問題はフェイクニュースではない、フェイク・ジャスティスなのだ。

國分功一郎さんが昔、千葉雅也さんとの対談で面白いことを言っていた。典拠は、アーレントがフランス革命を批判した『革命について』である。

『言語が消滅する前に』千葉雅也/國分功一郎 | 幻冬舎
人間が言語に規定された存在であることは二〇世紀の哲学の前提だった。二一世紀に入って二〇年が過ぎたいま、コミュニケーションにおける言葉の価値は低下し、〈言語を使う存在〉という人間の定義も有効性を失いつつある。確かに人間は言語というくびきから解き放たれた。だが、それは「人間らしさ」の喪失ではなかろうか?――情動・ポピュリズ...

ロベスピエールは社会から偽善や欺瞞を廃絶しようとした。だから人間の心に徹底的に光を当てようとするんだけれども……追及すればするほど、さらに奥に別の動機が潜んでいるのではないかと思われてしまって、結局その人間は疑惑の対象になる。

「おまえは偽善者だ。反革命だ」ということになって、ギロチンにかけられることになるわけです。何でもかんでも理性の光の下に晒そうとすると全員偽善者になるので恐怖政治が起こる。

『言語が消滅する前に』118頁
初出『現代思想』2017年8月号
(段落と強調を付与)

心という概念にはこの危うさがあって、「本心では」アイツ、どう思ってるんだ? という発想に立った瞬間、誰も信じられなくなることは多い。あるいは心が目に見えないのをいいことに、どうせ「動機はカネでしょ」「売名でしょ」といった難癖も、いくらでも付けれてしまう。

とはいえ目に見える結果から逆算しても、主観(心)はどうあれ「客観的には」お前は悪だ、みたいな決めつけがでてくる。お前の発言は敵を有利に “し得る” から、お前も敵であり、きっと内心では裏切ってたんだみたいな悪魔合体が、キャンセルカルチャーを駆動することもしばしばだ。

共産党化する日本?: 誰でもキャンセルできる「無敵の論法」の正体|與那覇潤の論説Bistro
今月はTVなど人目を惹く業界でも、SNSでの失言で仕事をなくす例が続き、「キャンセルカルチャーの猛威」がようやく国民の肌感覚になったようだ。3年前から議論を提起していたこの問題の第一人者としては、実に感慨をもよおす夏であった。 「炎上」と「論争」の違いとは? 実際に“キャンセル・カルチャー”を経験した歴史学者が...

存在はするのだろうけど、形がなく手で触って確かめられない「心」の曖昧な概念は、かくして他人を支配することと密接に結びつく。とはいえ、いまさら「心とか言うのやめましょう」ともいかないのが、つらいところだ。

今年3月に出て話題の、信田さよ子さんの『なぜ人は自分を責めてしまうのか』は、全編でこの問題を扱っている。著者は1946年生まれで、日本にカウンセリングを広め、とくに家族の問題を採り上げてきた先駆者である。

たとえばパターナリズムという用語は、ふだん悪口としてしか使わない。でもそれを解説して、同書いわく――

『なぜ人は自分を責めてしまうのか』信田 さよ子|筑摩書房
筑摩書房『なぜ人は自分を責めてしまうのか』の書誌情報

「自分のやってることは、良識ある善意に従っていて、正しいことだ。だから相手もそれを良いことと思うにちがいない」。これがパターナリズムです。

母親を思い浮かべてください。子どもにスプーンで離乳食を、食べたくないのに食べさせる。この子にとって、絶対にいいはずだと思ってる。でもその子はもう嫌で、ペッと出しちゃったりする。そうすると、人によってはものすごく怒ってしまう。

虐待は、こういうところから起こったりします。

84頁

そうなのだ。お前の本心は…と玉ねぎみたいに心の皮むきをしていって、悪を行う者の奥底には「悪い心がある!」みたいな、単純な話ではない。誤解する人が多いが、心理職とはそんな名探偵めいた仕事ではない。

むしろ、双方が「良い心」を持っている場合でも、互いの噛み合わせがどこかでこじれてしまった結果、とてつもなくひどい結果を生むことがある。そうした関係を解きほぐし、調整するのが、カウンセリングである。

ここを踏まえず、「心に寄り添う」ってイイ感じじゃない? みたく概念を振り回すと、世の中はもっとひどくなる。私の心が「傷ついた!」と叫び、周りを動かせばハラスメントをなくせるといった(よく聞く)発想に、信田さんは距離を置く。

#MeToo な季節の終わり|與那覇潤の論説Bistro
3/3(現地時間では前日)に発表される米国のアカデミー賞では、伊藤詩織監督の作品が長編ドキュメンタリー部門の候補になった。ところがご存じのとおり、日本での評判はいま、きわめて悪い。 性暴力の被害を訴えてきた彼女が、裁判以外では使用しないとの約束で入手したホテルの監視カメラの映像を、無許可で映画に流用していることが判...

