9月3日、北京の天安門広場で「抗日戦勝記念80周年」を祝う軍事パレードが行われた。
抗日戦争(日中戦争)の戦勝記念式典にまつわる疑問の答えを探ってみた。
中国共産党HPより
なぜ9月3日?
1945年8月15日、戦争の終結が国民に告げられた。この日が日本にとっての終戦日となる。
同年9月2日、日本は降伏文書に調印する。調印式は、東京湾(横浜の南本牧ふ頭と富津岬の中間)の米国軍艦ミズーリ号において行われた(その時の映像がNHKのウェブサイトから視聴できる)。
翌3日、調印の知らせが中国の国民に広く伝わり、当時の国民党政権(指導者は蒋介石)がこの日を記念日とした。
2014年に法律上の記念日となり、2015年9月3日には、抗日戦争勝利70周年の軍事パレードを初めて行った。
中国は日本に「勝利した」の意味:日中戦争(1937–1945)とは
1937年の盧溝橋事件(北京の盧溝橋という地区で訓練中の日本軍と中国軍が軍事衝突した事件)をきっかけに、日中の戦いは全面戦争へと拡大した。日本は中華民国(国民党政権)の首都南京を占領し、政権は重慶へ移転。中国側はソ連の援助や、後には米英の支援を受けて長期抗戦を続けた。
1941年に太平洋戦争が始まり、日中戦争は第二次大戦の一部に組み込まれることになった。米国が中国に大規模な軍事・経済支援を行い、中国は連合国側の一員として戦う立場になった。
1945年8月、日本は広島・長崎への原子爆弾投下やソ連の対日参戦を受け、ポツダム宣言を受諾し降伏する。これにより日中戦争も同時に終結。中国戦線での戦闘は、日本の降伏命令に従って停戦が実施された。
つまり、「日本の降伏」によって、「中国が勝利」という解釈になっているわけである。
戦後処理はどうなったか
戦後、サンフランシスコ平和条約が結ばれる。1951年9月4日から8日まで、米サンフランシスコにおいて52か国の代表参加のもと平和会議が開催され、同年9月8日、条約が調印された。発効は1952年4月28日。これにより連合国軍の占領が終了し、日本は独立を回復して国際社会に復帰した。
中国の代表権については米英の意見が一致せず、サンフランシスコ平和会議に中国は招請されなかった。このため、日中間では「日中戦争の講和条約」は結ばれず、戦後の国際秩序の枠組みで処理されることになる。
サンフランシスコ平和条約発効の数時間前、日本は中華民国(台湾政府)と日華平和条約を締結する。これが事実上の日中戦争の終結を定めた条約となる。
米国は国民政府との講和を希望し、日本政府は、国民政府を相手に平和条約を締結する道を選んだ。
1972年、日本と中華人民共和国(共産党政権)が国交を正常化し、戦争状態は完全に解消された。
つまり、日中戦争は1945年の日本降伏で実質的に終わり、1952年の日華平和条約で法的に戦争が終結した。1972年の日中共同声明で最終的に現在の関係につながったのである。
「日本に勝利した」というよりも「日本が降伏したから」が正しい?
「歴史の事実」と「歴史の語り方」の違いがありそうだ。
歴史的事実として、日本はポツダム宣言を受諾し、連合国に対して無条件降伏した。降伏の相手はあくまで「連合国」(米英ソ・中国などを含む)であり、特定の一国(中国など)に単独で降伏したわけではない。したがって、形式的には「中国が日本を単独で降伏させた」わけではなく、「連合国の勝利の一部として中国も戦勝国となった」わけである。
しかし、中国の立場からすると、中国(当時の国民党政権)は1937年から8年にわたり、日本軍の侵略に抵抗した。南京大虐殺を含む甚大な被害を受けながらも持ちこたえ、特に米国参戦以前の数年間は主要な「対日戦闘国」だった。このため、中国は「抗日戦争に勝利した」という歴史認識を持つ。
国際法的に言えば、日本は「連合国に降伏」したのが事実だが、しかし各戦勝国は自国民に対して「自国が勝った戦争」として記憶を語る。「日本が降伏した」のと「中国が勝利した」という表現は必ずしも矛盾しない。同じ事実を異なる角度から語っていると言えそうだ。
戦時中の実態は
戦時中の実態として、主力は国民党軍(蒋介石政権)だった。日本軍と正面から大規模な会戦を繰り広げ、甚大な被害を受けつつも持ちこたえた。一方の共産党軍(毛沢東の八路軍・新四軍)は主にゲリラ戦に従事し、日本軍の後方をかく乱し、交通・補給線を攻撃するなど消耗戦で抵抗した。直接の大規模会戦は少なかったが、地方農村で影響力を広げた。
こうして、戦後直後の評価として、国際的には「中国を代表する戦勝国」は国民党政府(中華民国)。国民党は戦勝の功績を誇示したが、戦争での犠牲・疲弊が大きく、統治力は低下した。
その後の内戦(1946–49年)で勝利したのが共産党だ。1949年10月、同党は中華人民共和国を建国する。その際に、「抗日戦争の主力は共産党だった」という歴史認識を広めた。
軍事パレードと「日本に勝利」の関連
中国の軍事パレードや記念式典で「日本に勝利した」と強調されるのは、抗日戦争の「勝利」を共産党の正統性と結びつけるためと「中国は第二次大戦の主要戦勝国」という国際的地位を再確認するためとみてよいだろう。
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編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2025年9月9日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。