楽の多様化だ。
旅行でよくある誤解は、「旅行とは点と点を移動する活動」というものだ。だが、実際はそうではない。人気観光地に最短ルートで到着し、定番のスポットで写真を撮る予定調和ではつまらないし、わざわざ高い費用と労力をかける意味はない。そういう人にとってはYouTubeの旅Vlogを見ている方が手軽で、満足度も変わらないだろう。
そうではなく、本来の楽しい旅行とは「点」ではなく「線」で楽しむ活動だ。移動中に窓の外を流れる未知の世界の景色を観察する。準備段階で地理や歴史を調べ、その知識を現地で確かめる。道に迷いながらもようやく正しいルートを発見した時の安堵感や、地元の人に助けられる経験などである。
たとえば「この道路は火山の隆起でできた地形だ」と気づいた瞬間、景色がただの風景から身体的体験を伴う忘れられない思い出に変わる。
プロセスを楽しめない人にとって、旅行は単なる疲れるだけの出張担っていることが多い。
知的好奇心という才能
そして「旅行は人を選ぶ」といった。その心の理由はまさしく、旅行を楽しめるかどうかの最大の起点だ。未知に触れることをワクワクと感じられ、自然の壮大さに感動できるか?これは感受性や知的好奇心といった才能の問題なのである。
筆者は旅行先で夜中の3時過ぎに起き、旅行先でゴンドラで山頂にいって朝日を見てきた。冷え込む空気の中、地平線から光が射し、赤々と燃える太陽に照らされた瞬間、「地球は生きているんだな」と全身で感じた。言葉では説明できない迫力に身震いした体験である。
しかし、同じ体験をしてもすべての人が同様の感動が得られるわけではない。夕日を見ても何も感じない人間に、美しいと思わせる方法は存在しない。自然や未知を前にして感動する感受性は、まさに才能そのものなのである。
好奇心や感受性が弱い人は旅行という活動で楽しむことは難しい。そうした人に旅行ではない、自分に向いた趣味を考慮するべきだ。
旅行は制約を楽しむもの
旅行は常に制約との戦いである。時間、荷物、食事、体力など、あらゆる場面でトレードオフを迫られる。「何かを取れば、何かを捨てる」ことの連続である。
お金で多くの問題は解決できるが、必ずしも万能ではない。たとえば人気観光地の入場制限や天候による交通の乱れなどは、いくら資金を積んでも回避できない。そうしたときに必要なのは創意工夫である。
筆者自身、旅行プランを考えるときは、むしろ制約を楽しむくらいの気持ちで臨んでいる。限られた時間でできるだけ楽しい旅行を考えるのは、パズルを解くような面白さがある。ときには家族を喜ばせるために夜ふかししてでもプランを練り直すこともある。
旅行は「苦労をお金で買う」ようなものだ。その苦労を同伴者と共に乗り越えることで、知恵や絆を楽しむ回路が働く。しかし、この創意工夫を「面倒だ」「しんどい」としか思えない人に旅行は向かない。
◇
旅行は決して万人に開かれた娯楽ではない。楽しめるかどうかは、体力や経済力だけでなく、不確定性を受け入れる心、未知に感動できる感受性、そして制約を創意工夫で乗り越える姿勢といった「才能」にかかっている。
だからこそ、旅行を心から楽しめる人は限られている。旅行は人を選ぶのだ。
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