
國分功一郎さんが昔、千葉雅也さんとの対談で面白いことを言っていた。典拠は、アーレントがフランス革命を批判した『革命について』である。

ロベスピエールは社会から偽善や欺瞞を廃絶しようとした。だから人間の心に徹底的に光を当てようとするんだけれども……追及すればするほど、さらに奥に別の動機が潜んでいるのではないかと思われてしまって、結局その人間は疑惑の対象になる。
「おまえは偽善者だ。反革命だ」ということになって、ギロチンにかけられることになるわけです。何でもかんでも理性の光の下に晒そうとすると全員偽善者になるので恐怖政治が起こる。
『言語が消滅する前に』118頁
初出『現代思想』2017年8月号
(段落と強調を付与)
心という概念にはこの危うさがあって、「本心では」アイツ、どう思ってるんだ? という発想に立った瞬間、誰も信じられなくなることは多い。あるいは心が目に見えないのをいいことに、どうせ「動機はカネでしょ」「売名でしょ」といった難癖も、いくらでも付けれてしまう。
とはいえ目に見える結果から逆算しても、主観(心)はどうあれ「客観的には」お前は悪だ、みたいな決めつけがでてくる。お前の発言は敵を有利に “し得る” から、お前も敵であり、きっと内心では裏切ってたんだみたいな悪魔合体が、キャンセルカルチャーを駆動することもしばしばだ。

存在はするのだろうけど、形がなく手で触って確かめられない「心」の曖昧な概念は、かくして他人を支配することと密接に結びつく。とはいえ、いまさら「心とか言うのやめましょう」ともいかないのが、つらいところだ。
今年3月に出て話題の、信田さよ子さんの『なぜ人は自分を責めてしまうのか』は、全編でこの問題を扱っている。著者は1946年生まれで、日本にカウンセリングを広め、とくに家族の問題を採り上げてきた先駆者である。
たとえばパターナリズムという用語は、ふだん悪口としてしか使わない。でもそれを解説して、同書いわく――

「自分のやってることは、良識ある善意に従っていて、正しいことだ。だから相手もそれを良いことと思うにちがいない」。これがパターナリズムです。
母親を思い浮かべてください。子どもにスプーンで離乳食を、食べたくないのに食べさせる。この子にとって、絶対にいいはずだと思ってる。でもその子はもう嫌で、ペッと出しちゃったりする。そうすると、人によってはものすごく怒ってしまう。
虐待は、こういうところから起こったりします。
84頁
そうなのだ。お前の本心は…と玉ねぎみたいに心の皮むきをしていって、悪を行う者の奥底には「悪い心がある!」みたいな、単純な話ではない。誤解する人が多いが、心理職とはそんな名探偵めいた仕事ではない。
むしろ、双方が「良い心」を持っている場合でも、互いの噛み合わせがどこかでこじれてしまった結果、とてつもなくひどい結果を生むことがある。そうした関係を解きほぐし、調整するのが、カウンセリングである。
ここを踏まえず、「心に寄り添う」ってイイ感じじゃない? みたく概念を振り回すと、世の中はもっとひどくなる。私の心が「傷ついた!」と叫び、周りを動かせばハラスメントをなくせるといった(よく聞く)発想に、信田さんは距離を置く。

被害者権力の特徴は、この三つです。
① 被害者は(しばしば)自分より弱者を支配することで生きていく
② 被害者は(しばしば)強迫的にケアを与えたくなることがある
③ 被害者は「正義」をよりどころにすることで生きることがある③は、特に大切な点です。セクハラや性暴力の被害を受けた人が、「自分は間違ってない! 被害者だ」というのは、最後のよりどころですから。しかし、それがしばしば権力性を帯びてしまう危険性も、考えておく必要があると思います。
81-2頁
ぼくが批判し続けるセンモンカとは、信田さんのいう「被害者権力」にどっぷりはまって自分を客観視できない人たちなのだ。おまけに、彼らは(しばしば)本人ではなく他人の被害に寄生するから、もっとタチが悪い。

コロナでは、亡くなった人や大混乱の病棟。戦争なら、ウクライナやガザ。SNSで強迫的に彼らの被害を「私はケアする」と誇り、そうすることで本当の弱者(当事者)を都合よく支配し、自分は正義だからなんでも許されると暴れまわる――それが、メディアでウケる間だけは。

こうした情報環境は、「ファクトチェック」ではどうにもならない。それはFake Newsの対策ではあっても、Fake Justiceには無力だからだ。
気に入らない報道にFake News!と叫ぶトランプやその支持者も、主観的には被害者で、正義の戦いを善意でやっていると(しばしば)心から信じている。一方で、対抗する側もまた(しばしば)Fake Justiceなことも、もう覆い隠せない。

じゃあ、どうすればいいんだろうか?
拙著『江藤淳と加藤典洋』を高く評価して下さった信田さんとの対談を、この度ゲンロンカフェが企画してくれた。実は、信田さんとは2020年2月、日本のコロナ禍が大ごとになる目前に、一度共演したことがある。
池袋のジュンク堂で展開していた「信田さよ子書店」のイベントで、好評だったことが翌21年の夏に「與那覇潤書店」を開くきっかけにもなった。御礼を言えてなかったので、それを伝える機会にもしたいと思っている。
ゾクゾクするほど面白い。読み終わるのが勿体無い。 pic.twitter.com/oIk4k14HzV
— 信田さよ子 (@sayokonobuta) June 1, 2025
イベントのタイトルは、2021年刊の信田さんの別の話題書から採ったものだけど、個人的には前に同じカフェで採り上げたことのある『犠牲者意識ナショナリズム』を連想したりもした。被害者権力が個人を超えて国家と結びつくとき、結果は最も凄惨なものになる。

当日はぜひ、文学も・歴史も・メンタルヘルスの問題も横断して、「心と権力」の入り組んだ関係をどう解きほぐせば、ぼくたちはこのFake Justiceの時代を閉じられるのか、まさにいま一番大事な議論をしたい。
9/24(水)19:00~で、五反田での生での聴講はもちろん、シラスとニコニコ動画での配信(半年間のアーカイブ有)もある。ぜひ以下のリンクから、多くの人にご参加いただけると嬉しいので、よろしくお願いします!

参考記事:


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年9月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。






