第2次世界大戦後の困難と貧困下で全てを失った子供たちを守り、彼らが安全で安心できる環境で成長できるようにすることを目標に建設された「SOS子どもの村」の創設者ヘルマン・グマイナー(1919~1989年)が生前、「SOS子どもの村」の男の子たちに性的虐待をしていたことが明らかになった。
グマイナーは1949年、チロル州イムストに最初の「SOS子どもの村」を建設し、献身的な女性たちと男性たちと共に、世界的な人道支援の理念の礎を築いたことで有名となり、一時期、ノーベル平和賞候補にも挙がったことがあった。オーストリア国民はグマイナーの献身的歩みを誇らしく感じてきた。それだけに、「創設者の神話」が崩れ落ちていくのを感じ、大きな衝撃を受けている。

「SOS子どもの村」公式サイトより
「SOS子どもの村」は今日、世界135カ国と地域で活動する国際NGOだ。「SOS子どもの村」は世界中に450箇所以上あり、全体では約170万人の子どもと家族を支援している。オーストリアに「SOS子どもの村インターナショナル」の本部がある。日本にも支部がある。
ところで、「SOS子どもの村」で過去、子どもたちが虐待されていたというのだ。同事件を最初に報道したのはオーストリア週刊紙「ファルター」だ。同週刊誌は9月16日号でケルンテン州の「SOS子どもの村」で数年前に発生したとされる深刻な虐待疑惑を報じた。報道によると、「SOS子どもの村」の関係者は不祥事を知りながら、証拠と手がかりを隠蔽していた(「『SOS子どもの村』の虐待疑惑問題」2025年10月2日参照)。
そしてここにきて「SOS子どもの村」のスタッフだけではなく、創設者グマイナーが生前、男の子に性的虐待を犯していたことが明らかになり、オーストリア国民もショックを受けている。オーストリア公営放送は23日、プライムタイムのニュース番組でトップで報じたほどだ。
グマイナーに対し、少なくとも8人の未成年の少年に「性的暴力と虐待」を行った疑いがかけられている。暴行自体は1950年代から1980年代にかけてオーストリアの4か所で発生したという。さらなる被害者が出る可能性も否定できない。そして8人の被害者には最大2万5000ユーロの補償金が支払われ、セラピーセッションの費用も支払われたが、グマイナーは性的虐待容疑で起訴されることはなかった。「SOS子どもの村」での虐待疑惑は過去、内部で調査され、処理され、その調査結果や関連情報が公表されたことはなかった。
グマイナーは1919年、フォアアールベルク州に生まれ、1949年、「ソシエタス・ソシアリス」(SOS)協会を設立した。これは後に「SOS子どもの村」と改名された。同年、イムストに最初の家庭施設の礎石が据えられ、1950年12月24日、最初の5人の孤児たちが収容された。1960年代には、「SOS子どもの村」の理念はヨーロッパを越えてアジアやラテンアメリカへと広がり、現在、「SOS子どもの村」は約135カ国に拠点を置いている。グマイナーは1986年、67歳で亡くなった。
グマイナーは生前、「SOS子ども村」の創設者として世界から146の賞を受賞し、ダライ・ラマやマザー・テレサといった国際的な著名人とも親交を深めた。オーストリアでは、多くの学校、通り、公園がグマイナーにちなんで名付けられている。そのグマイナーが生前、村に住む男の子に性的不祥事を繰り返していたことが判明し、グマイナーの名前がついた通りや学校の名称変更がテーマとなってきた。
同村のシュラック専務理事は「軽微な変更ではなく、組織の全面的な再編が必要だ。隠蔽や見て見ぬふりを好んだシステムと完全に決別する。そのためには創設者の神話を一掃しなければならない」と述べている。ちなみに、傘下団体である「SOS子どもの村インターナショナル」のドメニコ・パリシ会長は「ヘルマン・グマイナー氏とその卑劣な行為を、私は可能な限り強く非難する」という声明を発表している。
「SOS子どもの村」における虐待疑惑が明るみに出た後、外部専門家から成る調査委員会が設立された。同委員会の議長を務める元最高裁判所長官イルムガルト・グリス氏は「我々は改革案を実施する責任を負う。調査結果は、被害者の保護を尊重しつつ公表される」という。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年10月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。