被害者権力の特徴は、この三つです。

① 被害者は(しばしば)自分より弱者を支配することで生きていく
② 被害者は(しばしば)強迫的にケアを与えたくなることがある
③ 被害者は「正義」をよりどころにすることで生きることがある

③は、特に大切な点です。セクハラや性暴力の被害を受けた人が、「自分は間違ってない! 被害者だ」というのは、最後のよりどころですから。しかし、それがしばしば権力性を帯びてしまう危険性も、考えておく必要があると思います。

81-2頁

ぼくが批判し続けるセンモンカとは、信田さんのいう「被害者権力」にどっぷりはまって自分を客観視できない人たちなのだ。おまけに、彼らは(しばしば)本人ではなく他人の被害に寄生するから、もっとタチが悪い。

ReHacQは「一流のメディア」になるために何をすべきか|與那覇潤の論説Bistro
ReHacQ(リハック)というネット世代に人気があるらしいYouTubeのチャンネルに、国際政治学者の東野篤子氏が出演し、話題になっている。 ヘッダーは、彼女が「自分はネットで叩かれる」旨を繰り返す箇所の一部だが、カタカナでセンモンカと書く人は私の知るかぎり私しかいないので、ウクライナ論壇に批判的な拙noteもお読...

コロナでは、亡くなった人や大混乱の病棟。戦争なら、ウクライナやガザ。SNSで強迫的に彼らの被害を「私はケアする」と誇り、そうすることで本当の弱者(当事者)を都合よく支配し、自分は正義だからなんでも許されると暴れまわる――それが、メディアでウケる間だけは。

なぜ日本のメディアは、ウクライナにもガザにも「飽きる」のか|與那覇潤の論説Bistro
5月に戦後日本についての歴史書を出すが、その次は「令和日本」の最大の課題である、堕落した専門家が振り回す社会の分析を書籍にする予定だ。温厚なぼくとしては「他人の悪口」で本を売りたくないが、穏当にことを済ませる試みを妨害し、嘲笑ってくる人がいるのではやむを得ない。 なにせ、休戦すらなく今日も続くウクライナ戦争でも、もう...

こうした情報環境は、「ファクトチェック」ではどうにもならない。それはFake Newsの対策ではあっても、Fake Justiceには無力だからだ。

気に入らない報道にFake News!と叫ぶトランプやその支持者も、主観的には被害者で、正義の戦いを善意でやっていると(しばしば)心から信じている。一方で、対抗する側もまた(しばしば)Fake Justiceなことも、もう覆い隠せない。

「お祝いの意味で撃ったのかもしれない」 米保守活動家の銃撃死に進歩系評論家が冗談、即日解雇される
「お祝いの意味で撃ったのかもしれない」 米保守活動家の銃撃死に進歩系評論家が冗談、即日解雇される

じゃあ、どうすればいいんだろうか?

拙著『江藤淳と加藤典洋』を高く評価して下さった信田さんとの対談を、この度ゲンロンカフェが企画してくれた。実は、信田さんとは2020年2月、日本のコロナ禍が大ごとになる目前に、一度共演したことがある。

池袋のジュンク堂で展開していた「信田さよ子書店」のイベントで、好評だったことが翌21年の夏に「與那覇潤書店」を開くきっかけにもなった。御礼を言えてなかったので、それを伝える機会にもしたいと思っている。

イベントのタイトルは、2021年刊の信田さんの別の話題書から採ったものだけど、個人的には前に同じカフェで採り上げたことのある『犠牲者意識ナショナリズム』を連想したりもした。被害者権力が個人を超えて国家と結びつくとき、結果は最も凄惨なものになる。

ナショナリズムに犠牲は必要か – ゲンロンカフェ
株式会社ゲンロンが運営するイベントスペース

当日はぜひ、文学も・歴史も・メンタルヘルスの問題も横断して、「心と権力」の入り組んだ関係をどう解きほぐせば、ぼくたちはこのFake Justiceの時代を閉じられるのか、まさにいま一番大事な議論をしたい。

9/24(水)19:00~で、五反田での生での聴講はもちろん、シラスとニコニコ動画での配信(半年間のアーカイブ有)もある。ぜひ以下のリンクから、多くの人にご参加いただけると嬉しいので、よろしくお願いします!

文学は国家と家族の共謀を突破できるか – ゲンロンカフェ
株式会社ゲンロンが運営するイベントスペース

参考記事:

私は信田さよ子を知らなかった『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』 | カドブン
書評家・作家・専門家が《新刊》をご紹介! 本選びにお役立てください。(評者:東畑 開人 / 臨床心理学者、白金高輪カウンセリングルーム 主宰)『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』
歴史を書くとき、ひとは社会をカウンセリングしている。|與那覇潤の論説Bistro
臨床心理士の東畑開人さんが、6/22の読売新聞に『江藤淳と加藤典洋』の書評を書いてくれた。いまは同紙のサイトで、全文が読める。 『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』與那覇潤著 【読売新聞】評・東畑開人(臨床心理士) 戦後史についての本であるけれども、それ以上の本だ。自分は歴史学者を廃業したと記す著 ...

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年9月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。