AIは「知の巨人」にはならず

日本人は世界でも有数のクイズ番組好きであろうと思います。今も昔も様々なクイズ番組が放映され、その知識量を競っています。ではクイズ王者が「知の巨人」でしょうか?否です。なぜならクイズ問題は往々にして記憶量とその引き出しやすさに頼るところが大きいのに対して知の巨人はさまざまな学問をブレンドし、経験値を含めた高度な分析をする能力持っているからです。

知の巨人で名前が上がる歴史上の人物のごく一例です。梅棹忠夫、ピーター ドラッカー、和辻哲郎、折口信夫、柳田國男、南方熊楠、荻生徂徠、アイザック・ニュートン、渡部昇一、野中郁次郎…。まだご活躍されている方としては佐藤優、出口治明氏らの名前が候補にあがります。

知の巨人たちの共通点はすさまじいほどの読書量、そしてジャンルを超えて知識を融合化させる能力にあります。私は司馬遼太郎が好きで今年、東大阪の司馬遼太郎記念館にも足を運んだのですが、2万冊とされる記念館の蔵書は全部で6万冊の氏の全蔵書の一部だと紹介されていました。一体これだけの書物をどうやって読み解いたのか、そして司馬氏の小説やエッセイにみられる数多くの引用はどうやって引っ張り出したのか、記念館にある書籍の山の中で私は一人、頭がぐるぐる回り、思わず唸ってしまいました。

司馬遼太郎氏の書き物は小説でありますが、ノンフィクションに近い部分もあり、小説の中で突然作者の現実話が挿入されることがしばしばあります。そういう点で司馬氏の作品はフィクションとノンフィクションの間の事実と空想が絶妙なコンビネーションで描かれている特徴があるともいえます。

「竜馬がゆく」は司馬氏の代表作ですが、あの作品とその大河ドラマのおかげで日本で坂本龍馬が一気に開花しました。それまで坂本はそこまで注目されていなかったのですが、数多くの事実に巧みな推論や想像が組み込まれ全く新しい坂本龍馬像を司馬氏が創造し、現代のほとんどの人はその話を事実であるように理解しているのです。(坂本龍馬に焦点を当てた小説はほかにもあります。)

昭和の小説家には一種の流行があり、割と社会的に冷たい仕打ちや評価が低い人にわざとスポットを当て、あたかも英雄のように祭り上げる小説がずいぶんありました。例えば城山三郎の「男子の本懐」の主人公である浜口雄幸元首相の描かれ方はまるでヒーローでありますが、我々の社会での評価とは全く違います。

知の巨人は時として一般人が見落としがちな些細なことや埋もれてしまっている人に焦点を当て、復活させることが出来ます。我々の常識観を覆すようなまさかと思う視点で捉えることが出来る、この切り口の斬新さこそ、人間業であると言えます。

ではAIにこれが出来るか、と言えば現在の仕組みからはまだほど遠いと思います。私は冒頭に例を挙げたクイズ番組王者的な記憶量と情報の取り出しに秀でたソフトウェアこそがAIだと考えています。そこではAIが思考をするというわけではなく、ごくわずかの質問内容から回答を類推するわけです。当然ながら作業そのものの目的意識は情報の取り出しということを除き、曖昧であると考えています。

数週間前の日経ビジネスに「AIの普及は均質化の源泉に 革新は人の生む『異質性』にあり」という記事がMTIスローンマネージメントレビューからの転載として掲載されていました。3人の教授の共著のレポートですが、内容を一言でいうと「AIは、技術やアイデアの均質化をもたらす」という厳しい内容であります。

Meta マーク・ザッカーバーグ氏 テスラ イーロン・マスク氏 Open AI サム・アルトマン氏 NVIDIAジェン・スン・フアン氏(Wikipediaより)

我々のようにビジネスをしようとする者は常に他者がやっていないことを生み出すことにより高い利益を得られると考えています。しかし、もしもこのレビューにあるようにアイディアの均質化が生まれるとすればAIを使えば使うほどその出来栄えは凡庸で特徴のないものになるとも言えるのです。

これはAIが開発される以前からわかっていたことだし、私もこのブログで再三にわたり、そのような指摘はしてきています。私がチャットGPTをほとんど使わないのは今の東大生が月に3万円も課金して知識蓄積の効率性を追求するという姿勢に反旗を翻しているともいえます。

5年後に東大を卒業したAIに精通し優秀な若者と私のどちらが商売上手か勝負できるなら挑んでみたいと思うのです。(もちろん年齢差と商売の目的やゴール設定が違うので単純には比較できないので、あくまでも比喩的な話ですが。)結果は着眼点がまるで違う、そんなふうになる気がします。そしてAIは新たなビジネスを導き出さず、むしろ、レッドオーシャンの中で生き残る術を教えてくれるかもしれません。ですが、私はブルーオーシャンしか目指さないので土俵がそもそも違うことになると思います。

とても安っぽい言葉ながらも私が一言で表現するなら「知の巨人」とはユニークネスではないかと考えています。いかにして人とは違う着眼点に基づき、高いレベルの論理や主張が出来るか、ということかと思います。

いくらAIの時代が来ても私は負けないでしょう。それはAIにとって禁じ手であり、リンクしない筋道を自らが創造する力があるからだと信じています。いや、これは多くの人がまだまだその能力を兼ね備えています。ただ着実に蝕まれていることも事実でしょう。知を持つグループとAIの傘下に収まってしまい判断を待つばかりのグループに分かれつつある現代社会を見るのは実に残念であるとも言えそうです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年9月18日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。